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カーデュー:マテリアル

2014-03-25 23:10:40 | CD


コーネリアス・カーデュー:
・オータム 60
・論文(21、22ページ)
・メモリーズ・オブ・ユー
・マテリアル
・八重奏 '61 ジャスパー・ジョーンズのための

 シンセサイザー:ジム・ベイカー
 パーカッション:キャリー・ビオロ
 トロンボーン:ジェブ・ビショップ
 他

HAT HUT: hat[now]ART 150



 コーネリアス・カーデューは1936年生まれのイギリスの作曲家。王立音楽アカデミーで正式な音楽教育を受け、前衛音楽を指向します。前衛音楽とは「音楽を一部の芸術家による支配から開放し、全ての人が平等に演奏・観賞できるようにする」のようなことを目的として、従来の音楽をぶっ壊すために作られた音楽なのです。

 このディスクの収録曲も全て前衛音楽で、メロディもハーモニーもリズムもないような、雑音とか騒音レベルのもの。結局のところ何を聴いても区別がつかないゴミのような音楽体験だと感じる人も多いでしょう。このような現代音楽の聴き方は色々あると思いますが、主に「ひたすら純粋に音を聴く」「作曲コンセプトを知る」という二つの態度があるかと考えられます。もっとも、そもそも音楽鑑賞なんて純粋に聴くだけの態度でいいはずですが、彼ら前衛音楽の作曲者は「なんでこんな音楽になったのか」を知ってもらいたいに違いありません。

 このディスクに収録されている『論文(Treatise)』に注目してみます。この作品の楽譜はPDFファイルとして公開されているようで、誰でも入手可能となっています。試しに「cardew treatise」で画像検索すると、ミステリーサークルのような意味不明な図形がたくさんヒットします。実はこれが楽譜です。こんな落書きみたいなものが延々と193ページも続いていて、しかもそれをどうやって演奏するかが記述されていないのです。つまり、演奏者はこれを見て感じたままにその場で演奏するというのです。

 これらのような楽譜を「図形楽譜」といい、前衛音楽ではごく普通に用いられています。カーデューは大体の設計図を図形で示し、それをどのように具体化するのは演奏者に委ねられています。カーデューと演奏者の関係は、まるで佐村河内氏と新垣氏のようであると言えるかもしれません(実際に佐村河内氏が書いた「指示書」というものは図形楽譜のようでした)。ただし演奏するたびに異なる音楽になるわけで、「単なるデタラメだ」と言われても全くもって否定する事はできませんが……。



 YouTubeには楽譜と対応させた演奏の動画がいくつかあるようで、そのうちのわかりやすい一つをここに貼ってみます。また、このディスクでの演奏では無意味な文章の断片を語るナレーションのようなパートも存在し、人間の記憶の宮殿内部のような静謐な音楽になっています。

 こういう楽譜はドシロウトでも書けますし(佐村河内氏のように)、演奏する方も高度な技法は不要で自分ができるように演奏すればいいわけです。したがって芸術家と言われる人々でなくとも誰もが作曲・演奏できる音楽であるとは言えます。演奏もメロディアスかつハーモニックおよびリズミカルになってはいけないという規則も無いので、楽しくアドリブで演奏できればいいでしょう。わざわざ難解に演奏する必要はありません。前衛音楽は「普通の音楽」を内包しているのです。……まあそんな演奏は聴いたことないですけどね。

 その後、ぶっ壊すのも音楽だけに飽き足らなかったのか、カーデューは政治家となります。しかも「国家を一部の資本家による支配から開放し、全ての人が平等に生活できるようにする」といった典型的な極左政党を創設します。音楽についても極左らしく自己批判したのか今までの前衛を否定し、単純な旋律と伴奏で構成された「人民のための音楽」を目指す事になりましたとさ……。


クラシックCD紹介のインデックス

ショスタコーヴィチ:交響曲第1番/第9番

2014-03-15 20:57:53 | CD


ドミートリィ・ショスタコーヴィチ:
・交響曲第1番 ヘ短調 作品10
・交響曲第9番 変ホ長調 作品70

指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
ソビエト国立文化省交響楽団

ビクター音楽産業: VDC-1013



 大学時代の生物学の講義、教官の専門分野は熱帯伝染病、具体的に言えば寄生虫による感染症。その教官がある日の講義の時に古い8ミリフィルムの教材をもってきて上映を開始。

 多くの寄生虫には屋外で過ごす時期があり、動物が近づくと寄生するために活発に活動を開始する。動物が近づいた事がなぜ寄生虫にわかるかというと、動物の呼気に含まれる二酸化炭素を検知しているから。

 その実験映像。シャーレの上に小さな寄生虫の群れ。いずれも目立った活動は無い。そこに二酸化炭素を吹きかけると……。

 突如として踊るように頭を振り始める寄生虫の群れ! ポェ~~ッというマヌケな効果音! BGMにはショスタコーヴィチの交響曲第1番の第2楽章!

 ……ということをいつも思い出してしまうのです、このショスタコの1番を聴くと。この曲はレニングラード音楽院の卒業作品として書かれたとの事ですが習作といった雰囲気はすでにありません。とにかく才気あふれる曲であり、ナイフで斬りつけてくるような鋭さがあります。まだソビエト共産党にそれほど翻弄されていないせいか、後の交響曲のような死臭を放ってはいません。それでも、皮肉めいた楽想とかスネアドラムのタンタカリズムとか、誰が聴いてもショスタコの作品とわかるほど完成されています。恐ろしい子!



 こちらはゲルギエフ指揮の交響曲第1番第2楽章のスケルツォ。ちなみに寄生虫のBGMは0:59から。

 このディスクの2曲はどちらもコンパクトな編成で演奏される緻密な楽曲です。カップリングの交響曲第9番は、交響曲第7番および第8番に続く戦争三部作といわれています。この曲は第二次世界大戦に対するソビエト連邦の戦勝記念に「第九」の名を背負った大作として当局に期待されていました。ところが出来上がった曲は戦勝に浮かれるソビエト共産党をおちょくったような、極度に凝縮された皮肉の塊のようなものでした。当局の逆鱗に触れたショスタコは痛烈に批判され(ジダーノフ批判)、芸術家生命どころか生物学的な生命まで断たれかねないところまでのピンチに陥ったのでした。

 音楽として聴くと、余分なものを削ぎ落としたアンサンブルの妙が楽しくもあるのですが、愉快なメロディーの裏や合間で流れる不穏な伴奏やスネアのタンタカリズムがソビエト共産党体制下の歪んだ世の中を表しているようです。音楽作品を政治とからめて理解するのは必ずしも妥当ではないのですが、ショスタコーヴィチに関してはとにかくソビエト共産党に目を付けられて何度も粛正されそうになったわけで、もともとどこか屈折した曲を書いていたショスタコが共産党の圧力に心から従うとは思えないのです。



 こちらはデュトワ指揮の交響曲第9番の第1楽章。以前の変な動画は削除されたもよう。


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日野日出志「呪われた赤ん坊が…」

2014-03-10 22:41:03 | 日野日出志


 ひばり書房刊「呪われた赤ん坊が…」は元々「恐怖・地獄少女」というタイトルだったようで、表紙にもそのように書いてあります。タイトルが変わったりするのは貸本業界ではよくあることだったらしいですが、作品の内容的に少女の存在は地獄とは関係がないように思われます。だからタイトルの変更は納得のいくものでしょう。近年「地獄少女」というと別のアニメキャラを指すようでございますが…。

 さて、ある夫婦に双子の姉妹が産まれます。ところがそのうちの一人が世にも恐ろしい姿だったのでした。



 いきなりこの大ゴマのインパクトですが、赤ん坊がこうなった原因は全く不明。その姿を恐れた父親はこの赤ん坊を袋詰めにして、街の一角にある広大なゴミ捨て場に置いてきてしまうのでした。そして妻には双子というのは誤診だったということにして、一切の事を知らせない事にしました。

 ゴミ捨て場に放置された少女は当然ながら間もなく絶命してしまいます。ところがある時、ゴミ捨て場に発生した鬼火が一つに集まり、そこから強力なエネルギーが発せられ少女の遺体を貫きます。すると不思議な事に少女は息を吹き返し、腐りかけたその体も元に戻りつつありました。そしてその日から少女は本能に従ってゴミ捨て場で生きていく事になるのでした。

 7年後、少女は大きくなっておりました。狩りの術も身につけて他の動物を捕食し、ゴミ捨て場に君臨していました。そんな少女が遠くに見える街の灯に心惹かれて見に行くと、親子連れの姿がありました。それを見た少女には今までに無かった感情がわいてきて、親子というものを本能的に察したのでした。そしてその夜、再び鬼火が発生して一つに集まると、その中に謎の老婆の姿がありました。老婆は少女に捨てられたいきさつを伝え、人間どもに復讐せよと告げるのでした。



 ゴミ捨て場で拾った服を身にまとい、少女は再び街に出ます。



 なかなか絵になるキャラ造形と言えましょう。少女は昼間は物陰に潜んで眠り、夜には人を襲ってその肉を喰らいながら、確実に一つの方向へと足が向かって行きます。警察は総出で少女を追っており、ついに少女は足を撃たれてしまいます。血を流しながら逃げ込んだ一軒の家には同じ年頃の少女が一人眠っていました。



 その時、謎の老婆の声が聞こえます。そして「そこの少女はお前の双子の姉妹であり今まで幸せに生きてきたが、そいつの血を吸いつくせば姿も入れ替える事ができ、お前は幸せになれる」と言ってきます。そしてこの醜い少女は……。

 というわけで本作の原題である「恐怖・地獄少女」の名は有名ではありますが、あまり「地獄」には関係ないようです。「地獄小僧」は生い立ちから地獄を背負っていたと言えますが、この少女が背負っているのは「運命」というべきものでしょう。それと謎の老婆が「人間どもに対する復讐」と言っていましたが、一方で終盤では「双子の血を吸って、人間としての幸せを手に入れろ」のようなことも言っており、実際のところなんだかよくわかりません。「呪われた赤ん坊が…」というタイトルも何によって呪われたかは明確ではありませんが、老婆に代表されるような「人間によって闇に追いやられた存在」が双子の片割れを改造し利用して、「人間としての幸福」をエサに人間と闇の間で揺り動かすことで人間世界を破滅させようとした、という解釈もできるでしょう。だとすれば、少女の背負った「運命」とは闇の存在に操作されたものではありますが、そこに決着を付けたのは少女自身の意思であり、そこに読者は救いを感じるのかもしれません。

 まあ細かい部分はともかく、読後感も「毒虫小僧」のようにしんみりしていながら印象深く、絵的にも見やすくてキャラも(慣れると)愛嬌すら感じます。比較的低年齢向けの作品の中では代表的な一本でしょう。


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