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厄痛 〜呪いのゲーム〜

2020-05-27 18:24:00 | ゲーム


 本作『厄痛 〜呪いのゲーム〜』は『厄 友情談疑』の続編です。『厄』の『II』で『厄痛』。ザッピング式でホラーテイストのヴィジュアルノベルです。キャラクターやストーリーを漫画家の日野日出志先生が監修しているのが売りです。

 私は本作を以前購入していたのですが、引越しの際に一度は手放してしまいました。後になって日野日出志ファンとして激しく後悔して、なんとか買い戻したいと考えていたのですが、すでにどこにも見かけなくなっていたのでした。半ばあきらめていたのですが、先日中古で買ったPSPのオンラインストアを見ていたら初代プレステのアーカイブとして600円ちょっとでDL販売していたのを見た瞬間に購入。10周以上プレイしてクリア認定しました。

 前作の『厄 友情談疑』は評判が相当悪かったらしいです。 私は現時点で前作をプレイしていないのですが(DL購入済み)、おそらく相当「クソゲー」だと叩かれたのではないでしょうか。そこで続編の本作を作るにあたり、まずホラーとしてのクオリティを上げるために日野日出志先生に監修を依頼し、さらに逆転の発想で「クソゲー」をテーマとしたのです(というのは私の想像です)。



 ゲームを起動するといきなり挿入される「自然を大切に」のCM。ゲームに何か関係あるのでしょうか? 実はこれは前作からあるCMなのです。言ってることは正しいのでしょうが、ここでわざわざ言う意図が全くわかりません。本気の社会貢献なのかもしれませんが、そのわりには極めて無味乾燥なムービーなのです…。



 さて、プレイして早々に感じることなのですが、本作はとにかく絵柄が奇妙で不気味なのです。前作も同様のタッチのようで、わざわざ不気味に作っているのでしょうが、序盤のコミカルな展開の時でもそんな絵柄なので笑っていいものか判断に困ってしまうのです。上の画像は5人の主人公のうちの一人、みすずの絶叫シーン。不気味な絵柄と実体化した書き文字がちょいちょいムービーとして流れ、プレイしていて不安になります。

 そしてこの目が異様に大きなこの絵柄、日野日出志作品との親和性が高いものとなっています。前作の時点で日野日出志作品が念頭にあったのか、それとも類似性を指摘されてオフィシャル化したのかはわかりませんが、ある意味で違和感が無いといえるでしょう。



 こちらは二人めの主人公、省吾の絶叫シーン。恐怖のあまり「げりゃああああ」と叫ぶ人がいるかどうかは知りませんが、とにかくその異常性はよくわかります。

 みすずと省吾は初期段階からザッピングで選べる主人公で、ストーリーの背景には迫れない巻き込まれ型の被害者ポジションです。二人は幼なじみで、高校時代の夏休みにゲーム制作会社にバイトとして働くというところから始まります。アクセル全開のみすずに対してブレーキ役の省吾という、なかなかいいコンビ。



 そのゲーム制作会社で作っているのが「お魚ちゃんフォーエバー」というノベルタイプのアドベンチャーゲーム。実際にゲーム内ゲームとして少しだけプレイできますが、とにかく語るべきもののない作品になっています。出来が悪いとか、面白くないとか、よくわからないとかではなく、「虚無」と言えましょう。



 稚拙な絵柄と展開で、みすずと省吾は不安にかられるのですが、なんとこのゲームをゲーム雑誌に記事にしてもらうために売り込んで来いと社長から無茶振り。出版社にはアポを取っていると言われても、高校生には荷の重い仕事です。



 案の定ゲーム雑誌のライターから「そんなクソゲー売ったら犯罪」呼ばわりされてしまいます。ひょっとしてその言葉は前作を売った時に制作者達がアンケートハガキか何かを通じて言われたことなのでは、とつい邪推してしまいました。それにしてもゲームの中で「クソゲー」と連発するなんて本作くらいのものです。そしてこのひときわ不気味なライターが第3の主人公、スミレであり、本作の中心人物です。



 その後、「お魚ちゃんフォーエバー」の記事が掲載された雑誌を読んでみたらひどい書かれよう。「遊ぶと死ぬ」とまで書かれてあります。みすずは怒り狂ってスミレに殴り込みをかけそうな勢い。ちなみに「お魚ちゃんフォーエバー」の内容は本作の展開になんら関わることがありません。では本作サブタイトルの「呪いのゲーム」とはなんなのでしょうか? ひょっとしたら本作自体がそうなのでしょうか?



 みすずの激烈な反応に対し、省吾はなぜか達観しています。ただ、ごくごく少数を相手に商売を成立させるのは難しいでしょう。もちろん私はごくごく少数側の人間ですが。



 この後、事件が発生してゲームは後半戦。その事件には怪物が関わっているらしいのです。この怪物のデザインがまさに日野日出志作品的ですね。



 後半に現れるこのおっさんは第4の主人公、コウゾウですが、全ての事情を知った上で怪物と敵対している様子です。何か思い込みの激しい性格っぽいようです。



 そんなコウゾウの素朴な疑問が、自然を破壊している人間がなぜ「自然を大切に」などと言えるのか、ということ。あれ、本作こそ冒頭のCMで「自然を大切に」って言ってなかったっけ? 前作からの壮大な伏線がここで回収されました!



 そして第5の主人公の幽霊。名前はプレイヤーがつけることになります。みすず達の顛末を見ながら記憶を取り戻していきます。最後にプレイ可能になるだけあって、きっと物語のキーパーソンだろうと考えていたらそんなことはありませんでした。



 本作のザッピングシステムでは章ごとに主人公を切り替えることができるというものですが、実はあまり意味がありません。主人公ごとに通しでプレイしないと展開がどうなっているのかわからないでしょう。途中の章では選択肢が多数出てきますが、どれを選んでも大筋の展開は変わりません。最終章の選択肢については、その全てが結末に関係しています。誰のどの選択肢が結末にどう影響するかは以前に書いているので、ネタバレでよろしければどうぞ。結末の多くは後味の悪いものですが、一部で上の画像のようなグッドエンドのようなものもあります。



 というわけでクリア。結局再購入してから11周のプレイをしました。



 そして監修は日野日出志先生。ストーリーの所々に日野日出志ショッキングワールド的な展開が見られました。特にコウゾウの狂信的な言動に関する部分で、研究者として人類全体に対する愛と、自分を認めない個人に対する憎しみが表裏一体になっています。さらにはスミレとコウゾウの間にも非常に複雑な愛憎の感情があり、お互いに良くも悪くも忘れられず、その挙句に多くの人々を不幸にしてしまっている、というのが本作の見どころでしょう。

 さらに、愛憎といえば本作における「クソゲー」に対する愛憎入り混じった感情は鬼気迫るものがあります。なんというか、「クソゲー」を憎み、同時に「クソゲー叩き」を憎むような。プレイ後によく考えてみると、「遊ぶと死ぬ」と言われた「お魚ちゃんフォーエバー」をプレイした登場人物は全員死ぬ展開が用意されています。そこで「クソゲー」という軸を通して「お魚ちゃんフォーエバー」を本作「厄痛」に重ねてみると、プレイヤーは自分も死ぬのではないかと気づくのです。本作自体が「呪いのゲーム」だったのです。それはまさに「きみが死ぬ番だ!」という日野日出志ワールドだったのです……。

イースIV The Dawn of Ys

2019-12-30 23:10:00 | ゲーム


 2019年は私にとってイースの年になりました。1月にファミコン版の初代をプレイしてIIIIIIVVVIまでをクリアしてブログ記事にしていましたが、その後もPS4で「Origin」を15周クリアし(現時点でトロフィーコンプはまだ)、「セルセタの樹海・改」を3周クリアし、「イースVIII ラクリモサ・オブ・ダーナ」を2周クリアして(3周目に突入して)います。もちろん「イースIX モンストルム・ノクス」も購入済み。順番からすると、次のブログ記事はOriginなのですが、トロフィーコンプしてからと思っているうちに、先に次々とシリーズクリアしてしまいました。

 ここまでプレイしていると、「イース7」もなんとかプレイしたいと思うようになり、PSPの中古と7も買ってしまいました。なぜVITAにしなかったかといえば、PSPは外部モニター出力ができるからです。ケーブルはまだ手に入れてませんが。

 そしてPSPでダウンロード可能なソフトを見ていると、イースシリーズの「I&IIクロニクルズ」「フェルガナの誓い」「The Dawn of Ys」が購入できるとのことで、すぐにまとめて買ってしまいました。特に「The Dawn of Ys」はPCエンジン用ソフトのアーカイブで、CD-ROM版しかないためこれまでプレイできずにいた作品です。そんなわけで、これまで発売順に記事を書いてきましたが、ここで時代をちょっとさかのぼります。



 本作はハドソン製で、イースIVのバージョンの一つです。以前に私がプレイしたIVはスーパーファミコン用の「MASK OF THE SUN」です(以下「MOS」)。イースIVファルコムの原案と音楽をもとに各社がアレンジを施して各機種用に発売したという珍しい経緯があります。「MOS」は割と原案に忠実で手堅く作ってあると思われますが、本作はCD-ROMの大容量をいかしてグラフィックやサウンドに力を入れた派手な作りになっています。ただしハドソン独自の設定がシリーズ公式設定と合致しないため、「MASK OF THE SUN」が公式のIVとされてきました。ですがネットを見ていると本作を評価する声が結構多く、公式ではないからと無視するのももったいないとぜひプレイしたいと考えておりました。

 さて、オープニングのデモではIIの最終ボスであるダームとの決戦を回想しています。上の写真がその1シーン。本作はIIの2年後という設定で(いきなり公式設定とずれがあるのですが)、アドルがエステリア(初代イースの舞台)に顔を出すところからゲームスタート。最初からCD−ROMを駆使したイベントシーンが満載で豪華です。



 舞台はセルセタの樹海で、イースのあったエステリアからほど近い地域。グラフィックもなかなか鬱蒼とした雰囲気を出しています。CD-ROMの大容量によって舞台ごとにマップパーツを読み込めるため、画面の描き込みが見事なものになっています。
 ゲームシステムはIとII、および「MOS」と同様の体当たり戦闘。斜め移動が可能になっており、雑魚相手にはめっぽう強くなっています。新システムとしてはゲーム後半に秘薬の調合をしてもらえること。ただし普通のプレイでは1箇所でしか使いどころがありません。いろいろ調合して使ってみると隠されたものを手に入れることができるので、探してみてもいいかもしれません。



 登場キャラは大方「MOS」と同じですが、若干雰囲気が違う人もいます。こちらのリーザさんは「MOS」では「泣きのリーザ」とも言えるほどメソメソしていた印象があるのですが、本作では「微笑みのリーザ」となっています。けれどもそれだけに話の展開上も心情に迫ることがなく、ヒロインとしては弱い感じがします。ちなみに公式リメイクの「セルセタの樹海」では「怒りのリーザ」となっていて、騙されていたとはいえ思い込みでアドルたちにえらいことをしでかすキャラになっています。

 「MOS」で影が薄かったカーナさんは序盤で一緒に戦うことになり、存在感がややありました。のちのシリーズのパーティバトルの原型ともいえるシステムで、行動をともにするカーナが敵を次々に倒してくれます。やっぱり武闘派だ!



 こちらは有翼人最後の生き残りのエルディールさま。悪いやつらにそそのかされて古代文明の力を手に入れようとするのは「MOS」同様ですが、本作ではさらに別の輩が最終ボスになっているので、今ひとつ威厳がありません。イベント画面でも悪人顏となっており、小悪党に堕してしまった感があるのは残念です。

 イベントシーンはフルボイスで、声優陣はかなり豪華です。エルディールさまの声は池田秀一。



 ゲーム途中でエステリアに戻るのも「MOS」と同じで、ロダの木の下でリリアが待ち伏せています。異常な行動力のMOSリリアも怖いですが、このリリアもヤバイです。アドルが世界のどこにいてもリリアが全て把握しているのではないかと感じさせます。本作に明確なヒロインが見当たらないのもリリアのせいかもしれません。



 そうこうしているうちにエンディング。実を言うと話の展開があまり頭に残りませんでした。過去の英雄であるレファンスと五忠臣の墓をめぐって力を授かる、という展開の繰り返しという印象です。細かいイベントや存在感のある住人が少なかったことも要因でしょう。グラフィックやメインイベントが非常に丁寧に作られていたため、そちらの印象のほうがはるかに強いです。

 上の写真はデュレンさん。「MOS」ではちょい役の情報屋でしたが、本作ではもう少し活躍しています。実はエルディールさまをそそのかした「闇の一族」の一人という設定で、悪い奴らとは道を異にしています。この「闇の一族」という設定は公式に吸収され、「VI」では世界設定の根幹として再定義されました。「セルセタの樹海」での彼は冒頭で仲間になる相棒ですが、果たして闇の一族との関係は‥‥。



 こちらはカーナさん。ゲーム後半で存在感が薄くなるのが残念。それだけパーティーバトルで頼りになったのでした。ちなみにドギとも後半でパーティーバトルをしますが、すぐに退場になってしまって腰砕けになります。



 さてエンディングの最後、本作でのアドルの冒険の本を母親が子供達に読み聞かせるシーンがあります。写真の左の二人は近所の子供のようですが、読み手は右の子供の母親でしょう。その子はよく見るとアドルにそっくりです。ひょっとしてアドルの子供?



 そして次のシーン、町の向こうには神殿のある山と塔のシルエット。ここはまちがいなくエステリア。するとアドルの子供を産んだ女性は誰か。それはもうあの人しかいないのでは‥‥? いやー、あの人、やっぱり怖いですね。ひょっとして正史から外されたのはあの人との関係で?



 というわけでクリア。なんかイベントシーンばかりの記事になってしまいましたが、ゲーム部分も丁寧に調整されています。普通にプレイしていたら適正なレベルになるためにとてもプレイしやすくなっています。ボスクラスの敵の数は多くどれも凝った動きで、シューティングゲームのように弾を撃ってくるボスが何体もいます。さすがにボスは強めですが、何度も挑戦しているうちに攻略法が見えてくるし、再挑戦時のイベントも省略されるという親切設計もあります。隠し部屋や隠し武器、クリア後の「イースIV開発室」などのサービスも満載です。

 ついついプレイ済みの「MOS」や「セルセタの樹海」との比較に走ってしまいましたが、プレイの手触りやわかりやすさ、演出・ビジュアル・音楽アレンジなどは初期イースのなかでは屈指でしょう。半ばあきらめていた本作「The Dawn of Ys」をプレイできて満足でした。

 次のイースは順番からいって「I&IIクロニクルズ」に挑戦です。2020年もまだイースのプレイが続きそうです。

倉庫番

2019-09-07 22:16:23 | ゲーム


 2007年のゲームクエスト投稿文『倉庫番ベーシック2』の時にも書きましたが、倉庫番は私の人生のベースになっていると言っても過言ではありません。そして今でもプレイしていたりします。今回はゲームボーイ版で、全108面構成。さらに隠しステージが2面あります。



 ゲームボーイ版はちょっとしたストーリー仕立てになっています。なんでも一目惚れした女性にプレゼントをするために倉庫番のバイトをしてお金を貯める、という筋書き。10面クリアするごとにデモが流れます。



 さて、ゲーム本体はシンプルなパズルゲーム。ルールは、(1) 荷物(木箱)を押すことはできるが引くことはできない、(2) 同時に押せる荷物は一つだけ、(3) 壁(レンガ)は動かない、(4) 全ての荷物を指定位置(点があるマス)まで動かすとクリア、とこれだけです。指定位置にある荷物は色が黒っぽくなります。上の写真は最初のステージのもので、極めて簡単。ルールもこれを見ただけで理解できるかと思われます。ですが、初めてプレイした人は荷物を一番下まで動かしてしまいやり直しをしたことでしょう。クリアするとパスワードが表示され、それを入力するといつでも続きができます。



 こちらは11面。このあたりから倉庫番らしくなってきます。私の思考として「最後の一手を特定してから手順をさかのぼる」というのがあると以前にも書きましたが、この面にあてはめて考えてみましょう。

 まず、真ん中でくびれているためステージが左右に分かれています。そしてくびれ付近に荷物を置いてしまうと反対側に移動できません。したがって右か左に荷物をまとめて仮置きする必要があることがわかります。ではどちらに仮置きするか。一見すると左のほうが広く見えるため左に置きたくなりますが、荷物の裏側に回る通路を確保しつつ4つの荷物を左側に置くことはできません。右側に置く場合を考えてみると、3つだけしか仮置きできません。けれども指定位置の一番左側に荷物がある分には移動の邪魔にはなりません。結論として、3つを右側に仮置きし、残った1つを指定位置一番左に置き、右の3つを順番に押すという手順が見えてきます。慣れてくると、こういった手順が見た瞬間にある程度わかるようになってきます。



 こちらは15面ですが、簡単そうに見えて結構難しく、最初につまるところではないでしょうか。ここではある動かし方が必要です。それは「L字に並べた3つの荷物を順番にグルグル移動させる」というものです。この動かし方は先読みがしづらく、ひらめきが必要になります。



 倉庫番には上の画像のような物量にものを言わせたステージも結構あります。これらは先読みなどはほとんど不可能で、純粋に試行錯誤するしかないでしょう。このようなステージがたまに出てくる分にはいいのですが、短いスパンで登場すると結構しんどいです。



 こちらのステージは一見簡単そうに見えますが、左下に固まった荷物を直接指定位置に移動させることはできません。右下まで移動させないといけないのですが、すでに荷物が置かれているので、左下の5つの荷物を邪魔にならないように再配置したのちに右下の荷物を片付ける手順となります。個人的にはこういうステージに最も倉庫番らしさを感じます。



 こちらは私にとって思い出深いステージです。しばらく試行錯誤したけれどクリアできませんでした。次の朝、職場へ向かう電車の中でステージの配置を思い出しつつ頭の中で荷物を動かしていたら、けっこうあっさり解法がわかってしまったのです。晩に家に帰ってさっそく確かめてみたら、脳内の手順通りでクリア。右脳と左脳を駆使したこれぞ、ゲーム脳ならぬ倉庫番脳です。



 最終ステージ108面も簡単そうに見えますが、実はやっぱり簡単です。それとも想定と違う解き方をしてしまったのでしょうか。



 108面をクリアするとエンディングデモが流れ、女性がプレゼントを受け取ってハッピーエンド。



 108ステージ以外に隠しステージが2つあって、隠しパスワードを入力することでプレイできます。上の画像のステージはそのうちの一つですが、こういうのが最も難しいんですね。手順が全く読めないので。適当に動かしていればそのうちクリアできますが、解法がいつまでも確立しません。でもこのステージ、別機種の倉庫番でプレイした覚えがあるな……。



 もう一つの隠しステージは複雑な構成だけど、まず反時計回りに一周してルートを作り、左の部屋を確定し、あとはおおよそ反時計回りにそろえる、という基本方針はすぐわかります。画面上部の領域で小技を効かせる必要がありますが、凝った構成なだけに解法が読みやすいのは以前に書いた通り。

 というわけで、ゲームクエスト投稿文から10年以上経ってもまだ倉庫番をプレイしていた私でありました。さらに今から10年後までプレイしているかどうかはわかりませんが、シリーズがいつまでも続いて欲しいですね。

イース ナピシュテムの匣

2019-06-30 22:52:00 | ゲーム


 本作はFalcom渾身の一作と言えましょう。オリジナルの『イースVI』はPC版で、背景が3D化。3種の剣をリアルタイムに使い分け、剣技や魔法も簡単操作で発動。世界設定も明確になって過去作との繋がりも濃厚に。音楽は全て特徴的で、場面ごとに異なる曲想が印象的。舞台は3つの島からなり、広すぎず狭すぎず。登場人物全員キャラが立っており、みんな素直でスッキリ(一部を除く)。

 PS2版ではタイトルのナンバリング表記は無くなりましたが、キャラも3D化し動作が滑らかになり、アナログスティックでグリグリ動かしているだけでも爽快です。さらに頭身が若干上がりスマートになりました。会話はフルボイス。ダンジョン「アルマの試練」の追加によってプレイがより変化に富み、舞台設定の補強にもなりました。一方、キャラの一枚絵の解像度は低下し、一部の声優とリアルムービーが不評を買っているようです。

 イースIVおよびVはコンシューマー機での発売でした。緻密なグラフィックが可能なPCの新作としては久しぶりのイースでかなり盛り上がったようですが、PS2版もなかなかの良移植です。



 ゲームスタートはレダ族の集落から。レダ族はカナン諸島に古くから住む亜人の種族で、長い耳と尻尾が特徴。漂流してきた普通の人間(エレシア人)と確執がある様子。まあそれもゲーム前半で解消するので、ギスギスした感じが残ることはありません。

 画面構成は上の画面写真のように基本的には俯瞰的な視点になっており、従来イースが持っていた箱庭感が濃厚に残っています。立体感もイースVより格段に向上しており、十分にわかりやすくなりました。キャラの動きも十分に滑らかで、剣を振るうだけでも様々なアクションを見せてくれるのが現代的です。



 絶景スポットその1。左奥の岩山はいかにも険しそうですが、実は序盤にてっぺんまで行くことになります。やや手前右側は聖地ゼメス島。こちらは中盤で。

 戦闘システムも前作を徹底的に改善しております。本作の特徴である剣技システムですが、3つの剣それぞれで剣技の出し方が異なる(連打、溜め、タイミング)というのもプレイに変化があってなかなかいい手触りです。魔法はボタン一発で発動で、前作のような変な出し方ではなくなりましたが、連発はできなくなりました。それだけに切り札と言えるほどの強さがあります。ボス戦にも有効。



 エレシア人の集落には、なんと初代イースに登場した研究者のラーバがおりました。なかなか好奇心旺盛で、しかもタフな爺様です。ここカナン諸島ではエレシア人とレダ族の誰からも尊敬されている様子。こんな爺様になりたい!

 このラーバがいるのは偶然ではなく、イースの起源となる古代文明をたどっているうちにこのカナン諸島にたどり着いたようです。世界設定を一本化するためにも登場する必要があるキャラなのでした。



 絶景スポットその2。アドルを探せ!



 海底には島を結ぶ参道があり、さらに聖地ゼメス島に向かう途中はこのようにヤバイ雰囲気。途中には竜神兵の培養カプセルが並んでいて不穏です。

 この竜神兵の設定によって、これまで外伝のような扱いであったイースIIIと古代文明の繋がりが暗示されるようになりました。人間が有翼人の技術を使って作り出した生体兵器が野生化して邪神として扱われていた、というのがIIIのボスであるガルバランなのでありましょう。

 さらにこの参道にはマジュヌーンという極めて強力な敵が隠れています。こいつは小さな雑魚のように見えて、最終ボスをはるかにしのぐ強さを持っています。翼を持った古代人のイメージを召喚して攻撃することから文明の根源に関わる存在だと思われますが、詳細は不明。パターンを掴んで瞬時に反応できるようにならないと勝利は困難でしょう。ダメージが通るようになるまでにも結構なレベルが必要ですが。



 中盤になってやってきました聖地ゼメス島。神秘的な雰囲気これまでのシリーズ随一。音楽も際立っています。

 音楽はどれも特徴的でよく耳に残り、似通った曲もなく、聴いただけでシーンが目に浮かびます。どの曲も好きではありますが、なんせ21世紀のハードウェアですから音源的になんでも可能となったため、「制限のある音源をセンスと技術で使いこなす」という側面は希薄になってしまいました。こんなことにこだわるのは時代遅れなのでしょうが、なんせ初期のイース(というか当時のファルコム)はそれほどの革命をゲーム音楽にもたらしたのです。



 その後いろいろあって、今回の騒ぎの張本人であるエルンストが最終盤になって登場。過去作のアドルの冒険全てが把握されているようです。ストーカーか!

 エルンストは古代の有翼人のテクノロジーを盗んだ人間の末裔という設定で、ナピシュテムを再起動して思うままに制御しようというのが彼の目的。このように古代のテクノロジーを手に入れようとする人間および暴走する古代兵器との戦い、というパターンがIII以降で顕著ですね。ややハリウッド的な展開で、個人的には初代&IIのような「魔」との戦いの方が好みですが。



 ついに古代テクノロジーであるナピシュテムと対峙。その攻撃方法は映画『バイオハザード』の一番嫌なシーン(警戒レーザーで逃げ場のない仲間達が惨殺されるシーン)を思い出しましたよ。このナピシュテムの第1形態は珍しくボス戦で完全パターン化が可能。弱点へのダメージコントロールまでできれば楽勝です。

 全体的にボス戦は、とにかくよけてひたすら攻撃というのは少なく、どういうタイミングでどの技を当てるかを見出す必要があるようになっています。特にややこしいのが洞窟ボスのオージュガンで、ボスが射出するザコをバッティングセンターよろしく打ち返すという特殊な攻略法となっています。魔法を使っても倒せますが結構時間がかかりそう。



 というわけで終了。画像は難易度ナイトメアでのクリア画面。露出の多いこの妖精はPS2版追加要素「アルマの試練」の案内役であるクレヴィアさん。なかなかの存在感を発揮しています。

 アルマの試練ではよりアクション要素が重要になっています。通常より遠くへ飛ぶダッシュジャンプが自在に出せないとクリアはできないでしょう。ところがこの操作がややこしくて、方向キー入力→方向キーニュートラル→攻撃ボタン→ジャンプボタンという手順が必要です。慣れないとまったく出せません。何度かゲームクリアした後になって、攻撃ボタンとジャンプボタンは同時押しすればいいということに気づきました。この方が安定します。

 クレヴィアさんといえば、PS2版に同梱されているスペシャルサウンドCDのピクチャーレーベルとなっています(初回生産版)。BGMのアレンジ、CDドラマ、効果音が収録されています。CDドラマはゲーム中のシーンの直前または直後のものもあり、ちょっと嬉しいサービス。アレンジBGMはPS2版追加曲が中心ですが、2、3曲目はどこで使われているのかわかりません。



 ゲームを1回クリアすると現れる対ボス戦のタイムアタックモード。全ボス通しで戦うボスラッシュの他に、個別に戦うこともできます。画面写真は私が難易度ナイトメアのボスラッシュをクリアした時のもの。3時間半もかかっています。一部のボスで異常なまでに苦戦したのが原因。倒せるときはあっけなく倒せるんですけどね。こういう運頼みの攻略は極力減らしたいところです。



 難易度ナイトメアのボスラッシュをクリアすると、ビキニ姿のオルハ姉と浜辺をブラブラすることができます(ラブラブすることはできません)。

 そういえばプレイ中の会話で登場人物(主に女性)の「あの‥‥、いえ、なんでもありません」というようなセリフがやけに多いのが気になりました。30分に一回は誰かが言っていた印象。はっきりせい!

 私は本作を難易度ハードで最初のプレイしました。その方が高難易度モードに耐性がつくだろうと考えたためですが、思った以上に苦労しました。といってもその苦労は序盤での話。ゲームを始めて最初のマップであるクアテラの樹海で、私は最初のゲーム進行イベントもこなさずにレベル30まで上げていたためです。樹海の奥にはかなり強い敵がいるのですが、移動しない植物系の敵ならば攻撃を途切らせなければ一方的に勝てるのです。ただしこの時点でアドルは弱い武器しか持っていないため、1ずつのダメージしか与えられません。1体倒すのに250回以上も攻撃しなければなりませんでした。うっかり攻撃の手を緩めてしまって即死したことも何度もありました。それでも剣を振る手ごたえや滑らかな走りが気持ちよくて、何時間でも稼いでいることができました。

 難易度ハードクリアの後はナイトメア、ノーマルの順にクリア。そして最初のプレイではアイテムを揃えておらず隠しボスのマジュヌーンも倒してなかったので改めてハードでクリア。全難易度で完全クリアした時点で満足してクリア認定です。

 次は本来ならIIIのリメイクの「フェルガナの誓い」をプレイしたいところですが、私の現在の環境ではできないので、PS4の『イース・オリジン』に挑戦しましょう。

イースV 失われた砂の都ケフィン

2019-04-06 23:46:08 | ゲーム
 
 スーパーファミコンではトンキンハウスによるIIIIVが発売されましたが、いまひとつ地味だったのか、大きな盛り上がりはならなかったようです。そして本作イースVではファルコム自らが制作に乗り出しました。その結果、システムは従来シリーズ全ての融合となり、後のシリーズの基礎となりました。なかなか意欲的な改革がなされていますが、一方で生煮えのシステムも多く、過渡的な作品となった印象があります。
 
 
 オープニングでは、遺跡の調査をしていた冒険家スタンが近くの砂漠で記憶を失った女の子ニーナを保護するシーンが描かれます。スタンさんはこれまた渋い冒険家ですね!
 
 
 そして2年後、スタンさんはニーナを残して行方不明になってしまいます。スタンさんは町の有力者であるドーマンさん(蘆屋道満?)から「失われた砂の都ケフィン」の手がかりを調査するように依頼されていたのですが、そこにやってきた冒険家アドルがスタンさんの後任として調査することになりました。どうでもいいですが、この髪や服のグラデーション部分のタイリングペイントがいかにもPCゲーム的。さすがはファルコムのセンスです。
 
 ちなみに本作では相棒のドギがいません。牢屋なんかに閉じ込められたら助けてくれる人がいないのでは? でも大丈夫! ドギがいないということは、アドルは閉じ込められないということなのです。逆に安心してプレイできるのです。
 
 
 ゲーム画面はこんな感じ。まず従来シリーズにあった飾り枠がなくなりました。もともとあの枠は性能が低い8bit PCにおいて、画面書き換えの処理をできる限り低減するための処置でありましょう。それでいてある種の重厚さをかもしていたのですが、本作からはよりダイナミックなゲームシステムとなって画面を広く使うために枠が撤廃されたものと想像します。
 
 そのシステムは初代のようなトップビューにIIIのような剣振りジャンプアクションを足したものです。体当たりの戦闘ではなく、自ら剣を振り回す必要があります。背景は2次元的な一枚絵ですが、高低差が設定されているために従来より少し複雑になっています。高いところから低いところに降りた場合、その場ですぐに登ることができるとは限らず、そういったワナっぽい地形も随所にあるため要注意です。
 
 剣を振る以外にも盾を構えて敵の攻撃を防御するという操作も可能ですが、私は全くと言っていいほど使いませんでした。防御するくらいなら攻撃して少しでもダメージを与える方がいいし、遠距離から魔法を使うことだってできるのです。
 
 とはいえ、その魔法のシステムも問題があるのです。各種エレメントを3つ合成して魔法石を作り、それを武器と組み合わせることで魔法が使えるようになります。その際に何を組み合わせたらどういう魔法が使えるかという情報がないのです。なんでもいいから適当に組み合わせて使ってみると、発動時間が長すぎて敵が画面の外に出て行ってしまってばかりでほとんど使えません。しかもRボタン連打で魔力を溜めてから剣を振って魔力を放つという馴染みのない使用方法。結局唯一実用的な魔法が最初にもらった一番弱い魔法というオチ。それ以外は使わなくてもまったく問題ありません。
 
 まあそれでも、その一番弱い魔法を使い続けて損はありません。魔法を使って敵を倒すと魔法レベルが上がるのです。序盤から使うようにしておくとちょいちょいレベルが上がって体力が増えたりしてプレイが楽になります。
 
 
 ゲーム開始後まもなく洞窟に入ることになるのですが、そこでいきなり複雑な地形に出くわすことになります。しかも洞窟内ということで画面が暗く、どう進めば良いか一見してわからない部分がありました。まあわかってしまえばなんてこともないのですが、目と頭が慣れるまではちょっとだけ悩むかもしれません。
 
 そんな洞窟の奥には謎の少女が氷漬けになっており、その上ストーカーまでいるという始末(人名です)。なんでもこのストーカーさん、氷漬けの少女を守るために自ら腕輪の中に封じられてようです。そしてアドルの力になる代わりに少女を助けてくれとのことです。敵でなければ別に文句はないのですが、なんかやることがいっぱいですね。ケフィンの手がかりを探さなければならないし、スタンさんどこへ消えたのかも気になるし、ニーナの記憶も取り戻してあげたいし、駄目押しで謎のストーカーさんから宿題ときたもんだ。
 
 
 イースシリーズの魅力の一つは画面効果にありますが、今回は森の中での木の葉の影という効果があります。ところがこれがまた見づらい! 地形と異なる速度で木の影がスクロールするから非常に目がチカチカするのです。さらに地形も狭いところなので妙にストレスが溜まるところになってしまっていてちょっと残念。
 
 本作ではフィールドが随分と細かく分割されており、ちょっと画面がスクロールするとすぐ画面が切り替わって隣のエリアに入ります。おそらくメモリや圧縮マップデータの展開時間などの都合でそうなったのでしょうけれど、フィールドの狭さを感じさせてしまうような気がします。これまで以上にキャラが大きく、背景もかなりの描き込みであるためしょうがないのでしょうけど。
 
 
 この人達はゲーム途中で登場する盗賊団。アドルにちょっかいかけてきて、まためんどくさい奴らが現れたなあと思っていたら、その後しばらくしたら成り行きで共闘することになりました。ゲーム終盤ではこのテラという小娘はアドルを気に入ってしまったようで、続編のイースVIでも出張っております。
 
 
 私が最も苦労したのがこの滝のシーン。狭い足場を踏み外すと滝に流されて一番下まで戻されるというエリア。私はこういうジャンプアクションが非常に苦手でして、実際たいして難しいことはないはずなのに何十回も流されてしまいました。
 
 
 ワールドマップをぐるっと一周すると、時空の狭間に封印されたケフィンの町に突入することになります。ここのマップは複雑そうに見えるけれど、そこまで広くないのですぐ全体像を把握できるでしょう。
 
 ケフィンには世界征服を企む錬金術師がいて、封印を破るために現世に色々と干渉しているというのが本作の真相。ケフィンの住人の中にはこの錬金術師の野望を阻止するレジスタンスがおりまして、アドル御一行はその活動に協力することになります。でもなんかこういうキナ臭い展開ってイース的ではないような。ストーリー展開が全体的にどうも継ぎ接ぎっぽい印象があります。
 
 
 ケフィンの中枢に侵入するために敵の装置を利用するアドル。こういうファンタジー+機械文明はなんとなく当時のファイナルファンタジーの影響を受けているような気がします。そういえばレジスタンスというのもファイナルファンタジー的かな。
 
 
 最終決戦、錬金術師が変身した姿ですが、何がなんだがわからないデザインで良いですね。その強さですが、これまでの歴代ボスの中では最弱だったかもしれません。セーブがどこでもできるというわけではなく、最後のセーブポイントからボスまで結構な時間がかかるため、何度もやり直すようなことがなくてホッとしました。本作にはクイックセーブの機能もあるのですが、リセットまでの一時的なものなので私はあまり使わないのです。
 
 思い返せばこれ以外のボスで印象に残ったのは炎のドラゴンくらいですね。常にレベルを余分に上げる私のプレイスタイルのせいかもしれませんが……。
 
 
 ボスを倒して人々を救出し、砂漠に緑が戻ってエンド。そういえばストーカーさん達もエンディングで丸く収まるのですが、もう因果関係超絶無視で、そんなストーカーさんだったら最初から自力でこの騒ぎを止められそうなものですが。
 
 ゲームは全体的に短く、7時間程度でクリア可能でしょう。私は1800円(税別)で購入したからいいのですが、本作は定価12800円(税別)だったようで、当時はコストパフォーマンス的に不満の声も大きかったと想像します。さらに、本作発売からたった3ヶ月後に「イースV エキスパート」が(なぜかコーエーから)発売されたとのこと。エキスパートではバグの修正、難易度の上昇、新要素の追加などの変更点があるそうです。この点もイースVの印象を悪くしたのではないでしょうか。
 
 バグといえば、ケフィンでニーナが捉えられた塔にありました。塔の別のフロアが壁の向こうに表示されてしまっていたのですが、プログラム上でのマップデータの管理具合が垣間見えてなかなか興味深いです。
 
 いろいろと不満点を書いてしまいましたが、最後にもうひとつ不満点があります。本作で採用されている十字メニューが最後まで馴染めませんでした。この十字メニューによってキー操作を少なくできるというのが売りだったはずですが、メニューの並びが固定されていないために、必要な項目をいつもぐるぐると探す羽目になっていました。しかもアドルの位置によってはL字メニューになったりします。したがって指が自動的に必要なメニューを開くということができず、必ず目で確認する必要があったのが煩わしかったですね。
 
 とにかく本作はシリーズの新たなスタンダードを作ろうとしたに違いありません。実際に以降のシリーズでは本作の多くのシステムが基本になっているようです。また、グラフィックはなかなか細かく質感のある描き込みがなされており、従来のゲームっぽい画面とは一線を画しています。音楽については曲数も多く、スーファミ音源ながらオーケストラ調の丁寧な仕上がり。本作ならではの素晴らしい部分もあるのです。
 
 これが旧世代ゲーム機(3D処理がサポートされていない)最後のイースとなりましたが、時間をおいて発売されたイースVIではついに3D化されました。本作で模索したシステムの真価は3Dで発揮できることでしょう。

太陽の神殿

2019-03-23 22:36:26 | ゲーム


 なぜいきなり『太陽の神殿』なのかといえば、イースIVで「金の台座」や「太陽の神殿」が出てきたからなのでした。だいぶ以前に購入していたけど、この機会にクリアしようと。

 本作は例によってもともと8bit PC時代のゲームで、アドベンチャーゲーム『アステカ』の続編であり、尋常でない難易度で有名でした。そんな本作を作ったスタッフはその後、「今、RPGは優しさの時代へ。」とぶちあげたイースを作ったのだから、何かしらやりすぎた感があったのかもしれません。

 とにかくPC版はクリア不可能なハマリ状態に陥ることが多く、それなのに自分がハマっていることを知るすべがなかったのです。何かが起きてしまった後に、この状況をどうやって解決するか、などと考えているようでは永遠にクリアできません。その状況にならないように前もって対策をしていなければならないのです。

 そんな高難度だったもので、自力で解いた人は極めて少なかったのではないでしょうか。私も当時友人に借りてプレイしましたが全く歯が立たず、攻略本の走りである「チャレンジ!! パソコンアドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲーム 2」を参照しっぱなしで無理やりクリアした覚えがあります。

 したがって具体的な謎の解き方なんか全く記憶にありません。それをいいことに、せっかくだからファミコン版は攻略情報なしでクリアしましょう!



 ファミコン版はストーリー仕立てになっています。ゲームの目的は伝説の「太陽の鍵」を手に入れることのようです。舞台となるチチェン・イツァーの遺跡は実在し、ゲーム中でも配置などがそれとなく再現されているようです。

 ところで本作は「アステカII」ではありますが、マヤ文明とアステカ文明は別物です。以前にも書きましたが。



 原作では一人旅でノーヒントだったのが、ファミコン版では幼馴染の女の子と現地ガイドの3人パーティーで、随所で仲間やシステムや神様からヒントがもらえるようになっています。



 チチェン・イツァーのマップ移動画面。PC版でも同様の雰囲気でした。なんとなくイースとの関連性を感じます。

 各建造物は斜め視点による描写になっていて、なかなか美しい描き込みになっています。この建物は尼僧院。ゲームスタート後に最初に来る必要があります。



 建物の中に入ると、コマンド選択画面になります。通常のゲームだとコマンド総当たりによって謎を解くことが可能ですが、前述のような罠が多数仕掛けられているのでよほど慎重にコマンドを選ばないとハマってしまうのです。

 上の写真はカスティーリョ(スペイン語のcastillo、英語ではcastle)と呼ばれる建物の財宝室。その中についに「金の台座」を見つけることができました! PC版では早めに金の台座を取ってしまうと、その後に泉で落としてしまってクリア不可能になってしまうという罠がありましたが、ファミコン版ではどうやっても金の台座を泉に落とすことはできませんでした。そうか、だからファミコン版のイースでは金の台座を泉で拾うイベントがカットされたのか!(多分違う)

 こちらでの金の台座はもちろん謎解きに使うアイテムで、とある場所でのアイテムを使う時に、台座がある場合とない場合で結果が異なるという謎が用意されています。このことはゲーム内の神様が「きんのだいざが あると ないとで おいしさ 2ばい。」とヒントを教えてくれます。



 こちらはゲーム内のチチェン・イツァーの中でも最大級の建物、戦士の神殿と千柱の間。ここにはゲーム内で最も厄介な罠があるところなのです。



 戦士の神殿でめぼしいものを取ろうとすると、像だったジャガーさんが突然動き出し襲いかかってきそうになります。ここですかさずアイテムを使ってジャガーさんを像に戻してしまうと、その後必要なアイテムが取れなくなってしまうのです。うまいことジャガーさんがいないタイミングを見計らって、とあるアイテムをゲットせねばなりません。しかもその時に使うアイテムがありまして、それをうっかり別のアイテムと組み合わせてしまっていたらもうクリア不可能です。私もこれでやり直しをさせられました。まあ知っていればここまでのプレイ時間は10分程度ですが。

 ファミコン版はセーブ方法がパスワードなので、途中段階のパスワードを幾つも控えておけば最初からやり直す必要もありません。パスワード方式のメリットですね。



 ゲーム中盤以降はこの球戯場に何度も足を運ぶことになりますが、ここの謎解きの手順がなかなか込み入っており、プレイしていて心配になる場面が多いのです。上の写真はうっかり閉じ込められた状況で、親切にもハマリであることを教えてくれています。ハマった場合に必ず教えてくれるわけではありません。



 なんとか多くの罠を避けてついに太陽の鍵を発見! ここではオカルト的なアイテムの効果で鍵を手に入れます。日本ファルコムの初期のゲームはオカルトっぽい雰囲気のものがあり、それがメーカーのイメージとして私には残っていました。デーモンズリング、アステカ、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥあたりですね(前者2作はプレイしていませんが)。この路線の最後の作品が本作であるといってよいでしょう。



 PC版では太陽の鍵を手に入れたらクリアだったような気がしますが、ファミコン版ではなんと大魔王との決戦があります。勝敗はほぼ運であり、負けてもその場からやり直せるので、特に気合いを入れる必要はありません。

 ファミコン版では各建物に入った時に怪物が出てきます。怪物を倒せる順に建物を周れ、ということです。怪物を倒すことができるかどうかは、まず怪物を見ることで見分けがつきます。「かてそうにない」と出たら後回しにしましょう。



 大魔王を倒して幼馴染を目覚めさせるとエンディングで、魔王の神殿が崩壊していきます。そして生還した二人には意外な展開が待っていました。そこはプレイしてのお楽しみ(誰もプレイしないか)。



 エンディングの二人はなかなかいい顔しています。とても高校生には見えません。ちなみにここでコントローラをいじると目や口が開閉します。

 ところで下のキーワード、一文字飛ばしで読むと……、ってコレか!

 というわけで攻略情報なしで3日でクリア。さすがにファミコンユーザー向けにアレンジされていてクリアはある程度簡単でした。怪物との戦闘要素は蛇足的ではありましたが、展開にちょっとした変化がついたのはよかった気がします。ただ、よくわからない国籍不明の怪物を出すのではなくて、せっかくマヤ文明なんだからケツアルコアトルとか出せばいいのにとは感じました。

 全体的にちょっとヒントが多いようで、個人的にはもっと少なくしてもいいかなと。その代わりハマり状態の時にはゲームオーバーになってくれれば納得感もあるのではないでしょうか。まあ今時こういうアドベンチャーゲームってないですけどね。そんなレトロな形態の作品を久しぶりに楽しむことができました。



 おまけで、プレイ開始時に作った手書き白地図を掲載。左上の広場みたいなのが球戯場。ネットには綺麗なカラーのマップ画像もありますが、自分でマップを作ればゲームに対する思い入れは3倍増し。



 どうでもいい話ですが、私が最初にマヤ文明のチチェン・イツァーを認識したのは、幼少期に手塚治虫の『三つ目がとおる』を読んだ時です。上の写真の場面がそのままチチェン・イツァーというわけではないのですが、球戯場やいけにえの泉などを思わせるシーンがありまして、本作をプレイしている時にどこか知っている土地を歩いているような気になったのでした。『三つ目がとおる』は私のバイブルです。

イースIV MASK OF THE SUN

2019-03-11 23:04:23 | ゲーム


 私がリアルタイムにプレイしたイースはIIIまでで、IV以降は今回初めての挑戦です。イースIVに関しては、プレイ環境の都合でスーパーファミコン版となりましたが、このバージョンはイースIIIを移植したトンキンハウスによるもの。そもそもイースIVというのは、話によるとファルコムの原案をもとに2社が競作して別々のハードに発売したようです。したがって当時はファルコム純正のIVは無く、その後に原案に近い本作SFC版『MASK OF THE SUN』が正史となったらしいです。

 そんなイースIVをハードオフで400円(税別)で購入! イースIIIをクリアしてすぐの挑戦です。



 IIIでおかしかったアドルの顔が治った! というか本作はIIの直後でIIIの前の話。本来の「イース」にまつわる話(I&II)とその後のアドルの冒険(IIIおよびV以降)をつなぐ重要な作品となりました。



 画面はIIIの雰囲気を強く残しています。町を出た最初の地形は曲線的な山道で、特に初代イースを意識した作りです。また、ゲーム機の性能を活かして遠景と近景の二重スクロールになっています。

 ゲームシステムもIIまでとほぼ同様で体当たりによる戦闘。ただし敵がきっちり軸を合わせて来るため、半キャラずらしがやりにくくなっており乱戦になることが多かったです。敵の移動方向に対して横から攻撃する方がやりやすいかも。

 魔法は武器に付属の能力になっていて、アイテムでパワーアップが可能。この時点での魔法システムは荒削りであまり使いどころもなかったのですが、以降のシリーズではこれを発展させたシステムを採用しているようですね。

 武器の種類も従来の5種類から増えていて、強くなった感を何度も得られるのは良いところ。最終決戦では最強武器より一つ弱い装備が必要になるのは従来ファンもニヤリ。



 ここは峠を越えてたどり着くセルセタの樹海。一見複雑そうなマップに見えますが、実際はそうでもありませんでした。基本的に一本道で、分岐があってもすぐ行き止まりになる上に、アイテムがマップの分岐先にあることがほぼありません。行き止まりでなかったらそれは正解ルートで、アイテムやイベントの取りこぼしは(ほぼ)無いということです。そのために私のようにマップの全てを把握したい欲が旺盛なゲーマーにはプレイしやすいですが、一方で若干の物足りなさもありました。



 本編と関係無いですが、なぜかスクリーンセーバー機能も搭載されています。その名も(おそらく)フライングイースIV! 昔のMacintoshのスクリーンセーバーにあったフライングトースターのパロディでしょう。



 ゲームの中盤ではIとIIの舞台であったエステリアに戻ることになります。見知った村や草原を久しぶりに(私はそうでもないけど)駆け回るのはなかなかアツイ展開であったことでしょう。しかもここでフィーチャーされるのはあのリリア! 敵に狙われる立場でありながら、そんなことお構いなしにアドルを追っかけ、敵地の中心であるセルセタの樹海に勝手に突っ込んでいくという無謀の極致! リリアすごい見せ場っすなあ。

 過去作との関連性を持たせるために懐かしのキャラや村を出すのはなかなか効果的であって、ファンが作ったイースの続編という印象。これは素人くさいという意味ではなく、こういう展開があったら旧来のファンは納得するだろうというサービス精神と言えましょう。これがファルコム原案にあったものか、センス・オブ・トンキンなのかはわかりませんが、燃える展開なのは間違いありません。



 そんなリリアが敵ボスに見つかって人質として連れて行かれます。言わんこっちゃない! 敵ボスは古代に高度な文明を築いた有翼人の生き残り、エルディール。これら古代文明と有翼人の設定がこの後のシリーズの基幹となったようです。

 ちなみにこのちょっと後、リリアと引き換えに宝玉を渡せと言われるイベントがありまして、その時に「渡さない」という選択肢を選ぶと即時にゲームオーバーになります。イースではこれまでイベントの選択肢でゲームオーバーになることはありませんでした。



 リリアを助けるために、古代に有翼人と戦った英雄の霊に力を貸してもらいます。ここであの金の台座がフォーカスされるという意外な展開! 金の台座といえば、初代イースでアドルが泉で拾ってそれを換金したり(ファミコン版ではばっさりカットされたイベント)、古くは同社のアドベンチャーゲーム『太陽の神殿』でうっかり泉に落とされたりしたアイテム! それを買い戻すためにまたエステリアに行かなければならないのは面倒くさくてかなわん、と心で思っていてもなぜか顔はニンマリ。なかなかにイースファンをくすぐってきます。あれ、私はイースファンだったのか!



 前述の即死イベントで宝玉を敵に渡したら、なんとリリアは殺されてしまいます。その後のリリア復活の儀式が上の写真。これらの展開の際に、リリアを抱きかかえて移動したり、二人で走ったりなどのちょっとした例外処理による新しい要素がいろいろ入っています。もうリリアがゲームシステムやプログラムの中にまで干渉していると言えましょう。



 そしてエルディールとの最終決戦、ここでも珍しくイベント待ちのための避けに徹するプレイが必要になってきます。しかも2回も。正味の戦いはとにかく被ダメージが大きいのできっちり敵の攻撃を避けることが必須。

 ボス戦といえば、通常のボス戦とは異なり、アドル対多数の中ボスというシチュエーションも幾つかありました。これもイースとしては新しい要素です。



 ボスを倒すとエンディング。こちらは古代人のエルディールと唯一心を通わせたリーザさん。本作のヒロインの一人で、アドルがセルセタの樹海に赴くきっかけを作った人物です。悪に染まりかけたエルディールが倒れて傷心のようですが、頑張って生きてほしいものです。

 もう一人、カーナというヒロインもいるのですが、一枚絵なども無いため特に印象に残らないもよう。ちなみに武闘派。



 というわけでイースIVクリア。レベルはそこそこ上がりやすいですが、さほど頑張らなくても強い装備で先に進めるため、あまりレベル上げをさぼっているとボス戦で苦労するかもしれません。弱い敵を倒しても経験値が1しか入りませんが、ちょっと進むとすぐにちょっと強い敵が現れるので、常に経験値稼ぎができるようなバランスになっています。私のようにレベルをできる限り上げたい欲が旺盛なゲーマーには楽しいかもしれません。

 全体的に、とにかく従来のイースファンに楽しんでもらおうという姿勢で一貫した作品でした。その結果として、IIまでのイースの国とIII以降の世界との関連を示すことができたようです。エステリアに戻った時に、IとIIの村が地続きになっているのを見て思わずコーフンしてしまいましたよ私としたことが。懐かしのキャラ達も相変わらずで何よりでした。

 リリアがアドルの追っかけとして少々病んでいるような気はしましたが。

 次はファルコム純正のイースVに挑戦です。

イースIII ワンダラーズ フロム イース

2019-02-24 23:17:57 | ゲーム


 イースIIIに関しては、X68000版を発売当初にクリアしたのですが、内容をほとんど覚えていませんでした。ハードオフでスーパーファミコン版が300円(税別)で売っていたのを見たとき、イースIIIってどんな展開だっけかと疑問に思ったこともあってつい買ってしまい、いっそのことシリーズを初代にまでさかのぼってもいいかと思ってプレイし始めてしまいました。もちろんIIもプレイ済み。

 スーファミ版はトンキンハウスによる移植。ファミコンで『太陽の神殿』や『ロマンシア』を移植した付き合いです。オープニングに紙芝居風のプロローグが追加されていましたが……。



 アドルの顔がなんかヘン! ちょっと健康状態を疑ってしまいます。ドギはまあこんな雰囲気でしょうけど。

 なんでも占いによるとドギの生まれ故郷に異変があるらしいとのことで、二人で向かうことにしました。その道中……。



 にゃー!

 ヤマネコもヘンになっています。遠近感も体のつくりもヘンです。アドルの顔といい、異変はドギの故郷にとどまらず、ゲーム製作現場にまで広がっている様子。



 こちらが本来のタイトル画面。町に着くやいなやドギの幼馴染のエレナに出会い、色々あって封印が解けた魔王ガルバランを倒すことになりました。

 改めてスーパーファミコン版をプレイしてみると、印象に残らなかった理由がいくつか考えられました。そのことは後述するとして、聞きかじったところによるとこのイースIII、開発段階ではイースとは関係のないアクションゲームだったけど、会社の方針でやむなくイースの名を冠することとなったとのこと。

 確かに従来のイースとは大きく異なるゲームで、サイドビューで剣を振り回すジャンプアクションRPGになっています。舞台設定もイースという国とは無関係で、過去作から連続しているのは相棒のドギのみ。詳しくは知りませんが、後に整備された設定ではイース発祥にも関連する古代人がらみの話ということになったらしいですが。



 街を出るとワールドマップに切り替わり、行き先を指定します。するとアドルが目的地に到着する直前からスタートします。上の画像は最初の地点である鉱山へ向かうアドル。当時のファルコムはこういう大胆な雲の表現を得意としていました。



 鉱山の中では岩肌に組まれた足場と階段をアドルが駆け回る画面構成。背景には地下の滝などがあり、多重スクロールを駆使した空間的な演出になっています。

 さてこのイースIII、1989年発売当時も前作ほどの盛り上がりはなかったような気がします。どちらかというと多重スクロールが話題の中心だったかもしれません。当時は8bit PC時代の末期であり、16bit機による高度な処理が可能になったゲームが増えてきていたからではないかと考えています。イースIIIのオリジナルは例によってPC-8801mkII(SR以降)ですが、ビジュアル的にあのハチハチで多重スクロールを高速に処理しているという技術は驚異的ではあったけれど、16bit機にしてみれば「まあこれくらいはできるよね」というものだったし、ゲームとしては枝葉の部分だったのです。サイドビューで剣を振り回すARPGには『トリトーン』などの前例もありましたので(スクロールではなく画面切り替え方式ですが)、システムが斬新ということもありませんでした。



 鉱山をさくっとクリアすると、次の行き先は火山の麓。あれこれとイベントがあって溶岩が泡立つ地下に落とされてしまいました。ここはボスを倒さないと閉じ込められたままの場所ですが、無限に薬草を拾うことができるので格好のレベルアップポイント。まだ序盤なのに私はここで最高レベルまで上げてしまいました。

 もちろんここの背景も多重スクロールです。8bit PCでの多重スクロールの重ね合わせ処理のやり方としては、近景やキャラごとにマスク用の「型」を別途用意しておいて、bit演算によって遠景を型でくり抜いた後に近景やキャラのパターンを順次足し合わせて表示しています。そんな手間のかかる処理をハチハチが画面の広範囲に対してリアルタイムに行っていた、というのが本作最大のみどころだったような気がします。逆に言えば、私がプレイしたX68000版では普通のゲームだった印象。時代の変わり目に限定された賞味期限付きの味わいだったのかもしれません。



 その後は雪山をちゃちゃっとクリアして、ガルバランを復活させようとする領主がいる城へ。時計台(?)の中では歯車を足場にしてルートを探ります。

 プレイしていてここらへんで感じたのは、「なんか単調だなあ」ということです。サイドビューですから基本的に左右移動が主体になります。それに上下移動を加えようとすると、どうしても舞台は地下の洞窟とか建物の中ばかりになってしまうのです。それに経験値制を導入しているということは、戦闘がひっきりなしに行われるということで、高度なアルゴリズムを持つ敵なんかと戦うのはしんどいために動きが極めて単純になっているのです。その割には剣を振るアクションをするためにボタンを押さねばならず、単調でありながら面倒くさいという印象になってしまっています。従来のトップビューだったら上下左右自在に動き回れ、体当たりだけで戦闘できたのに、と感じてしまいます。



 城をクリアすると次は舞台はもうガルバランの島でした。行き先は計5箇所ということで非常に短く、これまた印象に残らなかった理由の一つでしょう。

 ここでの画面効果は斬新で、アドルの位置にかかわらずサーチライトのように画面の一部が照らされるというものです。まあここにはその効果の特性を活かした謎解き(通路探し)がありますが……。

 もう一つ印象に残らない理由として、ワールドマップの存在そのものが挙げられるでしょう。従来のイースではステージが全て繋がっていて、アドルが自分の足で冒険したという実感がありました。ワールドマップで行き先指定すると、どうも目的地までタクシーですっ飛ばしたような感覚になってしまい、冒険したという印象が薄いものとなってしまっているのです。もちろんアドルの足跡を全てゲームとしろというのは無意味でしょうが、前述した単調さや短さを補うことはできたかもしれません。



 そしてまた色々あって最終ボスのガルバランとの戦い。スーパーファミコン版のこいつはどえらく強かったですね。ガルバランが弱点を露出したときにジャンプして剣を振ってダメージを与える手順なのですが、地面が上下動をしているためにジャンプ最高高度が安定しないのが難しさの原因。地面が上に動いたときにフルにジャンプするとガルバランに突っ込んで大ダメージ、それを恐れてジャンプを抑えてしまうと地面が下に動いたときには空振りして長期戦、そのうちにダメージ蓄積と集中力切れで負け続けでした。弱点露出の時間が短いのに対し、ガルバランの攻撃を避け続ける時間が非常に長いのもしんどさの要因。

 私の場合は使えるアイテムを全部使い、攻撃可能な瞬間を狙ってパワーリング(攻撃力を高める指輪)を装備するという短期決戦でなんとか勝つことができました。いちいちリングを付けたり外したりするのが面倒ではありましたが。そしてエンディングを迎えますが……。



 あいかわらずアドルがグロッキー状態! ドギの方が男前です。ゲーム中にかなり活躍したエレナが追いかけてきました。



 旅立つ二人を見送るエレナ。このグラフィックはなかなか良いですね!



 え? 誰? ていうか何? エレナの絵柄にも異変が出始めたようです。

 というわけで無事イースIIIもクリア。文中では批判的に書いてしまいましたが、実際には結構本気でプレイしており、十分に楽しむことはできました。イースシリーズはV以降で剣を振るアクションが中心になったらしいですね。また、イースという国との関連も問われなくなったようで、これらの意味で本作はイースを拡張するために必要な実証試験であったのかもしれません。

 次はスーパーファミコンのイースIVに挑戦です(本記事を書いている現在、最終ボス手前でセーブ)。

イースⅡ

2019-02-11 21:56:45 | ゲーム


 私はイースIIが好きではありませんでした。(またこのパターンか?)

 とは言っても、もうこのシリーズはアドル・クリスティンのものであると諦めはつきましたし、前作イースの半端なエンディングの続きも気になっていましたし、何よりPCショップのデモが革命的なクォリティだったため、X1turbo版のイースIIを発売直後に購入したのでした。

 そしてプレイを始めると、どうにも地下迷宮みたいな狭くてゴチャゴチャしたマップが多いのです。そんな雰囲気をしんどいなあと感じていると、終盤になってサルモンの神殿+地下水路という複雑&広大なマップにうんざりしてしまったのです。もちろんその後クリアして素晴らしいエンディングも味わいましたが、なんか再プレイする気が起きずに1回クリアしただけでお腹いっぱいになってしまい、それっきりプレイすることはありませんでした。

 そして先日、ファミコン版の前作イースをクリアしたので、その勢いでイースIIももう一度クリアしようじゃないかと考えた次第であります。



 ファミコン版の前作はチープなアレンジが目について、オリジナルのPC版を見直すきっかけになりましたが、ファミコン版の本作はなかなか忠実に移植されています。アニメーションを多用したオープニングも、尺は短くなっていますが頑張って再現されています。リリアも上の写真の通りの描き込み。



 おそらくマップは可能な限り原作に忠実であると思われます。もちろんバランスが整えられていたり画面の表示の都合で変更した部分もあるでしょうが、余計なアレンジや大胆なカットもないようです。前作に批判があった影響かもしれませんが、それはもう意地になって移植したのであろうと想像します。ところが、その意地によってアレンジの多い前作と矛盾する部分もできてしまったりしたのですが……。



 イースIIで私が一番問題視したマップの複雑さですが、序盤から廃墟や廃坑などの狭くて複雑なレイアウトで始まり、中盤の氷壁も隠し通路があったりでやっぱり難解です。前作では最初に草原で自由に走れたこともあり、それがイースのイメージともなっていたのに、どうにも狭っ苦しい地形ばかりです。その後の溶岩地帯は比較的広々と走れますが、地下空間であろう設定なので今ひとつ開放感がありません。そして終盤のサルモンの神殿と地下水路で複雑さはピークに達すると覚悟していましたが、ファミコン版ではやや楽になっていたような気がします。その理由まではよくわかりませんでしたが。

 神殿も地下水路も多層構造になっていて、2次元で描かれていながら3次元的に正確なつながりとなっており、よくもまあこんなマップを作ることができたと今になって感心しました。30年前も、正確な構造を把握しないと気が済まない私としては同じところを納得するまで何度も通ったりしたため、非常にプレイに時間がかかっていたのでした。ファミコン版にはある程度の省略や変更があったのかもしれません。だとしたらそういう調整は大歓迎です。

 蛇足ですが、PC版のプレイ中にこの地下水路で流れる音楽をあまりに聴きすぎてトラウマレベルになりました。ところが改めて聴いてみると、同社のソーサリアンの「呪われたクイーンマリー号」の船内BGMと構成がそっくりなことに気づきました。この曲は私がソーサリアンでベスト3に入るほど好きな曲なので、ゲーム音楽の好き嫌いにはプレイのシチュエーションも大きな影響を与えるんだなあと強く認識したのでした。

 イースII独自のゲーム性としては魔法が使えることが挙げられます。とくに戦闘に関してファイヤーの魔法は強力で、魔力消費量が少なく、アイテム装備によっては敵に向かって誘導するようになります。ボスもファイヤーで倒すことが前提となっているようです。まあ私はあまり使わず、終始「半キャラずらし」が主力でしたが。イースのゲームとしての面白さはテクニカルなボス戦だと考えていますが、ファイヤー使用を前提とした本作のボス戦はほとんど印象に残らず、ちょっと残念。

 謎解き要素は多いですが、何かありそうな場所で使えそうなものを使うのが基本パターンです。もう一つのパターンは、モンスターに変身できる魔法を入手したら敵と会話をすることができるようになり、そこで情報を得るというものです。この時の装備の付け替えが意外と面倒くさかったので避けていたら、幾つかの場所でいつまでもフラグが立たなかったということもありました。過去のプレイも覚えていなかったし。こういうのは総当たりするのは大変なので、ゲーマーとしての勘が必要なところですね。私もまだまだ未熟です。



 イースIIのキャッチコピーは「優しさから、感動へ。」であったと記憶しています。本作の「感動」の具体的な部分は、終盤の鐘つき堂イベントの盛り上がりとか、最終ボス直前にみんなが応援して送り出してくれることとか、エンディングでみんなが褒めてくれるとか、使命を帯びた女神との別れなどのことでありましょう。身も蓋もない言い方ですが。それでも「自分よく頑張った!」と言えるゲームは良いゲームなのです。

 ちなみに上の写真の鐘つき堂はゲーム中でイースが天空に浮いていることを示す唯一の場面ですが、もっと随所で天空感を出して欲しかった気がします。地下深くに潜っていったら急に視界が開けて雲が見え、はるか眼下に地表が広がっているとか、イースの根っこ部分に架けられた吊り橋や梯子を渡っていくとか。最終ボス直前もいつの間にかイースが地上に降りていることになっていて唐突感があります。イースが地上に降りた瞬間が(あとになって)わかるような効果やイベントあったらよかったのに。

 最終ボス直前のイベントでアドルが銀のハーモニカを渡されるというのがありますが、ファミコン版の前作では銀のハーモニカ関連のイベントが丸ごとカットされていて、ファミコン版しか知らないと「何の話?」となってしまうのでした。返す返すも前作で変なアレンジをしないで欲しかった……。



 最終ボスとの戦いは、持てるものを全て使い切るようなものになります。PC版では背景に巨大な炎のアニメーションがあって、ものすごい迫力でした。



 そしてエンディング。2人の女神、6人の神官の子孫たち、ついでにリリアが大集合。神官の子孫のうち2人は前作に登場しており、イースが地上に戻ったためにやっと6人揃うことができたという設定。神官の子孫だったという説明がない人物もいるようですけど。女神であるヒロインのフィーナとはお別れになりますが、ここでも前作での「フィーナの影が非常に薄い」というアレンジによって「なんでこんなに大層なお別れなんだ?」と思うことでしょう。



 そして地上へ。アドルの最初の冒険はこれでおしまい。久しぶりに観たこのエンディングで「イースをアドル・クリスティンの冒険として認めようじゃないか」という心境に至ったのでした。



 というわけで、アレンジ前作との齟齬がいくつか発生してしまったのはやや残念ですが、とにかく気迫のこもったできうる限りの忠実な移植であり、ファミコン特有の「軽さ」もなく原作に近いプレイ感覚がありました。もちろん原作が完璧だと言うつもりはありませんが、私にとっては全く違和感がなかったのは間違いありません。そして私は30年越しでようやくイースIIを受け止めることができたようです。次はスーパーファミコン版のイースIIIに挑戦です(最終ボスが強くてかなわん)。



 おまけでオープニングの比較



 上は原作となるPC-8801mkIISR版。当時の8bit PCだと、こういうアニメーションはメモリを食いまくるし、ハードウェアスクロールなんてできないのが普通なので、ここまでやるオープニングはなかなかありませんでした。音楽も高性能サウンドドライバによってかなりの表現力を持っているし、曲想も当時のゲーム音楽では聴いたこともないほど先進的でした。



 こちらはファミコン版。冗長な部分はばっさりカットされていますが、相当頑張って再現しています。

 ところでリリアってなんだったんでしょうか。IIならではのヒロインなのでしょうが、そもそもI〜II通してフィーナが話の核心だし、エンディングではなんかお邪魔虫っぽかったし。IIの直後の話だというIVにも出てくるのかな? そうでないとあまりに不憫や……。

イース

2019-01-30 23:37:24 | ゲーム


 私はイースが好きではありませんでした。

 イースがPCで発売された時、私は高校生でした。発売以前からPCショップに入り浸ってPC-8801版のイースの店頭デモを食い入るように見ておりました。美麗でなめらかなグラフィック、FM音源とPSGを駆使した勇ましい音楽、高速で動作している高度なプログラミング技術など、いくらでも見ていることができました。

 そして私が持っていたPCであるX1にイースが移植され、直ちに買いに行きました。パッケージを開けたらハードカバーの豪華説明書が入っており、驚きました。ところが、その説明書にはこう書いてあったのです。

 「アドル・クリスティンの冒険譚」と。

 これを読んだ時にプレイ意欲が急激に萎えてしまったのです。「私はアドル・クリスティンではない」「主人公がアドル・クリスティンならプレイヤーはいったいなんなのか」と。私がどれほどゲームの中で頑張っても、全ての手柄はアドル・クリスティンとやらに持って行かれるのです。誰がどんなプレイをしたところで、「アドル・クリスティンの冒険譚」以上のものにはならないのです。

 イースとはプレイヤーの関係ないところで勝手に進むものなのかと落胆して、その時からずっと私はイースが好きではなかったのでした。もちろんX1版を何度もクリアしました。プレイのわかりやすさは「優しさ」を売りにするだけありましたし、グラフィックや動作もPC-88版同様の出来で、PSG3音による音楽も独自の良さがあって素晴らしいものでした。その後、X1turbo版のイースIIとX68000版のイースIIIもクリアしました。これくらいやり込んでいても、イースに対しては「よその子」のような印象をずっと持っていたのでした。

 ではなぜ今になってファミコン版をプレイしようかと思ったかといえば、スーファミ版イースIIIを324円で買ったからです。じゃあせっかくだからIIIまでのシリーズ一通りおさらいし、IV以降もスーファミ版でプレイしてみるか、と考えたのでした。まあ深い意味はないし、あれから30年ほど経過した今なら変なこだわりも薄れているだろうと。



 というわけで初代イースをプレイしてみると、いきなり見慣れないフィールドです。マップが結構アレンジされており、謎解きも追加されているようです。ところがどれもこれもチープなアレンジや謎解きばかりなのです。戦士の像に触れるとワープしたり、森の中の結界に入ると先に進めたり、あってもなくてもどうでもいいのならまだしも、原作のコンセプトぶちこわしのアレンジばかりという印象。



 例えばこのクレーターへ向かう山道。原作ではなめらかに続く一本道でしたが、ファミコン版ではグニャグニャ、ごちゃごちゃとしたマップになってしまっています。このアレンジは限られたメモリで変化に富んだマップを作ろうとしたからだと考えられます。四角いマップ内を無駄なく使おうとしたらこうなるでしょう。ところが原作ではメモリ効率を無視し、あえて無駄の多い一本道マップにすることによってクレーターの広さと高さを表現し、プレイヤーに強烈なイメージを与えることに成功していたのです。だからファミコン版ではクレーター感が希薄になってしまっており、実に残念なのです。



 クレーターのへりには神殿が建っており、フィーナという女の子が閉じ込められているのは原作同様。ですがこのフィーナに関して原作ではボツになったと言われる最終ボスのネタバレセリフが最後に出てくるのがファミコン版独自の価値かもしれません。



 この画像はファミコン版独自イベントの一つ。廃坑へ辿り着くための謎解きですが、どうにもとって付けたようなお使いイベントです。



 廃坑でもチープな謎解きが挿入されます。石版になにやら書いてありますが、この指示通りに町の外壁の扉をくぐるというものですが、どうにも必然性や説得力があるものだとは感じられません。とにかくこのような子供だましのようなアレンジが目立っており、非常に気になります。



 ゲームの後半はクレーターのへりに建つダームの塔の探索。原作では尺の関係で苦肉の策で製作されたらしく、アクションが中心のプレイになります。このダームの塔は原作でもどうにも冗長な感じがしてあまり好きなステージではないんですけどね。



 ファミコン版で最強と思われるカマキリボス。ボス敵の強さはイースの魅力の一つではありますが、ファミコン版のこのボスのカマの動きがかなり速く、完璧に見切るか、うまいことパターン化するかしないとかなり手こずるでしょう。指輪装備を変えてみるのもいいかもしれません。



 そして最終ボスのダルク・ファクトとの戦い。原作では足場がどんどんなくなっていくというアウェーな戦いに手に汗握っていたのですが、ファミコン版ではそれはなし。さくっと倒すと、なんとこのボスは分身だったという衝撃の独自展開! えーなんかめんどくさいなー、最後の最後までチープなことしてるなー、とか考えながらダルク・ファクトを探します。



 そして見つけたのがココ。これを見てヒド過ぎると感じましたね。ダルク・ファクト兄さんがこんな屋根裏部屋みたいなところにいるわけがないじゃないか! 魔導師の兄さんがこんな非常用梯子みたいなところを上り下りするわけがないじゃないか!と。ちょっと兄さんをバカにしすぎ。



 まあ分身と比べて大して強くもないので、さっさと倒してしまいましょう。倒すといきなり麓の村までワープして、イースの本を読んでもらうとエンディング。




 エンディングメッセージは原作と同じだと思われますが、麓の村までワープした展開とメッセージがなんか矛盾しています。うーむ、エンディングまでぶち壊しではありませんか。



 というわけでイースIIに続きます。

 とにかく原作に余計なことを付け足して良さを台無しにしてしまった、という感が強いファミコン版でした。これが初めてのイースなら全くなんの疑問もなく、十分に楽しめたゲームだろうとは思いますが、どうも私には自分で思っていた以上のイース愛があったようで、原作にどっぷりと浸かってその納得感を味わっていたのだなあと今になって自覚しましたよ。私はイースが好きではない、などとは言えなくなってしまいました。