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日野日出志「ゆん手」「山鬼ごんごろ」

2014-08-31 22:51:47 | 日野日出志
 ひばり書房刊「恐怖のモンスター」に収録されている短編2作「ゆん手」「山鬼ごんごろ」の紹介です。「山鬼ごんごろ」は日野日出志選集「地獄の絵草紙(蔵六の奇病の巻)」にも収録されています。

 「ゆん手(弓手)」とは左手のこと。主人公の少年は機関車D51の模型が欲しくてたまらず、いつかそれを手にする事が夢でしたが、3万5千円もする模型は少年の手が届くものではありませんでした。そんな少年は近ごろ左手に変なうずきを感じていました。

 ある日、少年は母親に頼まれた買い物から帰ってきたところ、買った覚えの無いチョコレートを持っている事に気付きました。母親はおつりが無いようにお金を持たせたはずなので、少年が万引きしたと考えて父親とともに叱りましたが、少年は覚えが無いと言い張っていました。それからというもの、友達の筆箱や店の商品を左手が勝手に掴んで持っているということが起こり始めたのでした。D51の模型を見に模型店を見に行った帰りにも……。



 自分の左手を潰そうとして右手に持っていた石がいつの間にか左手の中にあり、無意識に石を子供の額に何発も叩き込んで殺害してしまうのでした。その夜、少年は左手を針金でぐるぐる巻きにして縛って動きを封じたのですが、寝ている間に左手は針金をちぎって少年の首を絞め、駆けつけてきた父親も傷つけてしまい……。



 右ページの踏切の佇まいに異様なリアリティを感じます。左ページの緊張感のあるコマ割りや描き文字も漫画ならではの表現で素晴らしいです。迫り来るD51が左手の上を通過したその瞬間…………!

 夢なのか現実なのか、夢だったらどこまでが夢なのかわからないというモヤモヤした結末を迎えます。この結末といい、列車がモチーフになっていることといい、「恐怖列車」との類似点が感じられますが、「ゆん手」の方が全ての筋は通っているし、家族からの愛情も感じるし、絵柄も整理されているし、なかなかキレのいい作品だと感じます。


 もう一編の「山鬼ごんごろ」は一転して「まんが日本昔話」のような雰囲気。昔々、山奥に妖怪や鬼が仲良く住んでおりました。鬼のごんごろは山一番の力持ちで、そのうえ心も優しく皆に好かれていました。ある日ごんごろは、下界にはどんな動物が住んでいるかと疑問に感じ、下界に行ってみようと言い出します。それを聞いた妖怪の長老達は「下界には恐ろしい生き物が住んでいる」と言ったのです。



 人里近くで見かけた娘は盲目でしたが、ごんごろはその娘を一目で好きになったのでした。そこへ大蛇が現れて娘を襲おうとするのですが、それを見ていたごんごろが駆けつけて大蛇を退治し、盲目の娘はごんごろにお礼を言って共の者と帰っていきました。

 ごんごろは山に戻ったけれど、しばらくたっても娘のことが忘れられず、再び山を下りていきます。すると例の娘が子供たちとともに山に遊びに来ていました。子供たちは驚きますが、ごんごろが娘の命の恩人だと知ると仲良くなって一緒に遊びだすのでした。夕暮れ、山に帰ろうとするごんごろを娘が引き止め、ぜひ我が家でごちそうさせて欲しいと申し出ます。家の人達は驚きながらもとりあえずもてなしておりました。

 それ以来、ごんごろは村に出入りして力仕事を手伝ったりしていますが、村人は警戒している様子。そしてある日、ごんごろは娘に嫁になってほしいと打ち明け、娘は受け入れます。ところが両親は内心は大反対。村の衆と相談して娘の嫁入りを邪魔する相談を始めます。

 数日後、娘は目を治しに京の都の医者へ行くことになりました。戻って来たら夫婦になれると聞いて、喜んで京に向かうのでした。一方、ごんごろは娘の父親に「夫婦になるなら人間になってくれ、と娘が言っていた」と聞かされ、角と牙と爪を自ら切除することになりました。体力を消耗しながらも全てを切除し娘の屋敷に向かうと、父親から「娘の目は治らなかった、それで最後の願いがあるそうだ」と言われます。



 全ての力を奪われたごんごろは村人に竹槍で突かれ、絶命してしまいます。そこへ目が治った娘が京から帰って来るのですが……。

 前半のほのぼのした雰囲気が、終盤にはハードな展開になってなかなかショッキングな作品です。妖怪達に「人間が最も恐ろしい」と言われた通りの結末で、しかも人間のその恐ろしい行為は娘に対する愛情(狭量ではありますが)に由来するものです。読者は村人達の仕打ちを否定しきれないところに哀しさがあります。

 以上二編、短編ならではの緻密な展開の作品であり、方向性は違うもののいずれも後を引く読み心地になっています。


日野日出志作品紹介のインデックス

日野日出志「恐怖のモンスター」

2014-05-19 22:00:45 | 日野日出志


 ひばり書房「恐怖のモンスター」には表題作の他に「ゆん手」「鶴が翔んだ日」「山鬼ごんごろ」が収録されています。「恐怖のモンスター」は一部の書籍では「愛しのモンスター」のタイトルで掲載されているようです。実際に、ホラーというよりはコメディの部分が多いし、作中でも「わがいとしの怪物(モンスター)」とも書いてあり、その方が内容にマッチしているかもしれません。

 本作は3部構成になっています。天才科学者の腐乱犬酒多飲(ふらんけんしゅたいん)博士が海岸で魚釣りをしています。そこで「なぜこのわしが釣りをしているのか!? この謎は誰にもわからない しかしこれこそこの漫画の最大のポイントなのである」などとメタ的なセリフを吐いていると、通りがかった漁船から捨てられた腐った深海魚の死骸が流れてきました。その死骸に稲妻が落ち、超新細胞として新たな生命反応を示すのでした。なんか映画の実写版『キャシャーン』のような展開です。しかもあまり釣りには関係なかったし。

 博士は超新細胞を焼酎とどぶろくで煮込んだり、赤ん坊の型に流し込んで固めたり、ワカメのみそ汁が入った水槽につけたりしますが、十月十日経つと…。



 このように見事なモンスターに成長しました。「出ました!!」とはこのモンスターの決めゼリフで、この先で何回か現れます。ここで役割が終わった腐乱犬酒多飲博士は早くも死んでしまいます。なんだかコントのようなおかしな展開ですが、左ページ3コマ目のモンスターが異様にシリアスです。

 博士の遺体は悲しみのあまりに暴れたモンスターによってつぶされてしまいます。そして町へ出たモンスターが焼酎とワカメのみそ汁の匂いにさそわれて大衆居酒屋に入ったところ、客や店員に馬鹿にされたモンスターが暴れだし、警察や自衛隊が出動するはめになります。ところがモンスターにはまったく歯が立たないのでした。



 そして全ての人間と醜い我が身を呪ったモンスターは人間を殺してまわります。

 国会では怪物を退治する方法が審議されています。とぼけた総理大臣がのらりくらりと答弁しています。そこで示された方策とは、酒とワカメのみそ汁に睡眠薬を仕込み、眠ったモンスターをコンクリートで固めて海に捨てるというものですが、かくしてモンスターは日本海溝に沈んでいくのでした。この沈む表現が非常に詩的で、余韻が残るものになっています。

 ところがページをめくると、その余韻を引き裂くように、
  モンスターよ! よみがえれ!
     今こそ全ての怪物の聖地
        東京タワーをめざすのだ!

とのアオリ文句が! ここから第2部が始まります。

 海底でモンスターが巨大化して帰ってきたとの目撃情報があり、自衛隊が行方を追っていました。モンスターが無人島で眠っているところに自衛隊が総攻撃をかけますが全く効き目がなく、それどころかモンスターは人間達を呪っている事を思い出してしまうのでした。モンスターはある種の義務感で東京タワーをへし折り、街並を壊してまわります。国会では総理大臣に対して共産党議員が質疑をぶつけています。

 破壊を続けたモンスターはそのうちむなしさを感じ、自衛隊の兵器によって壮絶な最期をとげようと思い立ちます。



 なんとも馬鹿馬鹿しいこだわりを見せるモンスターですが、新型爆弾でも効果がありません。国会では総理大臣が「アメリカのターカー大統領の協力が得られる」との答弁。焼酎とワカメのみそ汁でおびき出され、例によって眠らされたモンスターはアメリカ製のロケットに積み込まれて宇宙に放逐されました。

 もう帰ってこないと思われたモンスターですが、第3部が静かに始まります。ここにきてコメディ路線はほとんど影をひそめ、決めゼリフの「出ました!!」が一回現れるのみになります。海の中に残ったモンスターの一本の髪の毛が海草に付着し、その毛根の中でモンスターのクローンとも言うべき存在が成長しているのでした。

 赤ん坊の大きさまで成長したモンスターが地上に現れると、一人の狂女に拾われて育てられることになりました。この狂女は以前に夫と息子を海で亡くして正気を無くしてしまったのでした。モンスターはぐんぐんと育ち、周辺の子供達と遊んだり漁を手伝ったりしていましたが、大人達は宇宙に飛ばされた以前のモンスターに似ているとの理由で避けるようになってしまいます。そして自衛隊が呼ばれる事になり…。



 こうして、何も悪さをしていない第3部のモンスターはどろどろに溶かされ、元の腐肉に戻って深海に沈んでいきました。

 第2部までパロディ的な雰囲気に満ちているため、それだけ余計に第3部は哀しいトーンに感じます。第3部で主人公が世代交代するあたり「地獄小僧」と共通点があり、どちらの作品も世代交代に伴って作品の方向性が変わっています。各部が発表された経緯やタイミングはわかりませんが、いずれも人間の身勝手さを描いている点において一貫しており、ちょっとした視点の違いでこのように印象が違うのに驚かされます。

 余談ですが、「オロロン オロロン オロロン ロン」という詩が第3部で何回も出てきます。これは「怪奇!地獄まんだら」と共通するものです。同様に哀しいお話ですが、この「地獄まんだら」で日野日出志作品に入門した私にとっては「オロロン オロロン」とあるとそれだけで込み上げてくるものを感じてしまうのでした。


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日野日出志「呪われた赤ん坊が…」

2014-03-10 22:41:03 | 日野日出志


 ひばり書房刊「呪われた赤ん坊が…」は元々「恐怖・地獄少女」というタイトルだったようで、表紙にもそのように書いてあります。タイトルが変わったりするのは貸本業界ではよくあることだったらしいですが、作品の内容的に少女の存在は地獄とは関係がないように思われます。だからタイトルの変更は納得のいくものでしょう。近年「地獄少女」というと別のアニメキャラを指すようでございますが…。

 さて、ある夫婦に双子の姉妹が産まれます。ところがそのうちの一人が世にも恐ろしい姿だったのでした。



 いきなりこの大ゴマのインパクトですが、赤ん坊がこうなった原因は全く不明。その姿を恐れた父親はこの赤ん坊を袋詰めにして、街の一角にある広大なゴミ捨て場に置いてきてしまうのでした。そして妻には双子というのは誤診だったということにして、一切の事を知らせない事にしました。

 ゴミ捨て場に放置された少女は当然ながら間もなく絶命してしまいます。ところがある時、ゴミ捨て場に発生した鬼火が一つに集まり、そこから強力なエネルギーが発せられ少女の遺体を貫きます。すると不思議な事に少女は息を吹き返し、腐りかけたその体も元に戻りつつありました。そしてその日から少女は本能に従ってゴミ捨て場で生きていく事になるのでした。

 7年後、少女は大きくなっておりました。狩りの術も身につけて他の動物を捕食し、ゴミ捨て場に君臨していました。そんな少女が遠くに見える街の灯に心惹かれて見に行くと、親子連れの姿がありました。それを見た少女には今までに無かった感情がわいてきて、親子というものを本能的に察したのでした。そしてその夜、再び鬼火が発生して一つに集まると、その中に謎の老婆の姿がありました。老婆は少女に捨てられたいきさつを伝え、人間どもに復讐せよと告げるのでした。



 ゴミ捨て場で拾った服を身にまとい、少女は再び街に出ます。



 なかなか絵になるキャラ造形と言えましょう。少女は昼間は物陰に潜んで眠り、夜には人を襲ってその肉を喰らいながら、確実に一つの方向へと足が向かって行きます。警察は総出で少女を追っており、ついに少女は足を撃たれてしまいます。血を流しながら逃げ込んだ一軒の家には同じ年頃の少女が一人眠っていました。



 その時、謎の老婆の声が聞こえます。そして「そこの少女はお前の双子の姉妹であり今まで幸せに生きてきたが、そいつの血を吸いつくせば姿も入れ替える事ができ、お前は幸せになれる」と言ってきます。そしてこの醜い少女は……。

 というわけで本作の原題である「恐怖・地獄少女」の名は有名ではありますが、あまり「地獄」には関係ないようです。「地獄小僧」は生い立ちから地獄を背負っていたと言えますが、この少女が背負っているのは「運命」というべきものでしょう。それと謎の老婆が「人間どもに対する復讐」と言っていましたが、一方で終盤では「双子の血を吸って、人間としての幸せを手に入れろ」のようなことも言っており、実際のところなんだかよくわかりません。「呪われた赤ん坊が…」というタイトルも何によって呪われたかは明確ではありませんが、老婆に代表されるような「人間によって闇に追いやられた存在」が双子の片割れを改造し利用して、「人間としての幸福」をエサに人間と闇の間で揺り動かすことで人間世界を破滅させようとした、という解釈もできるでしょう。だとすれば、少女の背負った「運命」とは闇の存在に操作されたものではありますが、そこに決着を付けたのは少女自身の意思であり、そこに読者は救いを感じるのかもしれません。

 まあ細かい部分はともかく、読後感も「毒虫小僧」のようにしんみりしていながら印象深く、絵的にも見やすくてキャラも(慣れると)愛嬌すら感じます。比較的低年齢向けの作品の中では代表的な一本でしょう。


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日野日出志「かわいい少女」「猟人」

2013-12-23 20:52:07 | 日野日出志
 実は同一のひばりヒットコミックス「ぼくらの先生」および「幻色の孤島」から、今回は「かわいい少女」「猟人」を紹介。いずれもホラー描写は少なく、どちらかというとサスペンスの要素が強いと言えます。

 「かわいい少女」では、旅の写真家が夕暮れに山間の村落を探しているシーンから始まります。なんとか村にたどり着いた写真家がしばらく村を散策していると、お寺で誰かの葬儀が行われている様子。そろそろどこかの家に宿泊を頼もうかと考えた矢先に、一匹の猫とすれ違います。どこか不安になった写真家は一軒の民家に入ると、さっきの猫がいます。びっくりしていると奥から小さな少女が現れます。



 マンガチックな絵ではありますが、日野日出志作品の中ではごくまっとうな「かわいい少女」と言えるでしょう。それにひきかえ、あえて猫があまりにもかわいくなく描かれています。少女の話によると、昔この村に猫を抱いた旅の僧侶が通りがかったところ足を怪我してしまい、難儀していたところを村人に助けられ、空き家となっていた寺で療養していました。怪我も治った頃、村人達は僧侶にぜひこの村にとどまってほしいと懇願し、僧侶は寺に住む事になってお上人さまと敬われるようになりました。

 そんなある日、村の若者の多吉が病で亡くなってしまい、年老いた母親が一人残されてしまうのでした。僧侶は多吉をねんごろに供養し、一晩中ずっと太鼓を打っていました。翌日母親がお上人さまにお礼を言いにいくと、多吉は猫に生まれ変わって50年生きると言い、母親も夜だけなら猫になって多吉と話をする事が出来るとのこと。母親は夜な夜な猫になって多吉と会っている事を村人達が聞き、その光景を目の当たりにした村人達も夜には皆で猫に変わるようになったのでした。



 そして少女の懐から出された手は猫のように毛むくじゃらで爪があり、写真家は思わず逃げ出してしまいます…。このページで少女の顔がどんどん歪んでいくのが見せ場です。

 おそらくその後、写真家は村の様子を見て少女に一本とられたことに気付くでしょう。想像力豊かな少女の話には強い説得力があって、写真家がそれに呑み込まれてしまうのが恐ろしくもあり滑稽でもあります。そしてこの少女と写真家の関係は、日野日出志と読者の関係にもそのまま当てはまるような気がします。


 一方、猟犬を連れ猟銃を持った猟人が吹雪の山を行くところから「猟人」は始まります。獲物を探していると、急斜面で握っていた木の枝が折れてしまい、猟人は谷底へ転げ落ちてしまいます。気が付くと、囲炉裏のある民家の中。奥から老人が現れて、鍋料理や酒で猟人をもてなします。老人は山奥に住んでいる事もあって時々人恋しくなるから、猟人が来てくれたのは嬉しいとのこと。おもわず二人は酒を飲み過ぎ、猟人は狩猟談義を老人にぶつけます。



 このあたりのセリフのやり取りが筒井康隆の小説みたいで、なかなか面白い展開とテンポです。絵もデフォルメ化が進行していて、一見ほのぼのした雰囲気もありますが、それでいて時々挿入される剥製の絵や暗い背景が緊張感を持続させています。

 酔いつぶれて眠っていた猟人は寒さで目を覚まします。たき火が消えていたようで、老人が薪を持って入ってきます。酔いがさめた猟人は妙にしんみりとしてしまい、老人が言うには「吹雪の音には日頃の動物達の怨みがこもっている」。気まずくなりかけたところで老人は自分のコレクションを見せようと言い出し、とある部屋に案内されたところ…。



 酒を飲みながらのやり取りを全て返されてしまいます。ここの老人の顔はいい絵ですね。目の焦点は定まっているし、影も効果的です。頭蓋骨は生々しくはありませんが、その悪意の無さが逆に恐ろしくもあります。なんでも、老人は迷い込んだ猟人達の頭蓋骨を100個集めるのが一生の悲願であり、今までに99個手に入れていたために夕べは嬉しくて飲み過ぎてしまったそうで…。

 老人は「んじゃ何かね 人間以上の動物がいれば 人間を狩猟してもいいのかやね……」と言っていましたが、老人はなにも自分を人間以上の存在とは考えておらず、むしろ動物も人間も対等だと考えているからこそ人間に銃を向けるに違いありません。それにしても二重の意味で人を喰った話と言えましょう。

 上記の両作品はいずれも山里の民家が舞台で、会話の妙で話が進行していくという共通点がありました。日本の民話と映画という日野日出志作品の原点に近いところで、サスペンス的な見せ方を追求したのがこれら作品なのかも知れません。


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日野日出志「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」

2013-11-24 22:13:41 | 日野日出志
 

 ひばりヒットコミックス「ぼくらの先生」および「幻色の孤島」は中身は全く同じ。今回はこれらに収録されている「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」を紹介。その他に「かわいい少女」「つめたい汗」「猟人」「人魚」が収録されています。いずれの作品もドロドロのホラー描写は少なく、山村や江戸時代が舞台のややソフトなものが多くなっています。

 「ぼくらの先生」の主人公は大仏先生と呼ばれていて、生徒からの人気が非常に高く、とても慕われています。授業は面白く、休み時間は一緒に遊んでくれます。また、とても動物が好きなようで、先生の家にはたくさんの動物が飼われています。



 おっちょこちょいな一面もありますし、いたずらされても怒ることはありません。街の中の捨て犬を集めて家で飼ったりするような優しい先生であり、遠足のときなどは蛇に足を噛まれた女子生徒の傷から毒を吸い出すようなこともしています。責任感も強く、自分が病気のときは父親を学校によこして授業をさせます。とにかく生徒全員から大仏先生は好かれているのです。

 ところが大仏先生自身は自分が本当に教育者としての資格があるのかと悩んでいます。というのも、先生には恐ろしい秘密があったのです。先生が子供の頃、今と違って病弱でした。ある時、縁側に出てあくびをしていたら偶然に蝶が口の中に飛び込んできました。すると素晴らしい味が口の中に広がったというのです。それからというもの、蝶はもちろん芋虫やネズミ、小鳥まで獲っては食べ、周囲が驚くほど丈夫な体になったのでした。



 この作品は最後の2ページ以外は全て独白における回想シーンで、前半は生徒達の、後半は大仏先生の独白という構成になっています。このページの右下のコマは前の画像のコマと同じ場面であり、したがってほとんど同じ絵ですが、コピーは使わずに全て手描きのようです。よく見るといろいろ違っていますが。

 大仏先生が動物をたくさん飼っているのは食べるためであり、捨て犬を集めているのも食べるためです。こんなことではいけないと考えて動物を食べるのをやめたところ、一晩で老人のような体になってしまい、やむを得ず大仏先生の父親と称して教壇に立ったこともあります。このように大仏先生はもはや生きた動物を食べなければ生きていけない体になったのです。

 そして現在、遠足で蛇の毒を吸い出すと偽って口にした生徒の血の味が忘れられず、その時の女子生徒に声をかけて……、というところで話は終わります。もちろん、この期に及んで傷口から流れる血をなめると言うだけでは先生は満足しないだろうから、連れて行かれた女子生徒は生きたまま……、と想像してしまいますが、そういう描写はされずに読者へと投げられています。

 もう一編の「おーいナマズくん」はハートフルでコメディタッチの少年向け漫画。主人公の太郎はここのところ毎日水風呂に入っています。それには秘密があるのでした。



 なんと太郎の身体にはナマズが乗り移っていました。それには理由があったのです。太郎が住む村には学校があったのですが、生徒の減少によって廃校となり、町の学校に通学することになりました。ところが太郎の名字は鯰(なまず)といい、それをネタにいじめられていました。

 太郎の村には沼があり、そこには大ナマズが生息しているといわれ、村の人々に守り神として祀られていました。このために村には鯰という名字は珍しくないのだそうです。

 夏休みに入り、太郎は沼のほとりで愚痴っていると伝説の大ナマズが現れ、情けない太郎を鍛えてやろうと言います。こうして太郎に乗り移ったナマズは夏休みの間ずっと太郎を鍛え、自信を付けさせます。そして迎えた新学期。



 いじめっこ達を返り討ちにした太郎はこの日からリア充に転向。スポーツで大活躍し、いじめっこ達とも仲良くなり、女子生徒にモテモテ。そして役目を終えたナマズは沼に帰っていく、というお話。日野日出志作品にはこのようなものが何編かあります。

 上記二編では体格や健康に恵まれなかった少年のそれぞれの解決法が描かれています。しかしながら、「ぼくらの先生」では大仏先生が良き教師になりつつも最終的には教え子さえ食料として見てしまった一方、「おーいナマズくん」のナマズは鯰太郎に対して師であり対等な友人でもある、という大きな違いがあります。ナマズも人間も対等な共存関係であると同時に、蝶も芋虫もネズミも人間も等しく食料である、というのが日野日出志作品が持つ視点と言えましょう。


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日野日出志「おかしなおかしなプロダクション」「水色の部屋」

2013-10-31 20:05:18 | 日野日出志
 ひばりヒットコミックス「わたしの赤ちゃん」に収録されている短編「おかしなおかしなプロダクション」「水色の部屋」の紹介。

 「おかしなおかしなプロダクション」はまるで赤塚不二夫作品のような絵柄のギャグ漫画。日野日出志作品の中にはギャグっぽいものもいくらかありますが、ここまで紙面が白い作品は私は知りません。



 雑誌の編集者が血野血出死の漫画プロダクションに原稿を取りにきたところ、現れたのはアシスタントの一人の女性(?)。スリッパにゴムが仕込まれており、引っ張られた編集者は入り口に置いてある花瓶に激突して顔を突っ込んでしまいます。このページの看板の血や女性アシスタントの前髪が日野日出志作品であることを感じさせます。非常に単純な絵柄ですが、構図や位置関係やセリフの前後関係について読みやすいように構図が考えられているのがわかります。

 さらに別の二人のアシスタントから暴行まがいの歓迎を受けた後、血野血出死先生が待つ作画室に入ってみると、真夏だというのにストーブが焚かれていて室温が60℃に。暑さに耐えながら原稿が出来上がるのを待っていると、アシスタント達が調子が悪いと言いながら編集者をいびり倒してきます。さらには血野血出死先生まで日本刀(竹光)を振り回しながら襲ってきます。編集者が発狂する一歩手前まで追いつめられていると、出版社の社長から電話があって編集者を激励します。



 こちらのヒゲの人こそ、大天才 血野血出死 大先生さま。編集者の飛び出した目玉に対して「ぐちゅぐちゅ」「ベロ~リ」というあたりがいいですね。手の指が全て4本に統一されているのもさりげなく不気味。そして原稿を受け取って編集部に帰ったところ、血野血出死先生が原稿に仕組んだ秘密のせいで編集者はついに発狂し、周辺を大火災に巻き込んで話は終わります。

 なんでもWikipediaによると、日野日出志は「子供時代からギャグ漫画が好きでギャグ漫画家を志すも、赤塚不二夫作品を見てとてもかなわないと挫折」とあります。この作品は赤塚不二夫に対するリスペクトが込められていることは容易に想像がつきます。そういえば赤塚不二夫の『天才バカボン』はギャグで包んでいても全体的に狂気じみていて、中には結構シュールで不気味で残酷な話もありました。そういう面も合わせ持った赤塚不二夫に感服していたのかも知れません。そういった狂気への憧れも感じる作品です。


 もう一つの「水色の部屋」はうって変わって重苦しく、狭苦しく、湿度が高い作品です。冒頭では見開きで不可思議な胎児の海の絵が示されており、そこにはこんな詩が添えられています。

 遥か……… 遥か彼方の この世の果てに 胎児の集まる 海があるという
 闇から闇に葬むられた 胎児の墓があるという 無数の胎児達が漂う 海の墓場があるという
 そして この死の海に 今日もまた 名もない一人の 胎児が流れついた



 そして産婦人科から出てくる若い夫婦に焦点が当たります。どうもこの夫婦は生活に余裕がないために苦渋の決断で堕胎をしたようです。まさに映画を意識したかのような導入部で、大変な湿気がありますが、夫婦の顔は比較的かわいらしく描かれています。ところがこの妻は堕胎した罪悪感のためか胎児の幻覚に苛まれることに。

 夫は妻の気を紛らわそうとグッピーを買ってきます。グッピーとは熱帯魚の一種で、メスは体内で卵を孵し稚魚として産むという胎生魚です。狭い水色の部屋の外は降り続く雨で、まさにグッピーのいる水槽と鏡像関係にあり、自由に子供を産めるグッピーと産めなかった罪悪感で押しつぶされる妻が対比されていくことになります。



 そして次々に産まれる稚魚が胎児に変容し、水槽を飛び出して妻に飛びかかり、ついに妻は発狂してしまいます。ただこれだけの短い作品なのですが、同じように赤ちゃんをテーマとしていても、あっけらかんとしてどこか滑稽な「わたしの赤ちゃん」を陽とすれば、この「水色の部屋」は陰であり、余計に救いが感じられません。

 考えてみると、堕胎された胎児は病院でその後どのように供養されるのでしょうか。この作品では心象風景として冒頭で胎児の海を示し、それを一種の救いとして答えとしています。余談ですが、同様の疑問はプレイステーションのホラーゲーム『夕闇通り探検隊』でも提起されていて、そこでも現実とも幻覚とも言えない回答となっていますので、興味がある方はどうぞ。


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日野日出志「ともだち」「おかしな宿」

2013-10-09 21:56:20 | 日野日出志
 ひばりヒットコミックス「まだらの卵」に収録されている短編から「ともだち」「おかしな宿」を紹介。

 「ともだち」は前回紹介した「がま」と双子のような作品。家が隣どうしのマコとサチッペは幼い頃から仲がよく、いつでも一緒にいるという、うらやましいほどのリア充。ところが…。



 このあたりの展開はなかなか昭和のホラー漫画っぽくてよいですね。サチッペも美少女だし。そしてその後、顔のできものはどんどん酷くなり、自分の顔に悲観したサチッペはマコに「他に友達作ってもいいのよ」と言いますが、マコは「たとえどんな顔になっても今までの友情は絶対に変らない!!」と言い切ります。

 けれどもまもなく、サチッペは亡くなってしまいます。マコは寂しがりますが、その夜…。



 亡くなったはずのサチッペが枕元に現れます。この日からサチッペの影が常につきまとうようになり、マコは日に日にやつれていきます。そんなある日、悪魔祓いの老婆がやってきてサチッペの霊を浄化しようとするのですが……。

 結末は「がま」と同様なものです。一方、「がま」で兄の体にイボができ始めたのはがまの怨みが原因ですが、このサチッペの顔のできものが現れたのはマコと永遠に一緒にいたいというサチッペ本人の願いがその理由なのかもしれません。このようにこれら二作はお互いが鏡像のような関係になっているようです。


 もう一つの「おかしな宿」はもともと「狂気の宿」というタイトルだったようで、コミックスのロゴを見てみると妙に不自然な修正の跡があります。原題の方が正しく内容を表してはいるのですが、「おかしな宿」と言われるとちょっと変な宿という程度を想像してしまうので、むしろ内容のショッキングさが増大するような気がします。

 都会に住む4人家族は山奥の民宿へ羽根を伸ばしにいくことになり、電車を乗り継ぎ、山道を歩いて民宿「深山荘」に到着。番頭のおじいさんに客室へ通されます。



 テーブル、座布団、湯のみ、灰皿などがいかにも民宿という感じでいい雰囲気ですが、おじいさんが最後に見せた目付きがヤバすぎです…。

 子供たち二人は宿の家畜小屋に入ってみると、たったいま捌かれたばかりのニワトリやブタが吊るされています。気味悪く思っている二人に、肉を捌いた男が話しかけてきます。その手には生きているニワトリが掴まれていますが、脈絡もなく男はニワトリの首をちぎってしまいます。あまりの不気味さに子供たちはその場を離れるしかありません。

 そしてお母さんは温泉に入っている間に斧を持った番頭に襲われ、お父さんはマムシがいる落とし穴に落下。部屋に戻った子供たちのところに宿に住む男の子がやってきますが、なぜか首をちぎられたニワトリを持っています。そうこうしているうちに、二人は捕えられてしまいます。



 この宿の一家の異様に高いテンションと喜びようが悪夢です。理由も目的もわかりません。徹底的に不条理な恐怖です。一家がおそろいの服(作業着?)を着ているのもカルトっぽさを醸し出しています。この姉弟の運命は言うまでもありませんが、今後も犠牲者は増え続けることになるのでしょうか…。

 「狂気」という言葉の差別的なニュアンスでタイトル変更があったのかも知れません。けれどもあまりにそのままの「狂気の宿」よりは、「おかしな宿」とソフトに提示しておきながら展開は最悪という方がインパクトがあっていいような気がします。

 「まだらの卵」に収録されている作品はいずれも救いがなく、恐怖が連鎖し拡散していくようなものばかりです。日野日出志作品の単行本の中でも最も絶望的な一冊かもしれません。


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日野日出志「地獄へのエレベーター」「がま」

2013-08-31 23:09:07 | 日野日出志
 今回はひばりヒットコミックス「まだらの卵」に収録されている短編から「地獄へのエレベーター」「がま」を紹介。この本に掲載際されている作品はどれも後味が悪くて素晴らしいです。

 「地獄へのエレベーター」は強烈な恐怖心を読者に植え付けた名作の一つ。舞台はマンモス団地の最上階。森本重光(13歳)は団地の野球チームに所属しており、その日は試合があるようです。



 この昭和の雰囲気にリアリティを感じますが、なによりも重光少年が死神に取り憑かれるプロセスに大変な説得力があります。まるで「機動戦士ガンダム」の第1話でアムロ・レイがガンダムに搭乗せざるを得なかったシーンのようです。会話は高密度でありながらテンポと間が絶妙で、どこの兄妹ゲンカでもあるような自然な流れで憑依されてしまいます。

 重光少年は気にせずに出かけて、エレベーターがくるのを待っています。家は15階にあり待たされたようですが、やっと来たエレベーターに駆け込もうとしたら先に乗っている人がいました。なんか不気味なものを感じていると、一瞬の間だけ停電が起きて明かりが消え、再び点灯すると一緒に乗っていた人がいなくなっています。すると、さっきまでいた人が13階から再び乗ってきて、重光少年は恐怖にとらわれます。さらに12階では老夫婦が乗ってきて、重光少年に対して死相があらわれていると言い放ちます。さらに下の階では、扉が開いたのに誰も乗ってこないのでおかしいと思って振り返ると、そこには牙の生えた少女が乗っています。ここで重光少年は妹の言葉を思い出し、次にエレベーターが止まったらいったん降りようと考えるのですが…。



 なんとエレベーターがずれていて降りることができません。しかも全員が示し合わせて乗ってきたようで、とぼけた会話をしながらも重光少年を殺そうとしているようです。逃げ場のないエレベーター内で刃物を持った人達に取り囲まれて絶体絶命ですが、もうすぐ1階に到着です。ところが扉は開かず、エレベーターは地下を通り過ぎてさらに下に向かっており、恐怖のあまり意識が飛んでしまいます。

 そして重光少年は目を覚まし、エレベーター内に誰もいないことを確認し、止まっているエレベーターから降りようとすると………。

 とにかく密室のエレベーターというシチュエーションで起きたら嫌な出来事の連続で、団地住まいの読者には大きな恐怖を与えたと思われる作品です。妹の言葉が尖っているのに対し、死神とおぼしき連中の言葉遣いはなぜかとぼけており、それがかえって強大なプレッシャーを発しているのです。日野日出志作品の中でも本作が印象的だと感じる人も多いかと思われます。


 もう一つの作品「がま」も兄弟のシーンから始まります。



 急に飛び出してきたがまがえるに驚いた兄は思わず木の棒で打ちつけてしまいます。そして驚かせた罰だということで、瀕死のがまがえるをおもしろ半分に解剖してしまいます。

 ところがそれ以来、兄の体中にイボができ、それらが増え始めたのです。弟はあのがまのたたりではないかと恐れます。そしてある夜…。



 がまの大群に兄は襲われて……、と思ったら悪夢だったのか幻覚だったのか、がまの姿はありません。このあたりの精神が蝕まれていく描写は日野日出志作品の最大の特徴です。このがまの大群の描写も生理的な嫌悪感を与えるもので印象的。

 兄は頭痛を伴うようになり、病院のレントゲンで診てもらったところ頭にふしぎな影があるとのことで開頭手術をすることに。手術室の前で待つ弟が見たものは、病院の池から手術室に向かうがまの大群。そして手術中、兄の頭蓋の中から出てきたものは………。

 その後、今度は弟の体にイボがあらわれ、手術を待つことに……。

 このように非常に読後感が悪く、それだけにホラーとして見事だと言える二作ですが、そこから何らかの教訓を得ようとするならその答えは簡単で、「人に対して呪いの言葉を吐くな」「生き物をおもちゃにするな」といったことが言えるでしょう。最近は「はだしのゲン」の騒ぎがあり、漫画の描写が持つ力が注目されています。これに伴って、ホラー漫画等における人間の暗黒面の描写にも目をそらすべきでない、という言説もちらほらと目にとまります。もちろん漫画が全て教育的になる必要なんてありません。しかし、恐ろしいものを恐ろしく描写し、残酷なものを残酷に描写することは、恐ろしさや残酷さを伝える効果的な方法でしょう。恐ろしいものを明るく、残酷なものを小奇麗に描写する方がよほど歪んでいると言わざるを得ません(もちろんその歪みを表現した「大人向け」の作品もありますが)。


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日野日出志「恐怖!! ブタの町」

2013-07-28 21:34:47 | 日野日出志


 珍しく画布のマチエール(材質感)がある表紙絵の本は、日野日出志作品の中で最大の問題作と思われる「恐怖!! ブタの町」。何が問題って、その結末がまったくもって意味不明なのです。最初からこの結末を想定して描いたのか、それとも収集がつかなくなって適当に描いたのか、深い意味があるのか無いのか、さっぱりわからないのです…。

 ある晩、けん一少年は寝つけないでおりトイレに立ったところ、遠くから妙な者達が近づいてくるのを目撃します。



 まったくもって、いきなりな展開ですが、この左ページの絵はとてもかっこいいですね。月の中で光る斧の刃、背後から月明かりを浴びたシルエット、謎の軍勢の不気味さ、もうこの絵を描きたいばかりに作った話なのではないかというくらいです。

 けん一は屋根の上に逃れて見ていると、やって来た連中は住民達を捕まえてまわり、時には反抗する人を殺すこともしています。そしてなぜか、連中はけん一がいなくなったことまで把握しているようです。けん一は町外れの廃屋に一晩身を潜め、翌朝高台から眺めると町は瓦礫と化しています。けん一は絶望を感じつつも態勢を立て直し、連中の目を盗んで家族や近所の人々に会うことに成功します。話によると、連中は悪魔であり、捕らえられた人々はブタにされるとのこと。そのことがよく理解できないけん一でしたが、ある日、多くの処刑道具が瓦礫の町の広場に運び込まれ…。



 ブタになることを拒否した人々が見せしめのために残酷な殺され方をされてしまいます。けん一は助けを求めるために町を出ようとしますが見張りが厳しくて脱出できません。そうこうしているうちに、捕らえられた住民達の精神は限界を超えてしまったようで…。



 悪魔達はブタを労働力として建物を造っています。そして町を出ようとしていたけん一の秘密の隠れ家が悪魔達に見つかってしまい…。



 けん一は建物のてっぺんで意外なものを見たうえ、さらに悪魔達の信じ難い素顔を目の当たりにします。その瞬間、けん一は全てを理解し………、というところで話は終わります。ここでは結末をぼかして書きましたので、この本をお読みでない方はいったいなにがどうなったかさっぱりわからないだろうと存じますが、本を読んだ私もさっぱりわかりません。このことが本作を最大の問題作たらしめているのです。

 以下ではある程度ネタバレになるのは承知の上で、結末に対しての解釈をしてみます。ざっと3つほど考えてみました。

 その1 けん一の深層心理が悪魔として具現化した
 その2 悪魔の一人が人間の恐怖をモニターするために人間(けん一)になりすまして生活していた
 その3 悪魔はもともと定まった姿がなく、戦うけん一を力と知恵のある人間の代表とみなし、その姿をコピーした

 その1は「毒虫小僧」で示したものと同様ですが、本作の場合は悪魔の来襲以前のけん一の描写がないために、今一つ説得力がありません。彼が心に抑圧しているものがあるとも思われません。

 その2はほとんど漫画版の「デビルマン」の飛鳥了ですね。人間が最も恐怖することを知るために自ら人間(飛鳥了)となったサタン。これと同様かとも考えましたが、どちらかというと悪魔が先手を打っていたようなので、これも疑わしい解釈です。

 その3は海外SFにありそうな感じのものですが、これにしたって、けん一が「全てを理解する」という理由がありません。

 このようにまったく意味不明で説明不能の結末なのです。なにかうまく説明がつくような解釈はないものでしょうか。それとも「解釈」とか言っていること自体が見当違いの恐怖ポイントがあるのでしょうか。あるいはやっぱり最初の画像のページを描きたかっただけで、深く考えずに作られた話なのでしょうか。やっぱりわかりません…。


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日野日出志「セミの森」「マネキンの部屋」

2013-06-25 21:27:33 | 日野日出志
 今回はひばりヒットコミックス「まだらの卵」に収録されている短編から「セミの森」「マネキンの部屋」を紹介。両作品とも大群に襲われるという共通点があります。


 「セミの森」ではセミの大群が襲ってくるという点が珍しい展開ですね。普段はセミに対して恐怖を感じることはまずありませんが、考えてみると樹液を吸うセミの口の針は凶器にも感じます。それに、あまり飛ぶのが上手とは思えないセミが襲ってくるというイメージに生々しさがあります。

 慎一と姉は毎年夏に別荘で過ごしていますが、この年はセミが大発生しているようです。



 優雅でいかにも楽しそうな夏休みですが、姉はもともと虫嫌いで、セミの抜け殻が気になっているようでした。慎一が再び昼寝をしていると、姉の叫び声が聞こえ駆けつけてみると、人間ほどの体長の巨大なセミが姉の首から血を吸っていました。姉を助けようとしたところ、巨大なセミは実は通常のセミの集合体であることがわかり、とりあえずは追い払うことができました。

 その夜、別荘で休んでいる二人のもとに、突然昼間のセミの大群が襲ってきました。



 動きのある始めのコマが恐怖を煽ります。最初の画像と比べて、二人の様子もやつれている感じが出ています。翌朝、気を失った慎一が気付くと、姉の姿がありません。森ではセミの声がまったく聞こえなくなっていたのでした。それから慎一は姉を捜し続けていましたが、三日目の晩に姉がひょっこり帰ってきました。慎一はホッとして眠るのですが、真夜中に姉がやってきて……。

 さて、なぜセミが姉を狙ったのかはよくわかりません。慎一よりは若々しいエネルギーにあふれているからかもしれません。あるいは最初にセミに対して気味が悪いというようなことをつぶやいたから、その恐怖心が付け込む隙をセミに与えたのかもしれません。

 ところで、セミは実際に大発生するメカニズムがあるそうです。セミは種によってお互いの発生に影響されないように、13年や17年などの周期で成長するものがいます。お互いにかち合わないような長い発生周期を持つことで大発生のリスクを小さくしているとのことです。セミが種によって住み分けているということは、種の間で何らかの意思疎通があったとも言えるわけで、大発生の非常事態にリスクの低下と新たな進化を求めてセミ達が一致して慎一の姉を襲ったのではないか、なんてことも考えてしまいました。


 「マネキンの部屋」は一転して都会の真ん中でのお話。少年のお父さんはマネキン人形を作る技術者で、家はマネキン人形の工房でした。少年の母は病死しており、父が母そっくりのマネキン人形を作ってそれに語りかけていました。家には身元不明の老婆が家事手伝いとして住み込んでいました。父は自分が気に入ったマネキン人形は手放さず、専用の部屋に並べていて、少年がその部屋に入るのを禁じていました。

 ある日、少年がその部屋の前を通ると何やら話し声が聞こえました。気になって入ってみたところ、マネキン人形の一体にぶつかってしまい、倒れた衝撃で人形の首がとれてしまったのです。そしてその夜から少年の身に恐ろしい出来事が起こるのでした。寝ている少年を、そのマネキン人形が襲ってきたのです。



 この右ページ最後のコマの笑い顔や、砕かれてもなお不敵に見上げる顔が禍々しすぎで、とても印象に残る見開きページになっています。

 次の日の夜中、トイレから帰ってきた少年を、今度はマネキン人形の集団が襲いかかります。



 はりついた笑顔の集団が襲ってくるこの絵面も恐ろしいものがあります。大ゴマの混乱した構図にもスピード感があります。

 当然、少年は父にこっぴどくしかられるのですが、三日目の夜にはバラバラにされたマネキン人形のパーツに襲われてしまうのでした。

 この事件の間、少年がマネキン人形に襲われる現場を見た者はいません。父や老婆の目からすると、少年が一人で人形達に対して暴れているように見えたでしょう。全ては少年の妄想か幻覚だったと言うこともできます。仮にそうだとして、じゃあなぜそんなものを見たのかというと、父の歪んだ愛情や日常風景を思い返し、ジワリとした恐怖を感じるのです。


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