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個人的2011年

2011-12-31 13:47:40 | 日記
 2011年は大変な年になりました。昨年の大晦日には「中国や北朝鮮や民主党が日本の危機を招いた1年」と書きましたが、今年は地震、津波、原発事故、台風が日本を襲い、ついでに韓国までもが日本へのゆすりたかりを強化してきました。民主党政権はこれらに対し後手にまわるどころか悪化させるような対応ばかりでした。その上、消費税やTPPについては国民の議論をまるで無視した独裁を進めております。民主主義を無視した民主党を民主的から政権を返上させるにはどうすればよいのでしょうか。というわけで今年も恒例というわけではないのですが、去年と同じフォーマットで「2011年個人的10大ニュース」をまとめます。


1. 東日本大震災、原発事故、台風が日本を襲った
 3月11日に東日本大震災が発生した瞬間、ここ奈良もゆっくりと大きく揺れました。すぐさまテレビを見てみると東北で巨大地震が発生したとのこと。その後テレビにかじりついていると、次々と入る悲惨なニュースと映像。津波に飲み込まれていく町、爆発した原発建屋、災害や事故に立ち向かう自衛隊員とアメリカ兵。これらのことがあって、私も何かできることがないかと考えるようになり、その後の仕事探しの方針も変わることになったのでした。夏の終りには台風が猛威をふるい、奈良県や和歌山県では大変な被害が発生しました。ここ奈良市内は幸いにも大きな被害はありませんでしたが、同じ県内ということで安否を気遣う連絡をいくつかいただきました。震災も原発事故も台風も被災地の復興はまだ進んでいませんが、私にできること、それは仕事として関わるだけでなく信頼できるところに募金したりデマを広めないことなども含め、継続していきたいですね。

2. 仕事に就き、3ヶ月で辞め、再び仕事に就いた
 昨年夏まで勤めていた研究所を辞めたのは日本の工業に直接関わりたかったためですが、震災があってからは、日本が大変な時にのんびりしていられないという焦りと、自分が離職していたのも天命かもしれないという思いがわき、4月には職が決まりました。そこはタービン等の部品を作る企業であり、原発事故を受けて新たな発電機が必要な状況で力になれるかと考えておりました。ところが体調を大きく崩してしまい、3ヶ月で辞めることになってしまいました。その後は役に立てなかったとの思いによってさらに体調が悪化したような気がしました。もともと私は潰しの利かないバックグラウンドを持っているため再度の職探しも困難ではありましたが、縁あって現職をいただくことができました。福島の問題にも関わる業務をしており、私のバックグラウンドとなる知識も必要とのことなので、精一杯頑張りたいと思います。なんとか年内に決めることができたのは幸運でした。

3. 体調が悪かった
 前職は結構な肉体労働でしたが、それでも仕事のきつさだけなら耐えるつもりでした。ところが通勤時間の長さが致命的で、昨年のこの時期の体重は64kgだったのに58kgを下回る程まで落ちてしまい、目眩や立ちくらみ、動悸でフラフラになってしまい不本意ながら退職することにしました。しかも作業中に右手中指をハンマーの柄と装置に思いっきり挟んでしまい、爪が根本から取れてしまいました。退職後、心身ともに充実させるために生駒山を越えようしたら、山道で転んで左腕を強く打ち付けて痛めてしまいました。現在は爪も腕も治り、目眩と立ちくらみもほとんど無くなりました。再就職してからは動悸もかなり減ったような気がします。

4. Twitterはじめた
 体調が最悪だった時期、このままズブズブと沈んでしまうのはマズいと考え、人目について自らをコントロールするためにTwitterを始めました。現在は通常のつぶやき地獄の日野日出志botを登録しています。本来ならば発信したい情報があり、それを拡散する手段として使いたいところですが、私にはその見識も技量も無いために極めて個人的に使っています。それでも失業中に世の中から遠ざかっているという恐怖を大幅に軽減できたのはありがたい効果でした。そういう使い方のためにあまりつぶやかず、多くの方をフォローしてはいませんが、今後うまく使っていきたいところです。

5. 伊勢参りをした
 今年は遠出をほとんどせず、東京にちょっと出かけた以外は伊勢参りをしたのが唯一の旅行でした。周辺の賑わいと境内の神霊的な雰囲気は大変印象的でした。一泊でしたが名物料理もちょっとずついただいて、就職活動がうまくいかずにくさっていた当時の自分にはいい気分転換になりました。時々行きたいところですね。

6. 「チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV」をプレイした
 プレイステーションの「チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV」をプレイし、その経過をブログに連載しておりました。もともとブログでなにか連載のようなことをしてみたくて準備をしていたのですが、ちょうど震災が起きてしまい、ブログを書く気分が消沈してしまいました。けれどもたまたま奥州藤原氏でプレイを始めていたので、東北支援という意味も持たせ、少しでも気分を明るくしたいと考えてプレイと連載を続けました。源義経とチンギス=ハーンが協力して世界制覇を目指すという痛快な展開になったのは面白かったです。その後も勢いに乗ってフビライ=ハーンの時代もプレイし、ビザンツ帝国が世界を治めるまでプレイしました。連載もまたやりたいのですが、なかなかマッチしたゲームの題材が我が家にないのが惜しいです。「チンギスハーン」の場合は世界史で誰もが知っている名前が出てくるから、比較的誰にでも興味を持ってもらえたのではないかと分析しています。

7. 「グラディウスIII」のA装備で1周クリアした
 ゲームネタが続いて恐縮ですが、クリアが難しい「グラIII」のA装備はかなり弱い装備で、プレイする人はほとんどいません。この装備でのプレイは途中でミスすることも多く、そこからの復活を強いられることになり、結果的にかなり上達して「グラIII」をプレイするのがかなり楽になりました。現在はC装備に挑戦していますが、さらにへっぽこ装備なので苦しんでいます。プレステ2のゲームにおいて、私のループゲームのクリア認定条件は「全装備でそれぞれ2周クリア」というものなので、その他の装備でもまだまだ苦しみそうです。思えば「グラIII」が発売された1989年からずっと22年間プレイしていたということになりますね。「グラIII」に関してはゲームクエストの投稿文もありますが、なかなか恥ずかしい文章です。

8. 奈良の店がミシュランガイドに掲載された
 なんと奈良の飲食店がミシュランガイドに掲載されました。我が家の近所にもそのうちの何件かありますが、中には「ここってそんなに凄い店だったのか」と驚くようなこともありました。掲載された店は老舗料理店というのは少なく、新たなチャレンジをしている店が星を獲得したという例が多いようです。いずれどこかの店で食事をしてみたいですね。

9. カレーに凝ってみた
 秋から嫁が仕事をするようになり、夕食はある程度私が作っていました。そんなこともあって、自然と金曜日はカレー曜日になり、いつも一ひねりしたカレーを私が作るようになりました。最初は色々と入れたりしていたのですが、結局普通のカレーが一番うまいという身も蓋もない結果になってしまいましたが…。トマトを一つ湯通しして皮を剥き、潰して煮込むのがいいですよ。入れ過ぎるとカレーが真っ赤になって不気味です…。

10. 年齢が…! 髪の毛が…!
 書きませんけど、いい年齢になりました。この歳のわりにはいつまでたっても精神が幼稚なのは自覚しています。ただ肉体は正直に歳を重ねているようで、髪の毛の一本一本が細くなってきました。ぱっと見はまだ髪の毛フサフサですが、このまま毛根が衰えてフェードアウトしていくのではないかと心配です。前職でヘルメット被って猛暑の中汗だくで作業していたのも原因の一つではないかと考えてますが、復活はするのでしょうか?


 私の2011年はこのような顛末でした。来年もまた、このブログにもおいでいただけると嬉しく思います。皆様も良いお年をお迎えください。

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今日のおまけ画像



 お恥ずかしいものですが、私が毎日嫁に作っていた弁当の一つ。その後弁当作りのスキルが上がり、バリエーションも増えました。

メリークリスますなあ…

2011-12-24 20:55:40 | 日記
 今年はあっというまに過ぎてしまって、年末という実感もないままクリスマスイブとなりました。節電のためか、街でのイルミネーションもかなり控え目な印象を受けます。我が家でもささやかなクリスマスを楽しんでいます。



 料理は昨日作ったカレーの残り、ケンタッキーフライドチキン、ローソンのケーキという結構なささやかっぷり。昔買った安いワインも一口いただきました。



 ちなみにこのネコ様は、とあるクリスマスイブに我が家にやってきたのでした。

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 仕事の方ですが、2ヶ月ほど前に応募したけど書類審査を通らなかった企業がありまして、先週そこから連絡があって、今週の月曜から勤め始めました。ベンチャー企業なので規模は大きくありませんが、独自の技術を持っているようです。被災地の復興にも関わる業務もあり、今週は関連の作業を手伝っています。

 通勤時間はここ奈良から1時間10分ほど。以前の職場(兵庫県明石市)までは2時間20分かかっていたので、ちょうど半分になりました。とても楽になりました。ただ、作業内容によっては夜遅くなることもありそうです。じっくり取り組みたいと思います。

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 体調は万全ではなく、しばしば動悸がありますが、大きな問題はありません。落ちた体重がもう少し回復するといいのですが…。

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 ゲームライフは、プレステ2の「ナイツ」と「THE はじめてのRPG」が中心。「グラディウスIV」もたまにやりますが、ほとんど義務感でプレイしている状態。ゲーセンでは「グラディウスIII」のエディット装備で1周するのが恒例になっています。今日はなぜかキューブラッシュで苦戦し、最後の一機でやっと抜けたというかなりきわどいプレイでした。グラIIIの隣には「怒首領蜂(どどんぱち)」が置いてあり、今日はカップルがわいわい言いながらプレイしていました。さすがクリスマスイブですなあ…。

カリフォルニア地質見学 後編

2011-12-17 22:14:08 | 旅行
カリフォルニア地質見学 前編の続き

 旅行日程の前半ではデスバレーからヨセミテ公園までカリフォルニアを大きく移動してきましたが、後半はサンフランシスコ周辺の見学です。



 セントラルバレーは、東はシエラネバダ山脈、西は海岸山脈に挟まれています。セントラルバレーのアトウォーターを後にし、海岸山脈で地質の見学。写真は途中で立ち寄ったサン・ルイス貯水池。手前に見える島は貯留量が減ると地続きになるようです。奥には海岸山脈の山々が連なっています。



 この日からサンフランシスコ近郊のパロアルトに3連泊。パロアルトと言えばシリコンバレーですね。路傍の休憩所に猫がいました。



 パロアルトは世界でもトップクラスのスタンフォード大学に隣接しています。この名門大学は敷地も広大で、33平方kmあるそうです。東京ドーム700個分の広さで、世界第2位。この写真は大学の敷地に入ってしばらく行くとたどり着く広場です。



 スタンフォード大学のキャンパスはきれいですっきりしており、屋根が赤で統一されています。写真の奥の右にはフーバータワーという塔があり、誰でも登ることができます。



 フーバータワーの展望台からの風景。見渡す限り大学の敷地内です。展望台には我々一行の他に日本人観光客も何人かいました。そういえば鳩山由紀夫元首相が博士号を取得したのがスタンフォード大学。この風景を見ていたんでしょうねえ…。我々がスタンフォード大学に来た目的は、地球科学の著名な教授の講義を聴くためでした。もっとも、さっぱり英語がわかりませんでしたが…。



 次の日は再び地質見学。この写真には古い時代のモホ面(モホロビチッチ不連続面)が地表に露出している現場です。モホ面とは地殻とマントルの境界面です。地殻は玄武岩でできており、マントルはカンラン岩でできていて、組成や密度が違うために地震波の速度がここで変化するために発見されました。沈み込んでいるプレートの一部が北米大陸にへばりつき、隆起したために古いモホ面が地表に現れています。この写真では中央縦(白い組織のちょっと右)がモホ面で、左がマントル、右が地殻です。岩盤の色が左右で極めて微妙に異なっています。ちなみに、よく勘違いされることですが、地殻とプレートは異なるものです。地殻は化学的な組成で区分されたものであり、プレートは物理的な挙動で区分されたものです。プレートは物理的に硬い領域で、地殻とマントルの一部が含まれています。



 次の日はサンフランシスコのベイエリアにやってきました。ここはゴールデンゲートブリッジのたもと近く。この岩石はチャートといって、太古のプランクトン等が海底に堆積して固まった非常に固い石です。ルーペで拡大するとプランクトンの殻が見えたりします。写真の人は引率の某先生。この近くで私が岩石を眺めていたところ、長さ10センチほどもある巨大なナメクジが私のズボンを登ってきており、大陸は何でもでかいなと感心でした。



 そしてこちらがサンフランシスコの代名詞、ゴールデンゲートブリッジ。そういえば先日に「サウンドブリッジ」の記事を書いたな…。



 午後はウォーターフロントの観光地フィッシャーマンズワーフで自由行動。日本人も多く、日本人の客引きが日本語で「冷やかし入店大歓迎!」と叫んでいました。



 夕方には下町の背後にあるツインピークスに移動。標高276mで、サンフランシスコを一望できる展望台がありました。市街地の向うはサンフランシスコ湾。ゴールデンゲートブリッジは写真のさらに左側。



 最後には太平洋側に出て、海辺でみんなで感慨にふけっておりました。この向う側に日本があるのですね…。



 最終日はまっすぐサンフランシスコ国際空港に向かって帰国。写真はパロアルトのホテル。旅行期間中はずっとこのようなマイカー旅行者用のホテルに泊まっていました。映っている人物はずっと同室だった友人。

 というわけで、私の最初の海外旅行は無事に終わったのでした。大陸の雄大な景観とダイナミックな地質構造、異国の文化を少しではありますが味わうことができました。カリフォルニアは日本からアクセスしやすく、気候も温暖で良いところでした。初の海外がカリフォルニアでよかった~。

カリフォルニア地質見学 前編

2011-12-11 19:22:41 | 旅行
 今回は私が初めて海外に行ったときの写真です。以前ハワイの写真を掲載しましたが、その前年にはカリフォルニアに地質見学に行きました。なんせ古い写真をスキャンしたものだから画質は悪いし、記憶も定かでない部分もありますが、久々の海外物の写真ということで載せてみます。

 カリフォルニアはアメリカ西海岸にあり、プレート境界上に位置します。しかもプレートが地球深部から湧き出しながら、その部分が北米大陸の下に沈み込んでいるという複雑なプレート境界になっています。プレートの沈み込み帯に位置しているという点では日本と同様ですが、より大規模な構造を目にすることができました。



 いきなり変な写真ですが、ロサンゼルス空港から乗ったバスから撮ったサンアンドレアス断層の断面です。ハイウェイが断層を横切っています。もちろん断層には幅があるので、この周辺一帯が断層という意味です。サンアンドレアス断層はカリフォルニアにたびたび大きな地震を引き起こしている断層で、プレートが生成するラインの間にあって断層を境に横ずれ運動が起きています。



 ロサンゼルスから北東にバスは進み、モハーベ砂漠にやってきました。砂漠といっても砂丘があるわけではなく、植物も生えています。初の海外旅行で、大陸の大きさを実感した土地でした。



 山を幾つか越えると、向うに広々としたデスバレーが見えてきました。



 デスバレーは乾燥地帯の中でも海抜高度が低く、海水面以下の土地もあります。この写真のバッドウォーターもそういう場所で、低地に流れ込んだ水はそこで蒸発し、塩分だけが地面にどんどん取り残され、一面が塩の海になっています。



 デスバレーは国立公園で、ビジターセンターもありました。砂丘の上に登ったりして楽しむことができました。



 リッジクレストという砂漠の町で一泊し、次の日は北へ向かいます。まずシエラネバダ山脈を西へ横断します。ここは山脈の南端に近いイザベラ湖。



 山脈を越えている最中にも岩石など見るものがありました。このあたりは白い花崗岩が露出しています。



 シエラネバダ山脈を越えると、セントラルバレーという広大な盆地になります。その中にあるベーカーズフィールドという町で昼食。カリフォルニア滞在中の食事の二回に一回はマクドナルドでした。バスの運転手が言うには、結局マクドナルドが一番うまい、とのことでした。けれども日本のマクドナルドよりパンがパサパサで、飲み物がアホみたいにでかいのには参りました。



 セントラルバレーを北上し、再びシエラネバダ山脈にちょっと入ったあたりの町(確かヨセミテフォークス)で宿泊。写真だとわかりませんが、西部劇に出て来るようなワイルドな雰囲気の町でした。



 次の日はもちろんヨセミテ国立公園です。ここは有名なヨセミテ渓谷。白い花崗岩に残雪が積もって、美しい風景でした。写真一番奥中央にはヨセミテのシンボルとも言えるハーフドームが小さく見えます。右やや手前にはU字谷からブライダルベール滝が流れ落ちているのが見えます。



 ブライダルベール滝を見上げたところ。落差186m。ヨセミテ公園には他にも多くの滝があります。アメリカ最大の落差の滝もあるそうです。



 この日はセントラルバレーの町(確かアトウォーター)で一泊。夕暮れ時の一枚。宿の自販機で飲み物(25セント)を買おうとしたけど買い方がわからずゴチャゴチャやっていたら、宿のお姉さんがやってきて教えてくれました。その時、売っていたルートビアって何かと聞いたら、コーラとビールを混ぜたものでチェリーコークに似ている味だと言ったので買ってみると、正露丸のような味でした。ルートビアとは石垣島で再会するのですが、初めて飲んだ時はなかなかのインパクトでしたね。

つづく

イベール:管弦楽曲集

2011-12-06 22:05:20 | CD


ジャック・イベール:
・バッカナール
・ディヴェルティメント
・祝典序曲
・海の交響曲
・交響組曲「寄港地」

指揮:佐渡裕
ラムルー管弦楽団

NAXOS: 8.554222J



 NAXOSというクラシックCDのレーベルは、メジャーではないけれど一流の演奏をする音楽家の録音を1000円程度の安さでリリースすることでシェアを大きく拡大してきました。つまり失礼な言い方をすれば、NAXOSで録音した音楽家はまだメジャーではない、ということもできるのです。もちろんメジャーであることが音楽家の価値というわけではありませんが…。

 そんなNAXOSに佐渡裕がレコーディングしたのがこのディスクです。佐渡裕と言えば日曜朝九時の「題名のない音楽会」の司会者であり、また今年にはベルリンフィルの定期公演を指揮したということでも話題になった指揮者です。現在ではいよいよ巨匠になりつつある佐渡裕が、まだまだメジャーではなかった1996年に演奏しNAXOSからリリースしていたのです。

 さて作曲者のイベールは20世紀中盤まで活躍したフランス人ですが、作風は明晰で、調性的ではありながらもモダンな、非情に耳ざわりの良い音楽です。もちろんフランス人には欠かせない「エスプリ」も濃厚です。

 私は「バッカナール」が目当てでこのディスクを購入しました。同名の曲はサン=サーンスのものが有名ですが、イベールのもそのタイトルの通りワインの神バッカス(バックス)の酒宴の踊りであり、一種の乱痴気騒ぎの雰囲気を醸しています。それでいて佐渡裕の演奏では、ざらついた部分はあるものの、いたずらに速度を上げたり大音量で圧倒したりせず、スマートなものになっています。

 収録曲全てが若さを感じさせる気合いの入ったディスクですが、私が特に気に入ったのが「祝典序曲」です。この作品は日本の紀元2600年(西暦1940年)のお祝いのために作曲されたとのこと。荘厳さを持ちながら数学のように緻密に発展していくのがとても心地よく感じます。しかも旋律が先読みできないような複雑な変化をしており、競技的ですらあります。



 YouTubeに「祝典序曲」のショートバージョンがあったので貼っておきます(本来はこの3倍くらいの長さ)。この映像は1990年8月26日に放映された「題名のない音楽会」のもののようです。佐渡裕の演奏より華やかにやってます。

 NAXOSでレコーディングしていた駆け出しの佐渡裕がベルリンフィルで指揮をすると聞いて、このディスクを発売直後に買っていた私は「立派になったもんだ」と大変感心しました(ナニサマだ!)。将来、佐渡裕がイベールの作品を録音するのなら、さらに円熟したものを期待したいですね。


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