大前研一のニュースのポイント

世界的な経営コンサルティング 大前研一氏が日本と世界のニュースを解説します。

現在のイギリスを形作った、サッチャー改革7つのポイント

2013年04月19日 | ニュースの視点

鉄の女と言われ、1979年から11年間イギリス首相を務めたマーガレット・サッチャー氏が8日、脳卒中のため死去した。強い指導力で国営企業の民営化や規制緩和を進め、小さな政府を目指し経済の自由化を実現する手腕は、他の先進国の経済改革に大きな影響を与えた。

 日経新聞に連載されたサッチャー元首相の“私の履歴書”は、素晴らしいものだったと思う。実際、彼女の記憶力、信念は素晴らしいものがあった。

 サッチャーさんは首相になった後、影のキャビネットを作った。通常は野党が作るものだが、彼女はロンドン大学教授をリーダーにすえ、そこに私のマッキンゼー時代の同僚や、ロイヤル・ダッチ・シェル、バンク・オブ・イングランドなどのイギリスの一流企業に在籍する30才から35才までの若手を7,8人集め、毎週水曜日の午後に必ず自分自身の時間をとっていた。

 そこでは、自分が出したポリシーがイギリス各地にどのように受け入れられ、どうしたら上手くいくか。またポリシーとしてどういうものを出したらいいかを、全てこのメンバーに調べさせ、議論させた。

 私も一度、日英関係をテーマに参加したが、非常にユニークだと感じた。日本の安部首相だと、年齢の高いアドバイザーを招集したり、臨時の会議や委員会を作って議論させたりする。彼女は、常設の優秀な若手7名プラス先生を集め、自分の部屋で一週間議論させ、自分のポリシーの言い方が難しくないかなど、全部若手の言いたいように言わせ、まとめていくのだ。この仕組は猛烈な効果を発揮し、サッチャー改革を支えた施策だと思う。

 また、彼女は根っからの小さな政府論者で、10年以上経済戦略研究所の副所長だった。そして、イギリス病の根治に相当な信念をもって取り組んだ。世論や朝日新聞の反応を気にする日本の政治家とはだいぶ違う。そのため潰れた産業や街もあり、恨みも買ったが、絶対にぶれなかった。

 あまりにも急な改革に反発し、彼女の罷免動議が出そうになった時があった。ですが、その直前にアルゼンチンがフォークランドに攻め込んだ。彼女は強硬な姿勢を貫き、アンドリュー皇子をクイーンエリザベス号で現地に向かわせ、陣頭指揮を取らせるということをやった。結果的に彼女は罷免されなかった。

 その後、彼女は鉄の女の名付け親でもあるゴルバチョフとレーガンの間をとりもち、冷戦終了まで持ち込んだ。その意味で、彼女は信念に基づく傑出したイマジネーションを持っていたと思う。

小泉元首相も小さな政府を提唱はしていたが、郵政改革は選挙終了とともに中途半端なまま、再官営化に向かってしまった。改革を続けることは非常に難しいものだ。BBCのサッチャー元首相追悼番組では、労働党の人が口汚く罵っていた。どうしても恨みを買ってしまうものだ。

 サッチャー改革のポイントは、民営化、財政、税制、規制緩和、金融政策、社会保障、労働組合だった。特に、税制では所得税率を83%から40%下げたのは素晴らしい。金融政策では、シティを世界金融の中心にするということもした。ウィンブルドン化を伴う施策だったが、この一連の改革がなければ、今のイギリスはトップクラスの国から脱落していたかもしれない。彼女がいなければ、あのまま衰退が続き、活力も全くなく、金融業も発展しなかっただろうと思う。

 ちなみに、現在、英景気の3番底が懸念されている。カナダ中銀のカーニー総裁をイングランド銀行の総裁へするという抜擢人事も発表している。成長率も右肩下がりで失業率もサッチャー時代の20%弱より低いが8%台と上昇し、景気はあまり良くない。ですが、EU諸国と異なり共通通貨を使っていないので、通貨調整できるので楽な面はあると思う。

 私は、イギリス人だけではなく、世界は彼女のような政治家の英知に感謝するべきだと思っている。特に、レーガンとサッチャーは非常に相性が良く、小さな政府を掲げ、お互いに徹底的な規制撤廃を行ってきた。

 日本はサッチャー革命の入り口にもきていない。サッチャー革命の前のイギリスと同じ状況だ。大きな政府へとひたすら向かっている。おそらく、サッチャー改革のなんたるかを、日本の政治家でわかっている人はいないと思う。日本の政治家がサッチャーのことを理解するのはまず無理だと思う。少なくとも、10年勉強しないと駄目だと思う。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。