まるぞう備忘録

無題のドキュメント

伊勢神宮に行って来ました。前編。

2017-12-16 11:15:04 | 今日のひとり言

 年末の押し迫ったこの時期。名古屋のお客さんとの打ち合わせが入りました。
 もう最近は出張はないし、今年は伊勢神宮に行くのは無理かな。と諦めていたのです。お陰様で今年もお伊勢参りをすることができました。
 東京在住の私ですが、名古屋か大阪に出張がある時は、半日足を伸ばしてお伊勢様に行けたらなあ。と常日頃から思っておりますの。



 今回は夕方まで名古屋にいなければなりませんので、そのあと近鉄で伊勢市移動して宿泊。翌日早朝お参りとしました。 
 今朝は、5時半頃に起きて、宿を6時過ぎに出ます。夏であればこの時間でも普通にお参りできます。しかし冬至に近いこの時期は1年で一番日が短いです。外はまだ真っ暗。夜です。明ける直前が一番暗い。宿を出て、人気(ひとけ)の無い町を20分ほど歩いて外宮に。

 手水して参道をくぐります。しかし真っ暗な外宮の参道。両側にある灯籠が参道をポツンポツンと照らしています。参拝者はほとんどおらず、森の中の真っ暗な参道を一人歩いて行きます。それは、昼間の参道と異なり夜の参道は別世界への一本道のようでもありました。

 たった一人で森の中の暗い広い参道を歩いていると、私は生まれて来た時も、そしてこれから死ぬ時も一人なんだ。そのことを改めて実感します。


 真っ暗な参道の中から現れる社務所の灯り。思わずほっとします。




 2年前まで御正宮があった場所。古殿地から北極星を望む。あいにくの曇り空ですが。


 昼間の同じ場所。ネットからお借りしました。

 私達は外宮において参拝する時、それは北極星を向いて参拝していることになります。そして聖地白山もこの直線上にあります。そうこの場所での参拝は、「参拝者─外宮─白山─北極星」という一直線の参拝なのでありました。そしてその直線は、この日本の丁度中心南北線でもあります。
 冬至の時期の早朝日の出前のこの時間。日の出前の外宮参拝。まだ真っ暗でありますが、その暗い北の空の先に北極星があるのでした。私が日の出前に外宮に参拝させて頂くのが好きな理由であります。




 だんだん日の出が近づいて来ます。一日のうちで一番空気が清く澄む時間帯であります。

 御正宮の鳥居を入ったところ左側に神官さんが常駐している小屋があります。南守衛屋と呼ばれます。
 御垣内参拝は日の出以降から始まります。空が白んで来ましたので、南守衛屋の前で日の出を待つことにしました。



 しばらくすると私と同じように正装した男性が入ってきます。
「ここは正式参拝の。。?」
「はい。そうです。」

 二人で並んでいると、その気配に感づいたのでしょう。守衛屋の中にいた神官さんが中から扉を開けて教えてくれます。「正式参拝の方でしょうか?それなら7時頃となります」
 う〜む。まだ30分ほどあります。後ろの男性は一旦出て行きました。



 またしばらくすると、また黒い正装をした女性が入ってきます。
 南守衛屋の前でたっている私に尋ねます。
「ここは正式参拝の。。?」
「はい。そうです。7時過ぎくらいになるそうです。」
 まだ20分ほどあります。その女性は一旦出て行きました。



 ただ、私はその南守衛屋の脇の場所に30分立っていました。なぜなら朝のその一番澄んだその時間帯。私は本当にその場所に立っていることが本当に心地良かったからでした。
 30分もそこで待っていなければならないのか。ではなく反対であります。私はその時間帯その空間に30分も立っていることができるのでありました。
 しかし実際体感は10分くらい。それはあっという間の時間でありました。



 7時を過ぎ日が上ったようです。空は明るく、もうすっかりいつもの朝の風景です。
 神官さんによる守衛屋縁側の雑巾がけが終わり、扉が開かれるころ、先の男性と女性。そしてあらたに高齢の女性二人組。5人が御垣内参拝に並んでいるのでした。
 わざわざ正装して。そして日の出前の時間から。御垣内参拝の方々が、これほどいるとは驚きであります。

 日本の先行きには心配な点もまだまだありますが、でもやはり、日本は大丈夫なんじゃないかと思います。この伊勢に来させて頂いて、改めてそのように思いました。





 さて、私は心が狭い人間であります。御垣内参拝で他の人と一緒にお参りになることは嫌でありました。せっかくわざわざ手間をかけてはるばる来たのであります。他人と一緒のお参りや嫌です。自分だけでこの特別な場所でお参りしたい。
 毎回のお伊勢参り、私はいつもそのように思っておりました。

 しかし今朝は違いました。我々はみんな縁ある人達なんじゃないか。初めてそのように思えたのでありました。
 この方たちとは、今まで会ったこともありません。そして今後も二度と会うこともないでしょう。しかし一緒に御垣内参拝するこの人達は、この瞬間、縁がある人達なのでありました。

 お清めを受けたあと、神官のあとについて一列になって御垣内を歩く5人。
 歩きながら私は思いました。これは今のこの世で一緒に暮らしている家族や会社の仲間たちと同じだと。今生で知り合う人達のほとんどは、生まれる前にはお互い会ったことがなく、そして死んだ後も会うこともないでしょう。でも生きているこの短い時間は、一緒に一生懸命生きて同時にこの人生を体験しています。

 そう。見も知らぬ人と参拝する。それはこの世で生きる私達そのものでもありました。

 御垣内の鳥居の前。横一列に並んだ5人。年齢も性別も職業も全く異なる初めて会う5人は、二礼二拍手一礼。息があったタイミングでありました。





 この場所で参拝するということ。その意味は本当に深いことであります。時間と手間をかけて、正装して準備して。でも参拝は一瞬であります。その時は頭が真っ白になって、もうあっと言う間に終わります。

 その真っ白になっている瞬間。実は私達は自分の心を神様にお見せしているのかもしれません。私達は神様を見たい、神様を感じたいと参拝に来るのかもしれません。しかし実際は私達が神様に心を観られているのかもしれません。

 そう。その瞬間、私達の心は素っ裸になります。何も隠せていません。人に対して誤解してきつくあたったことも。もう少し思い遣りをもってあげれば良かったということも。そんな恥ずかしいことも、ここでは何も隠せません。
 しかし、それでも、それでも、自分なりに一生懸命生きてきたこと。不器用ではあったけれど、それでもやっぱり一生懸命生きてきたこと。それも神様に観られていたのでした。私は心の中で泣いていたことでしょう。一生懸命生きてきた自分自身に対して。

 そう。その時、神様は私の素っ裸の心をご覧になっている。しかし同時に、自分も自分の心を、ありのままを観ているのでありました。

 なぜ神様としてお祭りされているのが鏡であるのか。
 それは私達が謙虚さをもって神様に向かう時、そしてその謙虚さが真剣であればあるほど。それは神様に向かうとき、私達自身が「自分自身の生き方を観る」。
 だからそれは鏡。きっと多分、それはそういうことなのでしょう。




 外宮を出るともうすっかり空は明るくなっていました。これからバスに乗って内宮にお参りです。



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