国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

浜寺俘虜収容所

2006-07-10 00:22:45 | 歴史
朝日新聞によれば、日露戦争の時の浜寺俘虜収容所(大阪府高石市)の俘虜の暮らしぶりを示す写真が発見されたという。

「日露戦争(1904~05年)で捕虜となったロシア兵が送られた日本各地の収容所のうち、最大規模だった「浜寺俘虜(ふりょ)収容所」(大阪府高石市)での捕虜の暮らしぶりを伝える写真などが、収容所長を務めた軍人の孫宅に多数保管されていたことが分かった。専門家は「当時の収容所生活を伝えるまとまった史料は少なく、非常に貴重だ」と話している。」
日露戦争当時、高石に収容所 捕虜生活の写真発見
リンク先にはその写真が五枚示されている。リンクが切れないうちに是非ご覧いただきたい。

「「高石市史」によると、旧高石村の海岸部約26万平方メートルの土地を借り上げて捕虜収容所が設置されたのは、旅順陥落直後の1905年1月。最も多い時期には、同村の人口の8倍にあたる約2万8千人以上がここで生活していた。当初は木造バラックの建設が間に合わず、一部の捕虜はテントに収容されたという。収容所内には病院や礼拝堂なども設けられた。
 終戦に伴い、1906年2月に捕虜の送還が終了して閉鎖された。跡地は現在は住宅地や公園になっている。」

 私も数年前に行ってみた。浜寺俘虜収容所の痕跡はほとんど何も残っていない。ただ南海電鉄・高師浜駅前に次のようなプレートがあっただけであった。


プレートには次のように記されている。

「浜寺俘虜収容所跡 明治37年(1904年)より始まった日露戦争では、多くの俘虜が日本に連行され、翌年1月第4師団司令部により、ロシア人俘虜収容所が設置されました。その範囲は紀州街道西側の北は芦田川から南は王子川に至る地域で、大部分が高石村の土地でした。 当時高石村の人口は約3、500人で、収容された俘虜は約28、000人であり、村人にとっては大きな出来事でした。その後俘虜は、明治39年(1906年)2月までには、全員ロシアに送還されました。
 現在も高師浜2・4丁目、千代田2・4・6丁目一帯に残る整然とした道路は、俘虜収容所の区画の名残と言われています。 1995年3月高石市」

 また高石市から南の泉大津市の市営墓地の一角にはロシア人墓地がいまだにきれいに整備されている。そこには収容所所長の隈部潜少将が記した記念碑がある。



碑文は次のように読める

「魯国俘虜収容於浜寺者二万八千有余
人而死者八十九畢此地地村人所献
彼我有志者相謀建墓標魯人更建記念
碑於場中央遊魂亦以可瞑矣
陸軍少将隈部潜記并書」

ロシアの俘虜28000人あまりの中の死者89人。その墓を有志が作り、更にロシア人が中央に碑を作って魂を慰めているというような意味であろう。

次の写真がロシア人が作った碑。


さらに整備されているロシア人墓地の様子である。

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イスラエルとパレスチナ-「平静になろう」

2006-07-07 00:05:20 | 時事問題
エコノミスト誌、2006年7月1日号記事「平静になろう」の要旨をまとめ、パレスチナ問題の現状について学習する手がかりとしたい。この記事の副題は「流血の再開と悪化の恐怖の中に、希望がまだ明滅している」というもの。

まずこの記事の背景を説明するためのメモから。

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6月25日未明、イスラム原理主義組織ハマス軍事部門などのパレスチナ武装集団が、ガザ南部から掘った地下トンネルでイスラエル領内に侵入。イスラエル軍部隊を襲撃し、兵士2人を殺害、1人を拉致。

26日、イスラエルのオルメルト首相は「人質交換交渉」を拒否し、無条件で兵士を解放しない場合、大規模な軍事攻撃を行うと警告。

27日、パレスチナ自治政府内閣を率いるイスラム原理主義組織ハマスと、アッバス自治政府議長の支持基盤ファタハは、議長がハマスに受け入れを求めている、イスラエルとの2国家共存を事実上目指す文書について合意に達した。

28日未明、イスラエル軍は、戦車など地上部隊をガザ地区南部に侵攻。

28日から29日にかけ、イスラエル軍は、ヨルダン川西岸などで、パレスチナ自治政府を主導するイスラム原理主義組織ハマスの閣僚ら数十人を拘束。人質交換のためとも言われている。

7月2日、イスラエル軍は、ガザ市の首相府空爆を強行。

3日、パレスチナ武装組織は、兵士の奪還を目指すイスラエル政府に対し、解放の条件として4日0300GMT(日本時間午後零時)までに、収監中のパレスチナ人釈放という要求を受け入れるよう最後通告。イスラエルは、この要求を無視。

エジプトの仲介は難航。イスラエルは兵士に危害が加えられた場合、大規模侵攻や、ハマス主導の自治政府内閣を崩壊させることも辞さない構え。

以上が現状。続いて以下が記事の要約。

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イスラエル軍と8000人ほどのユダヤ人入植者がガザから撤収して一年たっていないが、イスラエル軍戦車が戻ってきた。19歳のイスラエル軍伍長ジラド・シャリト氏の運命は、宙ぶらりんのままだ。イスラムの武闘派による彼の誘拐が、最近のイスラエル軍侵攻の直接的原因だ。しかし悲惨と緊張の中でも、少し希望が点滅している。

イスラエルは伍長誘拐に対して荒々しく行動せざるを得なかった。イスラエルは、ガザから南部に降ってくるロケット弾の阻止を望んでいた。エフト・オルメルトは首相、ポストについてまだ余りたっていず、1967年以来占領している、西岸からの論議を呼んでいる撤収を約束しているので、軟弱と見られる余裕はないと確信していた。イスラエルの牢獄からすべての女性と未成年者を解放するとの武闘派の要求を認めることは考えられなかった。しかし彼は抑制を示すべきであった。今までのところ、彼は、戦車が、ガザの沸き上がっている都市部や難民キャンプに侵入することを控えさせている。ハマス閣僚の逮捕が助けになるのかどうか疑問である。イスラエルの、パレスチナの暴力に対する厳しい軍事的反応が、長期的に平和のためになるのかどうか疑わしい。悲運の伍長が、害されずに帰還することに繋がるかどうかも疑わしい。そのためには、外国の外交官の仲介の方が良いように思える。

さらに言えば、パレスチナ政府に対する国際的ボイコットも役に立たないことが明らかになっている。破産して、極端な武闘派を抑えられない、怒りっぽい政府が、平和を構築する用意がないのは当然である。近いうちに、それが、もっと効率的な他の選択肢に席を譲ることはありえない。

しかしハマスが、最小限の必要を認める方向に動いているしるしがある。すなわちイスラエル承認、暴力の終焉、アラファトと彼の後継者アッバスが行った約束の受け入れである。今週、ハマスとファタハが調印した文書が、イスラエル承認を意味するのかどうか議論がある。しかしそれはハマスを正しい方向に動かしている。その文書は、パレスチナ連合政権を呼び掛けている。それは、イスラエルとの仕事をするために良いチャンスを提示していると考えられる。外部世界は、ハマスを忍耐強く引っ張らなければならない。ハマスは、無視するには余りのも多くのパレスチナ人を代表しているのである。

しかしハマスは自ら多くのことを行わなければならない。ハマスは、政権を執るまで、テロ行為を支持してきた。少なくともハマスは、停戦を実施しなければならない。ハマスは、シャリト氏を交渉の札としてキープすることを望んでいるのか、ハマスは誘拐者に対して彼を解放させる力があるのかどうかはっきりしない。彼を拘束すること、あるいは殺害することは、平和の主張を後退させてしまう。そしてハマス、イスラエル政府、イスラエル人、パレスチナ人を益することはない。その結果は、インティファーダを誘発するかもしれない。そしてさらに災厄を引き起こすだろう。
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北朝鮮ミサイル発射についてのメモ

2006-07-06 00:50:23 | 時事問題
7月5日に北朝鮮が7発のミサイルを発射したことに不可解さを感じざるを得ない。瀬戸際外交からの逸脱の度合いが激しすぎるからである。北朝鮮内部で何が起きているのだろうか。そのような情報を得ることは困難なので、分からないのであるが。

北のやったことは、墓穴を掘ったということに過ぎない。

「実験それ自体は北朝鮮のアメリカ合衆国に対する反抗の印ではあるが、ブッシュ政権にとって、その結果は望みうる最良のものであった。【テポドン2の失敗により】北の能力が疑問とされ、そして北の謎のリーダー金正日は、援助を与えた二カ国、中国や韓国と反目することになった。「中国が怒りまくることが私たちの希望だ」と、とあるアメリカ高官は述べた。」
(Missiles Fired by North Korea; Tests Protested
http://www.nytimes.com/2006/07/05/world/asia/05missile.html)

ブッシュ政権に批判的なニューヨークタイムズも社説で「北朝鮮の狂気」と題して、北朝鮮を批判する。ただブッシュ政権に対して、軍事的オプションではなく、外交的手法で問題を解決するように自制するに過ぎない。

「ミサイル発射テストは直接に【アメリカの】安全保障の脅威ではなく、国際条約も侵害していないので、合衆国あるいはその他による軍事的対応を正当化することはできない。
皆の長期的関心は、無関係の銀行問題で中断している外交を蘇生することにある。ブッシュ政権は、この障害を克服するために数ヶ月前に動くべきであった。
しかし今や、明らかに北朝鮮が間違っている。ワシントンは、取引のテーブルに素早く戻ることで悪意に報いるべきではない。しかし非常に熟考されたかたちで、このような会談を復活させることは、アメリカの最良の利益にかなうであろう。
いつか北朝鮮は、太平洋を渡るミサイルを製造することが実際できるであろう。それが実現しそうになる前に、その脅威をそらすための外交は、良い考えかもしれない。」
(http://www.nytimes.com/2006/07/05/opinion/05wed2.html)

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中国の大事故の報道規制、外国報道機関にも適用か

2006-07-05 00:31:46 | 時事問題
中国では、大事故や大災害の報道を規制する法案の審議を始めているらしい。

朝日新聞の報道によると、「国営の新華社通信などによると、全人代常務委員会は、事故や災害などの「緊急事態」に際し、中国メディアの報道を大幅に規制する「突発事件対応法」の制定をめざして審議に入った。規制の対象として、事故や災害が発生した後の当局の対応、事態の推移や被害の拡大に関する報道、虚偽報道などを想定。当局の決定や指示に反して報道したメディアに、5万~10万元(約75万~150万円)の罰金を科すことを柱にしている。」(大事故の報道規制、中国で審議 内外から批判の声、http://www.asahi.com/international/update/0629/002.html)

単に中国の問題だけではない。この規制が外国の報道機関にも適用されると、ニューヨークタイムズが報じている。7月3日の汪永清国務院法制辧公室副主任は、記者に対するブリーフィングでそのように述べた。しかしこれが政府の意向なのか、彼の個人的意見なのかは明らかではないとする。

このブリーフィングは、ニュースメディアに対して提案されている法の主目的は、緊急事態の管理に関して、ひどい仕事をした政府官僚を処罰することであると安心させるために開かれた。汪永清によれば、ニュースメディアに関する条項は、意図的に公衆をミスリードするジャーナリストの悪意ある行動を防ぐために含まれたとする。政府は、突発事件を報道するニュースメディアを評価し「依存さえ」している。この法は、ニュースメディアが、腐敗や隠蔽を暴露することを止めることはできないと述べた。

しかし批判はやまない。地方政府の官吏が、社会的不安をおそれ、あるいは上に対してメンツをつぶさないために、ニュースを制限しようと務めていることが非常に一般的であるからだ。新法のもとでは、地方官吏が、ニュースメディアに対する罰金が正当かどうかを決めるであろうからだ。
(Beijing Official Says Curbs Apply to Foreign Journalists, http://www.nytimes.com/2006/07/04/world/asia/04china.html)
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シンセンや上海のライバルを計画する-浜海新区

2006-07-04 00:08:03 | 時事問題
エコノミスト誌6月24日号に「国家を建設する、シンセンや上海のライバルを計画する」という記事があった。浜海新区に関するものであった。浜海新区って何だ?

まず基本的説明から。
「浜海区は天津市の東部臨海地区に位置し、天津港、開発区、保税区などから成る。総面積は2270平方メートル、人口は107万人で、中国北方地域でも経済発展が最も早い地域の一つになっている。」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2005&d=0628&f=business_0628_003.shtml

続いて記事の要約。

天津の指導部は1994年にこの地区を特別区に指定していた。昨年中央政府がそれを国家レベルの計画と認めた。今年3月の全人代では、5カ年規画に組み込まれた。6月には、総合・複合改革試験区とされた。

浜海を重視することは、西部や東北部の発展していない地域に対する投資に力を入れるという指導部のレトリックにもかかわらず、沿岸部が資金を投入するための良い場所であると見られているということだ。浜海を改革の試験地とすることで、指導部は、外資による侵略などという経済変革に対する批判に慌てていないというシグナルを送っているのだ。浜海は、1994年から昨年まで159億ドルの外資が投じられたが、2010年までにさらに200億ドル投じられることを期待している。過熱の不安にもかかわらず、浜海は、次の5年間、年間平均17%のGDP増加をねらっている。

浜海は、総合・複合改革のパッケージの詳細を今作っているところだ。政治改革は、官僚制を簡素化する以外は、重要な話題ではない。中国の指導部は、民主化実験を行う自由をシンセンのために求める学者の呼び掛けにうんざりしている。北京に近い、浜海は先駆者にはなりにくいだろう。

浜海の役人は、金融部門の改革について、いわゆる「土地管理」の改革について語ることを好む。後者は、中国経済改革のもっとも熱く論じられるテーマである。田舎の土地をいかにして商品にするかということである。「土地私有」の可能性すらささやかれている。浜海では、シンセンや浦東とは違うアプローチがとられるとも言われている。シンセンや浦東では、政府は少しの補償で土地を収用するだけであった。浜海の新機軸は、農民が土地利用権を得て、利益を得ることを可能とするものである。

水供給については、市場改革は明白ではない。天津は水が不足している。浜海は、ものすごく高くつく揚子江流域の水や、高くつく海水を真水にすることに依存することになるだろう。産業ではなく、政府が大部分の負担を負うこととなる。
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チベット鉄道

2006-07-03 00:05:07 | 時事問題
7月1日チベット鉄道が全線で運転を始めた。日本での報道はおおむね事実だけを伝える。産経新聞によれば「青蔵鉄道は、青海省の省都・西寧とチベット自治区の区都ラサ間を結ぶ高原鉄道。全長は約2000キロに達し、経済発展から立ち遅れた内陸部を重点的に開発する中国政府の国家プロジェクト「西部大開発」の目玉の一つ。」
「最も標高が高い地点は海抜5072メートルで、南米ペルーのアンデス山中の地点を抜いて世界一。工事区間の標高平均は4500メートルで、多くの部分が凍土になっており、ロシアやカナダの凍土研究の成果も参考にしての難工事となった。」
「列車の最高時速は100-120キロで、気圧が低いため、飛行機同様の気密構造車体が採用されている。」
(http://www.sankei.co.jp/news/060626/kok032.htm)

しかしニューヨークタイムズの報道は、極めて辛辣だ。以下はその要旨。

チベットや外国の批判者は、チベット鉄道は、チベット族の犠牲において漢民族を利すると述べている。輸送力が高められれば、漢民族主導の経済発展の傾向を強めて、チベットの古代からの精神文化の息の根を止めて、高地の原始的な自然環境を損なうと論じるのだ。

インド在住のチベット独立派の作家 Tenzin Tsundue は次のように言う。「チベット人の圧倒多数の見解は、鉄道は中国支配を固め、大量の漢民族を運ぶということです。雇用は少なくなり、チベット人のためにはチャンスではなく、多くの破壊を意味します。」

中国の役人は、チベット開発を刺激するために重要であると鉄道を擁護する。観光収入を倍増させ、輸送費を最大四分の三にまで減らすと考えている。

チベット鉄道は、北京から青海省のゴルムドまでは1984年に完成した。ゴルムドからラサまでの710マイルがこのたび完成した。最後の区画の計画は、2001年に蘇った。西部開発の重要なものとして擁護された。

北京とラサの直通の列車は、7月1日土曜日、共産党創立85周年にあわせてお目見えした。このイベントは中国の官僚により好意的な報道がされるようにしっかりとコントロールされていた。40人の外国のジャーナリストが、最初の列車に乗るように招待されていた。ニューヨークタイムズを含むそのほかの報道機関は、独自に切符を購入したが、チベットに入る許可が得られなかった。

公式の費用41億ドルだけでも、鉄道は、経済だけで正当化することが難しい。チベット内部の生産は31億2000万ドルである。それゆえに経済活動を高めることにより鉄道を清算することが、もしあるとしても、何十年も先のことである。

さらに、このプロジェクトに関与した外国技術者は、中国のスポンサーの機嫌を損ねないために匿名で次のように述べている。この鉄道は、維持に多くの費用が必要であり、十分な検査なしに10年以上走らせることは困難である。

留保を述べるチベット人は、原則として鉄道に反対をしないが、チベット地方に対する、中国の経済的ならびに軍事的支配を強めるために鉄道が構想されていると述べているのである。中国人がチベット高地の鉱物資源を開発することを助けるであろうとも言う。

たとえば、チベットの都市をつなぐ道路や村落の電化などのような重要なインフラに対する中国の投資は、優先順位が低いと、チベット人は述べている。

中国の官僚が鉄道線を擁護するとしても、彼らはまだいわゆるチベット分離主義、特にダライラマに対する忠誠との戦いにまだ焦点を当てている。
Last Stop, Lhasa: Rail Link Ties Remote Tibet to China
http://www.nytimes.com/2006/07/02/world/asia/02tibet.html
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小泉首相、ちょっとやりすぎでしょ

2006-07-02 00:34:40 | 雑談
6月30日小泉首相は、ブッシュ大統領に案内されて、エルビス・プレスリーの邸宅グレイスランドを訪問した。しかもエアフォースワンに載せられて!これは凄い。もっとも身も蓋もない言い方をすれば、「小泉退陣のおみやげであり、テロとの戦争に対する日本への感謝」であるが。

前ホワイトハウスのスタッフであるマイケル・グリーンがニューヨークタイムズに引用されている。「当地への訪問は、ブッシュ氏のアイデアだ。率直に言えば、両国の官僚は、肝をつぶしてはいないが、ちょっと当惑していると思う」。

私がやりすぎだと思うのは、小泉首相がエルビスのまねをして歌った点ではない。

「このツアーは、普通の旅行者のと同じである。ひとつの大きな例外を除いては。二人の指導者が、エルビスが座ったところに座り、エルビスが歩いたところを歩き、エルビスがさわったところをさわるのを防ぐロープがなかったのだ。小泉氏が、金のサングラスを取り上げたとき、グレイスランドの専門員は、すんでのところで卒倒しそうに見えた。専門員は、手袋をして注意深く部屋にサングラスを運んだからであった。」

小泉首相、大切なものをぞんざいに扱ってはいけませんぞ。

このお二人でも行けなかった部屋があるそうだ。それは階上のエルビスの居住空間である。グレイスランドのスポークスマンによれば、エルビスは、それらはプライベイトにとどめておくよう主張したというのである。

「「だれも上には行けません。」日本のもっとも有名なエルビスのそっくりさんと合衆国の大統領でさえも。」
("In Memphis, Two Heads of Government Visit the Home of Rock 'n' Roll Royalty" http://www.nytimes.com/2006/07/01/washington/01bush.html)

小泉首相は、プレスリーと誕生日が同じか。1月8日。私は、金日成主席と誕生日が同じなんだが…。
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