荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『鎖陰』など 日大映研

2011-11-15 02:22:44 | 映画
 アテネ・フランセ文化センターで日大映研の特集をやっていたので、初体験することにした。見ることができたのは、日大映研最初の映画『針と靴下の対話』(1958)、『Nの記録』(1959)、『プープー』(1960)、そして最終作品の『鎖陰』(1963)の4本。
 最後の『鎖陰』はなんと35mmで撮影されており、膣欠損症の女とその女を愛する男の苦悩を扱った56分間の中編である。のべつ幕なしにかかっているなんとも大げさな現代音楽がすばらしい。不気味なエフェクトを多用した映像で前衛趣味を刺激してやまないが、演技と撮影の関係などが意外なほど普通である点はどうか。難破する欲望のメタファーが分かりやすすぎる。そしてそれは、他の作品についても当てはまる。
 私が一番気に入ったのは、『Nの記録』である。1959年の伊勢湾台風の被害状況を写したドキュメンタリー映像をぶっきらぼうに繋いでいる(繋ぎまちがえている)。映像の冒険とメタファーの関係性に一般映画となんら変わらぬ問題を抱える他の3作とくらべると、唯一ヌーヴェルヴァーグの同時代を呼吸し得ている(つまり、映画の現代性と接し得ている)のが『Nの記録』ではないか。

 ところで、本特集上映のチラシ裏には、「『針と靴下の対話』直後、60年安保を目前に大学当局は予算をストップするが…(以下省略)」という説明箇所が見える。はて、「予算をストップ」とはこれ如何に。そもそも日大映研は大学当局から予算をあてがわれて映画を撮っていたという意味なのであろうか。それとも「映研」というのは、のちの時代における自治的なクラブ、サークルと同じものと考えるのがまちがいで、正規授業の延長のような組織だったのであろうか。
 『鎖陰』からわずか15年ほど経過すると、大学の自主製作からは『白い肌に狂う牙』や『School Days』が登場してしまうのだから、この間の一足飛びの進化はすごいのではないか。中学・高校時代、日本史教科書の最初あたりのページを読みながら、土偶、埴輪、古墳ときて、いきなり法隆寺に進化してしまう、あの不思議さ、違和感を思い出した。


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