荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『我が道を語る』 賈樟柯など

2011-11-22 01:07:14 | 映画
 開幕した第12回東京フィルメックスにて、中国のオムニバス映画『我が道を語る』。
 賈樟柯(ジャ・ジャンクー)プロデュースのもと、陳翠梅、陳涛、陳摯恒、宋方、王子昭、衛鉄の男女6人の若手監督(第6.5世代?)が集まり、人物密着ドキュメントを1~2話ずつ担当する。賈も第1話と最終話を監督した。陳翠梅(タン・チュイムイ)はマレーシア華人系の女性監督で、『愛は一切に勝つ』(2006)の人。
 有名無名さまざまな12人の働き盛りの起業家、アーティスト、ソーシャル・ワーカーらにカメラが向けられる。現代中国都市の新しさ。彼らのファッションも髪型も、住居、家具、スマホ、PCも、ほぼすべて現代モードのもの。全エピソードがデジタルカメラ「Canon EOS 5D」で撮影され、例の被写界深度浅めの奥行き豊かな画調が得られている。
 被写体たちはみな、幼少期・青春期に直面した壁を打ち砕き、経済的成功を手にしようとしている。そして彼らは一様に、いま自分たちがリスクを恐れずに前進していること、あえて危険な道を選び退屈な安定を求めていないことを、自信たっぷりに述べる。その活力、その楽天性に対し、斜陽国・日本の観客はどのような視線を向けたらいいのか。嫉妬と嘲りの入り交じった苦笑と腕組みとともに画面を見つめるしかないのだろうか。少なくとも、かつての日本人がアメリカン・ドリームを仰ぎ見た時代ののんきな憧憬とは、もはや無縁であろう。

 欧米諸国や日本が飛躍した19世紀と20世紀を除けば、世界史は有史以来、いや有史以前から良くも悪くもおおむね中国によってリードされた歴史だった。ほとんどの重要な発明は、黄河もしくは長江の流域でなされた。人口の動静や文明発展、インフラ、経済規模の点で彼らがリーダーの座を明け渡した時代は、近代以外にはないと言われており、まさにそんな稀有な時代を私たちは生きてきたのだ。
 同時に中国文化というものは、時の権力による抑圧の不幸と、出世の失敗による嘆息と愚痴、諦念が主成分であり続けたことも指摘しなければならない。真に優れた文物はほとんど、不遇と隠逸、孤高の結果から生まれたと言って過言ではないのである。したがって本作の陰で、より歴史的普遍性に近似した幾千万の愚痴っぽい『我が道を語る』が、再び執拗に語られることになるだろう。


第12回東京フィルメックス 11月19日(土)~27日(日)有楽町・銀座地区にて開催
http://filmex.net/2011/


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