荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『THE GREY 凍える太陽』 ジョー・カーナハン

2012-08-28 01:59:14 | 映画
 この監督の「最高傑作だ」という藤井仁子氏のブログ記事に煽られてジョー・カーナハンの最新作『THE GREY 凍える太陽』を見に行ったら、その壮絶なる単調さ、厳しいシーンの連鎖に視線が釘づけとなってしまった。徹夜作業あけのままトボトボと上映場所の錦糸町楽天地に足を向けたが、だるい体調が一片に吹っ飛んでいった。
 旅客機の墜落、アラスカのマイナス20度の酷寒、人喰い狼の恐怖などと、主人公(リーアム・ニーソン)ら7人の生存者は、災難に次ぐ災難を経験しなければならない。大雪原でのサバイバル劇というと過去にもいろいろあったが、主人公をはじめ本作の登場人物が面白いのは、救出への希望と生への執着とは別の回路──茫洋とした、真空管的な、たぶん子どもの時にプールの中で死体を演じた体験に似た、他人の目も憚らずに “呆然とする技術” ──を隠し持って、生死の境でもジュクジュクと育てていることだ。
 一行は、狼の声におびえながら雪山で焚き火を焚いて一夜を明かす。焚き火を囲む寝床は、西部劇の旅程で現れるアメリカ映画史の深淵へと降りていく符牒となっているだろう。一行は精一杯わずかな空隙を見つけて、ナイーヴな一面を晒してみせるものの、それが生きるための力となるのか、死への甘辛い扉となるのかは判然としない。

 私にも、こうした道行きを思い出させるちっぽけな体験がある。7年前、あるドキュメンタリー・ビデオのディレクターを務めたとき、真夜中にカメラマン1名およびAD2名、制作担当1名と共に山登りをして頂上からの日の出カットを撮影しようとした際、真っ暗な山道の両脇からウーウーという不気味な野犬のうなり声が聞こえてくるのに耐えながら、懐中電灯であたり一面を必死に照らしつつ(藪の中ゆえ、いくら懐中電灯をあてても、鬱蒼とした草木と足下の斜面のほかは何も見えないのだが)、努めて強がって登ったものである。
 あの作品の撮影ではたしか、別の日の登山でぞっとする超常現象に出会った。あいにくの雨にたたられながらも山頂に達したとき、われわれロケ隊のほかに周辺には誰もいないというのに、なぜか複数の女たちの会話がかまびすしく聞こえてきたのである。その後も、あの時のスタッフと会う機会があるといつも「あの不気味な女たちの会話は、何だったんだろうね?」と語り合ってしまう。

 「俺はアイルランドのクソ野郎の息子だ。そして父は俺を愛していなかった」と、リーアム・ニーソンがいくぶんか緊張を緩めた無表情を焚き火の火で赤く染めながら、遠慮がちに告白しはじめる。一行のメンバーは、生死の先が見えない中、いったいどんな心境でこの無愛想な不良中年の個人的追憶に耳を傾けたのだろうか? 旅客機墜落事故の発生するつい前夜までは、愛する女性の喪失と内なる絶望を最終地点まで突き詰めて自殺を試みようとした男が、一転してサバイバルに精を出さなければならなくなる。それでも果敢にリードをとっていく姿の哀切さは、人喰い狼が産みだすモンスター・ムービー的恐怖を丸ごと呑み込むほど痛々しかった。
 ちなみに本作は、リドリー・スコットのプロデュース、製作総指揮は先ごろ亡くなったトニー・スコット。兄弟で産みだした最後の作品である。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映中
http://grey-kogoeru.com


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1 コメント

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一日たって (中洲居士)
2012-08-29 02:18:20
一日経って、本記事を読み返してみると、やや褒めすぎの感も拭えないが、まあいいでしょう。
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