荻野洋一 映画等覚書ブログ

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サイ・トゥオンブリーの写真について

2016-09-02 00:22:22 | アート
 過激なまでにざっくばらんな筆運びでならしたサイ・トゥオンブリーの絵画作品やドローイング作品は、一滴の絵の具の垂れぐあいが、一本の鉛筆の線が、子どもにさえ不可能なほどのたどたどしさを誇示している。ほとんど稚戯、落書きにも思えるその筆致を、しかしロラン・バルトは全面肯定した。「《子どもっぽい》だろうか、TWの筆跡は。もちろん、そうだ。しかし、また、何かが余計にある。あるいは、何かが足りない。あるいは、何かが一緒にある。」
 子どもの稚拙さは、大人に達しようと力んだり勉強したり、母親に愛されたかったりした結果だ。トゥオンブリーの筆跡にはもっとノンビリとだらしない余剰がある。「軽やかな蜜蜂の飛翔の跡」と呼ばれるその筆跡は、シュポルテ(支持体)の鉱物性を際立たせ、ジャンル間の差異を縮ませる。
 絵画、ドローイング、彫刻。そして最後に遅れて、写真が彼の表現方法に追加された。ボワボワとピントの合っていない静物や花弁、絵画や遺跡の部分写真は、ディテールの鉱物性がクロースアップされ、見る者の感覚を攪拌し、一緒くたにする。そのときトゥオンブリーは「古代ローマ」などとつぶやいて、私たちを戯れに幻惑する。では、この古代との連関を強弁する姿勢は、擬態にすぎないのか? おそらく彼は、本気で古代ローマ文明の正統的嫡子だと自認していたのだと思う。
 今回のDIC川村記念美術館(千葉県・佐倉)の《サイ・トゥオンブリーの写真——変奏のリリシズム》(2016年4月23日〜8月28日)によって、初めてトゥオンブリーの写真作品の全貌を楽しむことができた。前回、彼の写真を見られたのはいつだったか? ——それは六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートのゲルハルト・リヒターとトゥオンブリーの二人展で、確かあれはトゥオンブリーが亡くなる1ヶ月ほど前のことだったはずだ。ヒマワリの花びらをピンぼけで撮ったドライプリントが数点出ていた。
 今回では、トゥオンブリーが亡くなる年の2011年に撮影した最晩年の作品も展示された。それは、サン・バルテルミー島の墓地を写した数点である。墓石、十字架、朝鮮アサガオの花びら、そして見上げた際にさっとシャッターを押したのだろう青空に雲の写真一葉である。


DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
http://kawamura-museum.dic.co.jp


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