荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『デッドプール』 ティム・ミラー

2016-04-14 01:08:51 | 映画
 昨今のハリウッドはスーパーヒーロー物のオンパレードで、かなり食傷気味である。『アベンジャーズ』なんて、ハリウッド社会も日本のAKB商法を笑えない段階に来ている。この氾濫ぶりは、少年時代の夢を後生大事に守る成人男性が世界中に蔓延し、自我の温存に余念がないという時代が到来したことが唯一の理由だろう。
 食傷から身を守るには、確固とした映画観にもとずく腑分けしかない。そこで私は『トランスフォーマー』『ミュータント・タートルズ』のマイケル・ベイに汚い言葉を投げ、『アイアンマン』のジョン・ファヴローや『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のルッソ兄弟、あるいは『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のマシュー・ヴォーンに甘すぎる依怙贔屓をしてみたのだが、それも果たしていつまでもつことやら。
 『X-MEN』シリーズの最新スピンオフ『デッドプール』は、スーパーヒーロー物やアメコミ原作物に興味のない映画観客にとっては、コスチュームさえ『スパイダーマン』と見分けがつかないだろう。スーパーヒーローのヒロイズムそのものを否定し、ミュータント手術を施した敵をただただ追いかけ回す。遅かれ早かれ、こうした内部批判的、かつメタフィジカルな異色作が誕生するのは、誰でも予想のつくことで、そんな文脈から『アイアンマン』に輝きがあったのだ。
 今回の『デッドプール』は、『アベンジャーズ』環境ではなく、『X-MEN』環境の中でアイアンマンごっこをしようとするものだ。『X-MEN』の外伝といえば誰でも思い出すのは『ウルヴァリン』だろうが、異端派を気取ってもなんだかんだ言ってジャスティスを体現するウルヴァリンとも違って、デッドプールは個人的な遺恨やリビドーによってアクションを引き起こす。ウルヴァリンは外伝の登場人物から始まり、ジェームズ・マンゴールドによる日本遠征『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)ではいったん味噌を付けたものの、翌年の『X-MEN:フューチャー&パスト』(2014)では一転、正規メンバーのエースに躍り出ている。
 『デッドプール』はそれら『X-MEN』のセンターポジションとはおよそ無縁な、補欠レベルの物語である。『アイアンマン』に喩えたのは、さすがに褒め過ぎかもしれない。その精神性はむしろ『テッド』にさえ近いものだ。でもポテンシャルはある。本作に登場するX-MENメンバーも、ネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドという小太りの少女と、その用心棒の垢抜けない超合金男コロッサスのみ。二人ともX-MENの中では、あまりランキングが高くなさそう。デッドプールは言う。「このプロジェクト、予算ないんだね」。シニシズムからだって、なにかの歴史が始まる可能性はある。スーパーヒーロー物の嫌いな人にこそ見てもらいたい一篇である。


6/1(水)よりTOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)ほか全国ロードショー予定
http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/


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