goo blog サービス終了のお知らせ 

荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『卵』『ミルク』 セミフ・カプランオール

2011-08-01 01:23:12 | 映画
 最新作『蜂蜜』(2010)の日本公開に併せて、トルコの映画作家セミフ・カプランオールによる〈ユスフ三部作〉のうち前2作──『卵』(2007)と『ミルク』(2008)が連続上映されている。主人公ユスフは回を追うにしたがって成長していくのではなく、逆に壮年、青年、少年へと若返っていく。かといってノスタルジックに遡行していくこともせず、時制は絶えず現代トルコ社会であり続ける点がミソである。
 そもそもこの3者のユスフは、はたして同一人物なのであろうか? ユスフと母ゼーラの関係がしっくり来ないこと、病弱なユスフが詩作を好んでいることなど、多くの共通点はある。第1作『卵』では母ゼーラの病死と服喪が描かれ、第2作『ミルク』でゼーラと息子ユスフの関係悪化が描かれ、そして第3作『蜂蜜』では父が生きていた時代の親子3人の生活が描かれる。
 しかしこれら3つの作品は、まったく無関係な作品であるかのごとく、それぞれが寂しく屹立している。「ここ」や「そこ」に点在したあげく、「どこか」へと散逸してゆく「ユスフ」。母親とうまく行かないでいるうちに死別する親不孝な、おそらく作者自身をふくむ「すべての」ユスフのために、「彼ら」ユスフは「ユスフであること」を引き受けたのだ。
 アピチャッポン・ウィーラセタクンのように大胆不敵に心霊やら精霊やらを召喚することは、ここでは厳しく禁じられている。しかし心霊の存在(≒ 死別した肉親)は、故郷の市場、遠い雷鳴、森のざわめき、虫の小さな羽音、キッチンに忍びこむヘビ、湖で捕まるナマズ、深夜中歩き回るヒツジの群れといった微細な兆候の中に現前していて、それはなんら不可思議なものではなく、単に現実なのである。


P.S.
 『卵』のエンド・クレジットを目で追っていたら、ヌリ・ビルゲ・ジェイランへのスペシャル・サンクスが記されていた。セミフ・カプランオールは、1990年代の東京国際映画祭でジェイラン作品(『カサバ 町』)に初めて接した際の衝撃を継ぎ得る人材だろう。ちなみに、カメン・カレフ『ソフィアの夜明け』で主人公のフリスト・フリストフが恋をする美しいトルコ娘を演じたサーデット・ウシュル・アクソイが、ユスフにとってもミューズとして出演している。たぶん『ソフィアの夜明け』は、〈ユスフ三部作〉に対するボスポラス海峡をはさんだ返歌的な番外編として構想された部分がなきにしもあらずではないか、と勝手に空想をめぐらせている。


7月30日(土)より銀座テアトルシネマで連続上映
http://www.alcine-terran.com/honey/yusuf_trilogy


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はしわき)
2011-08-15 23:13:09
「蜂蜜」は観ました。映画館でしか体験できない繊細さだな、と思いました。傑作だったなぁ。
返信する
映画館 (中洲居士)
2011-08-16 23:15:40
わたくしの友人Hは、いまどきこういう作品を輸入し、あまつさえフィルムプリントをちゃんと焼いて上映してみせたアルシネテランに感謝すべきだ、と言っておりました。わたくしはそれに同感です。

デジタル上映が主流となり、もっと小規模だとBD/DVD上映なんてものさえある現在、もうこういう、映画館でのフィルム鑑賞という行為は最後かもしれませんね。

そして〈ユスフ3部作〉は良心的なものから遠い、まがまがしいものだったことがよかった。
返信する

コメントを投稿