荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『クィーン』 スティーヴン・フリアーズ

2007-05-20 13:55:00 | 映画
 先日おこなった退陣演説が「感動的」だったため保守系各紙でさえ絶讃したとかいうトニー・ブレアを、まるで諸葛孔明のごとき賢宰相として扱ったプロパガンダ的な思惑たっぷりの作品。『マイ・ビューティフル・ランドレッド』『グリフターズ』など、かつて全盛を誇ったセゾン系映画、そのイングランド代表の座をめぐりピーター・グリーナウェイあたりとタメを張っていた時代からずっと(グリーナウェイはウェルシュではあるが)、スティーヴン・フリアーズは常に何かを企んでいる欲深い映画作家であり、またその欲深さが彼の作品に大いなる魅力をもたらしていた。

 ダイアナ元皇太子妃の非業の死と葬儀の手続きという、それじたい重苦しく生々しい題材を、一編の風刺喜劇に仕立て上げようという、不適な企てである。友人Hからのeメールに、「いわゆるイーリング・コメディとか言われるような英国製シチュエーション・コメディの伝統を引き継ぐ、英国映画の正統性を主張する作品であることを認めるのにやぶさかではなく」うんぬんなどと書いてあるものだから、すごすごと見に行ってしまったわけだが、ここでとりあえずの悪として設定される「衆愚的なもの」「大仰でヒステリックなもの」は、すべて記号にのみ還元されていたことが、本作の要点であると考える。
 つまり本作においては、悪を体現する人物──たとえばタブロイド紙のゲスな編集長にその役まわりを担わせるなど──を特定できないのである。いまよく使われる表現を借りれば、ここには「空気の読めない人と、空気の読める人」の2種類の人間しか出てこない。

 きわめて生臭くハードルが高い題材をあえて選んだ上で、ジャンル形式の原則を、その最も正統的なありようを首尾よく復習してみせる、というところに欲深きフリアーズ監督の思惑が見て取れる。その思惑は物欲しげで下品一歩手前のものではあるが、少なくとも復習ドリルは軽くクリアしている。
 労働党の党首ブレアと女王エリザベス、その傍らで、自分もライオンハートを持った同類なんだ、という作者フリアーズの主張がなされている。

日比谷シャンテシネ他にてロードショー中
http://www.queen-movie.jp/


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