織田作之助が42歳で逝った武田麟太郎を追悼する一文(1946)を偶さか読んでいたところにもってきて、つい最近スカパー!で、武田がみずから腕をふるったシナリオ『一の酉』を石田民三がJ.O.スタジオ(やがてP.C.L.と共に東宝へと糾合する京都のスタジオ)で撮った『夜の鳩』(1937)を見る機会を、奇しくも得たのであった。
都市生活者の憂鬱な刹那を詳細に描写し続けた武田麟太郎に、織田作がシンパシーとリスペクトを抱いていたことはよく理解できる。そしてなんといっても、石田民三の演出のじつに細やかであるのには恐れ入った。すでに一部では高評価を得てはいるが、より広範な再評価が期待できる映画作家である。私が石田のすごさを知ったのは、1995年に筒井武文が書いた記事によってであり、それからようやくぽつぽつと見始めたのだった。
『夜の鳩』において浅草・馬道あたりの居酒屋で酌婦をやっている「おきよ」さんというヒロインに血を通わせたのは、年増の色香を発散してやまぬ竹久千恵子という女優の存在だ。溌剌としたモダンさがきわだつ初期の東宝女優たちにあって、この影は異質で、夜の生活が祟ったか、25歳にして「おきよ」さんはみずからの美貌の衰えを嘆いてやまない。そして、ついちょっと前まで浅草界隈で1、2を争う看板娘であったプライドが、「おきよ」さんをいっそうかたくなにするのである。
竹久千恵子は、山本嘉次郎『新婚うらおもて』(1936)や斎藤寅次郎『思ひつき夫人』(1939)といったナンセンス・コメディにおけるお内儀役もはまっているが、やはり、呆然と立っているだけで淪落の匂いを漂わせる女が、一番似合う。そのいい例が『夜の鳩』であり、三好十郎の原作を鳴滝組の滝沢英輔が映画化した『地熱』(1938)での、炭坑町の勝ち気な酌婦役がこれにとどめを刺すだろう。この仇っぽさは、ただごとじゃない。
滝沢と山中貞雄ら鳴滝組は、前年に同じく三好十郎の『戦国群盗伝』を前進座と組んで映画化したし、歴史的にはそちらのほうが有名だが、私は個人的には『地熱』のほうを愛する。竹久千恵子、石田民三、鳴滝組といった1930年代が生み出した幾重ものトライアングルをつぶさに眺めていると、『人情紙風船』(1937)のニヒリズムは突然変異ではないことが手に取るようにして分かってくるし、この種子が戦後の川島雄三、三隅研次、さらには神代辰巳をも生み出したのだと思う。
都市生活者の憂鬱な刹那を詳細に描写し続けた武田麟太郎に、織田作がシンパシーとリスペクトを抱いていたことはよく理解できる。そしてなんといっても、石田民三の演出のじつに細やかであるのには恐れ入った。すでに一部では高評価を得てはいるが、より広範な再評価が期待できる映画作家である。私が石田のすごさを知ったのは、1995年に筒井武文が書いた記事によってであり、それからようやくぽつぽつと見始めたのだった。
『夜の鳩』において浅草・馬道あたりの居酒屋で酌婦をやっている「おきよ」さんというヒロインに血を通わせたのは、年増の色香を発散してやまぬ竹久千恵子という女優の存在だ。溌剌としたモダンさがきわだつ初期の東宝女優たちにあって、この影は異質で、夜の生活が祟ったか、25歳にして「おきよ」さんはみずからの美貌の衰えを嘆いてやまない。そして、ついちょっと前まで浅草界隈で1、2を争う看板娘であったプライドが、「おきよ」さんをいっそうかたくなにするのである。
竹久千恵子は、山本嘉次郎『新婚うらおもて』(1936)や斎藤寅次郎『思ひつき夫人』(1939)といったナンセンス・コメディにおけるお内儀役もはまっているが、やはり、呆然と立っているだけで淪落の匂いを漂わせる女が、一番似合う。そのいい例が『夜の鳩』であり、三好十郎の原作を鳴滝組の滝沢英輔が映画化した『地熱』(1938)での、炭坑町の勝ち気な酌婦役がこれにとどめを刺すだろう。この仇っぽさは、ただごとじゃない。
滝沢と山中貞雄ら鳴滝組は、前年に同じく三好十郎の『戦国群盗伝』を前進座と組んで映画化したし、歴史的にはそちらのほうが有名だが、私は個人的には『地熱』のほうを愛する。竹久千恵子、石田民三、鳴滝組といった1930年代が生み出した幾重ものトライアングルをつぶさに眺めていると、『人情紙風船』(1937)のニヒリズムは突然変異ではないことが手に取るようにして分かってくるし、この種子が戦後の川島雄三、三隅研次、さらには神代辰巳をも生み出したのだと思う。