荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『永遠の戦場』 ハワード・ホークス

2010年02月08日 20時51分27秒 | 映画
 テレビ放映にて、ハワード・ホークス『永遠の戦場』(1936)を初見。ウィリアム・フォークナーが共同で脚本を書き、名手グレッグ・トーランドが撮影を担当、第一次世界大戦のフランス戦線を描く戦争映画だが、発見は、ジューン・ラング(1917-2005)という女優が放つ、腺病質の美しさである。フレデリック・マーチ演じる大尉、ワーナー・バクスター演じる中尉という2人の男からの愛を受け止めつつ揺れる野戦病院のナースを演じている。私がこのコケティッシュな女優を見たのは、たぶん初めてだと思う。
 彼女は1930年代にフランク・ボーゼージ、ジョン・フォード、ヨーエ・マイといった著名監督の初期トーキー作品に散発的に登場するものの、『永遠の戦場』の前年には、ザナックと合併したばかりのフォックス社から専属契約を更新してもらえなかったりと、思うような活躍はできなかった。『永遠の戦場』以降は、B級映画におけるヒロインの妹や親友といった二番手での出演が、大半を占めるようになっていくようである。
 『永遠の戦場』製作当時、ジューン・ラングは19歳に過ぎないが、ややファニー・フェイスながら少女の面影はすでにない。完成されたビューティ・ブロンドとして登場し、士官の部屋に夜な夜な忍び込む。ハリウッドでは、かえって容貌の完成度が仇になることもあるのだろう。第二次大戦後はさらに地位を下げ、写真モデルやテレビの端役をこなしながら、ハリウッドの片隅でひっそりと暮らし、女手ひとつで一人娘を育て上げたようである。5年前に88歳で死去。
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“限りなく黒に近い灰色”

2010年02月06日 05時06分22秒 | 読む
 現・与党の幹事長による政治資金調達と運用をめぐる嫌疑がこのたび不起訴となった件について、現・野党第一党の総裁は、疑惑が晴れたわけではないとして厳しく批判した、という記事が、金曜日の朝刊に掲載された。
 不透明な資金の流れについては、正当なる追及がなされるべきなのは当然としても、私がより強い懸念を抱いたのは、野党第一党総裁が用いた批判の語法のほうであった。元弁護士だというこの人物の口から出たのは、「限りなく黒に近い灰色だ」というフレーズだったのである。

 この語法が意識的に出たのか無意識の産物なのか、と問われれば私は、「もちろん意識的に使ったのだろう」と答える。なにもこの野党党首が突然、カラー・コーディネートの感覚に敏感になったわけではない。これは、アメリカ映画ファンの多くが知っているように、ジョゼフ・ロージーやロバート・アルドリッチといった、当時左翼的と呼ばれた新進映画作家の生みの親であったプロデューサー、ドーリ・シャリーが、冷戦時代初期に非米活動委員会(略称 HUAC)から召喚された際、「彼は、限りなく赤に近いピンクだ」という中傷を受けた非常に有名なエピソードに対する、じつに60年越しのパロディなのである。
 曲がりなりにも最低限のバランス感覚で長期政権の延命を図ってきた政党が、下野したことで「これ幸い」と、バランスという名の桎梏から解放され、ずいぶんと思い切りよく舵を切ろうとしている。この政党は私の予想では、順調にHUAC的な思想集団へと変貌を遂げていくように思える。「限りなく黒に近い灰色」という今回の滑稽なフレーズを、私は今後とも忘れるまい。
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夜の釆女町を、岡田茉莉子が歩く

2010年02月03日 00時25分10秒 | 映画
 またしてもアナクロな話題で恐縮だが、映画監督の山本嘉次郎(1902-1974)の生まれた旧「釆女町」が、成瀬巳喜男の『銀座化粧』以上によく写っている作品を見つけた。

 松竹京都の大曽根辰夫監督が東京でロケしたサスペンス映画『顔』(1957)のなかで、主人公の岡田茉莉子は、自分の犯した殺人が警察によって足がついたことを知り、不安におののきながら夜の銀座を徘徊する。そんな彼女を、斜め前から後退移動で撮った、長めのカットがある。
 晴海通りを背にして、新橋演舞場、つまり「采女橋」方面へ向かって歩く岡田茉莉子。その背後には、今はなき松竹セントラル(現・ADK松竹スクエア)と松竹会館(現・東劇ビル)の電飾看板が見えている。殊に1999年に閉館した松竹セントラルは、最後の数年間はひなびた姿をさらしていたが、本作の前年に竣工したばかり。このころは電飾看板も華やかに映えていた。マキノ映画で腕を磨いた撮影監督・石本秀雄のカメラは、現在の地理にあてはめると、南海ビル、時事通信社、日産本社の前あたりまで辿りながらトラックバックしたことになる。

 感慨深いのは、岡田茉莉子が歩く歩道が、河岸になっていることだ。「築地川」である。三島由紀夫の小説では往時、東劇前で水遊びをする場面なども書かれたが、現在はご承知のように、川はとっくに埋め立てられて、首都高速(都心環状線 C1)が地底を走っている。
 私は2週間に1度くらいの割合で、この地底のC1をタクシーに走らせて深夜帰宅しているが、築地、新富町の地下を通過するあたりで、いつも異臭を感じてしまう。最初にこの匂いを感じた時は、運転手が放屁したかと勘ぐったものだが、この異臭は通るたびに感じる。気味が悪くて、その後何度か運転手に尋ねたことがあったが、「異臭がする」という事実は同意を得られても、納得のいく理由を引き出したことは、いまだかつてない。
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『ユキとニナ』 諏訪敦彦+イポリット・ジラルド

2010年01月31日 00時01分34秒 | 映画
 『ユキとニナ』は、自主映画時代をのぞけば諏訪敦彦作品史上もっとも開放的な作品で、これは、『2/デュオ』(1997)以来のあの独特なこわばりが孕む何かが、断念されてしまった結果なのではないかと、思わず心配になってしまうほどだ。
 物語は、相米慎二の『お引越し』(1993)とそっくりで、幼い少女の両親が、離婚を前提に別居を決意する。少女は両親の仲を取り持とうとするも、ことごとく失敗に終わり、やがて彼女自身のなかの孤独な魂が彷徨をはじめる、といった展開である。
 諏訪敦彦とフランスの俳優イポリット・ジラルドの共同監督作品ということで、複数の目線が、重ね折に導入され、作品全体の風通しが非常によい。パリ市内のアパルトマン、舗道、そして薄暮の森へと、小さな世界だけにカメラは向けられているが、それを映し出そうとする2人の監督の心の広がりは、時空間をまたぐスケールを持っている。だから、不幸な物語であるかも知れないのに、それを見つめる私たち観客の心は、どんどん澄み渡っていく。ただし、フランス・ロケ部分の充実にくらべて、日本ロケ部分の力がやや弱い。

 ジャック・リヴェットの常連スタッフだったマニュ・ド・ショヴィニが、美術を担当している。あの可愛らしいちゃぶ台も、ド・ショヴィニの見立てなのだろうか。


恵比寿ガーデンシネマ他にて、全国順次公開
http://www.bitters.co.jp/yukinina/
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「引き潮」をカセットに録音して…

2010年01月28日 00時01分34秒 | 聴く
 今夜は、少し長くなりますが、思い出をひとつ──

 私は小学校高学年から中学時代にかけて、今は亡き関光夫氏がパーソナリティをつとめるFM放送の映画音楽番組を毎回愛聴していました。私にとって、音楽との出会いは、まず最初に映画音楽だったのです。
 この番組で、フランク・チャックスフィールド&ヒズ・オーケストラが演奏する『渇いた太陽』(下の記事を参照)のきわめて美しい主題曲「引き潮」をカセットにエアチェックして、感動に身を震わせつつ何度も聴いたものです(今にして思えば、単なるイージーリスニングなのですが)。ダウンタウン・ブギウギ・バンドが演奏する『白昼の死角』の主題曲や、ウィリアム・フリードキン監督『ブリンクス』で再使用されたグレン・ミラー「イン・ザ・ムード」「チャタヌガ・チューチュー」あたりが、大のお気に入りというところ。

 また、ゴダールと出会ったのも、この番組の中でです。私はまだなんと小学生だったわけですが、ある晩、関光夫氏が公開当時にパリで買い求めた秘蔵の『勝手にしやがれ』のシングル盤をAB両面かけてくれたんです。たしか4曲だったと思います。現在こそ『勝手にしやがれ』のサウンドトラックなんて、コンピレーションが何度かリリースされたようですから、入手容易となっているでしょうが、当時は、これを録音したカセットテープは、少年期の私にとって自慢のアイテムでした(だれに自慢してよいのかもわかりませんでしたし、また当の映画そのものを実際に見ることができたのは、それから5、6年後なのですが)。
 ルキノ・ヴィスコンティ『イノセント』のイメージソングなど、今でも歌えるほどの印象的なメロディだったし、セルゲイ・ボンダルチュクから始まるソ連映画愛も、関光夫氏が共産圏においても丹念にサントラ盤を収集し、番組で流しまくってくれたおかげです。
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『渇いた太陽』 リチャード・ブルックス

2010年01月27日 09時36分01秒 | 映画
 フィッツジェラルド『雨の朝巴里に死す』、テネシー・ウィリアムズ『熱いトタン屋根の猫』『渇いた太陽(原題:青春の甘い小鳥)』、コンラッド『ロード・ジム』、カポーティ『冷血』……と、自作のリストをとめどなく文芸作品で染め上げてしまった男、それがリチャード・ブルックス(1912-1992)であり、その慎みを欠いた作品歴は、日本ではさしずめ豊田四郎がこれにあたるだろう。文芸映画というものはえてして、映画通の間では評判の悪い分野であると相場が決まっているとはいえ、あいにく、ブルックスも豊田も決して悪い監督ではない。

 ポール・ニューマン追悼のおかげで先ごろテレビ放映された『渇いた太陽』(1962)は、私にとって『ロード・ジム』と共にもっとも愛着のあるブルックス映画であったが、かつて「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌上にブルックス論を執筆した際にこの人の監督作品と脚本作品をまとめて見て以来の、じつに久しぶりの再見となった。
 ポール・ニューマンとジェラルディン・ペイジが演じる行きずりの男女が、たがいに化かし合いの末、スイートルームの出口でついに別れを告げる時の、“2人ともそれぞれ行く地獄があるのさ” と万感の思いを呑み込んで微笑を交わすあたりは、やはり好きなシーンである。それと、ブルックス映画全般に言えることだが、近づいた2人の人間をフレームに収めた、やや仰角気味のミディアムショットは、つねに強がりと悲哀がないまぜとなったいいショットになっている。
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《桃まつり presents うそ》

2010年01月25日 00時01分00秒 | 映画
 若手女性映画作家の新作ショーケースとして近年注目されている《桃まつり》は、横浜のイベント《未来の巨匠たち》の一環として1月26日(火)に《桃まつり 黄金町の宴》と題し、過去2大会分から抜粋したリバイバル上映が組まれているが、本拠地といえる東京・渋谷円山町のユーロスペースにおいても、3月13日(土)から新作展《桃まつり presents うそ》が開催される。これをさっそく試写で見た。すべての作品が独自の光彩を放ちつつ、オムニバスというよりは、各短編がたがいの個性をがちがちと競い合っているように思える。

 今回、私がとりわけ感銘を受けたのは、竹本直美の『迷い家(まよいが)』という作品である。山奥の屋敷で、年上の女から傷の手当てを受けた少年が、ひとり部屋に残されるとすぐに睡魔に襲われる。まどろみの中で、のけぞるような姿勢でゆっくりと背中から倒れ込む少年をとらえた緩慢なワンカットの、なんと官能的なことであろうか。この種の官能を、現代の日本映画は喪失して久しい。
 船曳真珠『テクニカラー』では、サパークラブのような空間で時代錯誤のアトラクションが毎日催されるが、『ツインピークス』から飛び出してきたかのようなマメ山田が、奇術師の母娘ペアに妖しく近づいていくのが可笑しい。母を演じた洞口依子は、だんだんビュル・オジエのようになってきた。
 関西から参加の安川有果『カノジョは大丈夫』は、他者と正面から関係を切り結ぶことのできない愚かな女のポートレートを、荒削りながら懸命にデッサンしている。この女は過剰な社交性に溺れたまま流されてゆくが、おのれの惨めさに気づいていないのである。
 他にも、孤独な女たちの背後に西日の差した大川端の水景をせつなくとらえた小品がある一方で、メジャー顔負けの風格さえ漂わせたスリラーや風刺コメディまであり、非常にバラエティに富んだプログラムとなっている。


《桃まつり presents うそ》は、3月13日(土)よりユーロスペースでレイトショー
http://www.momomatsuri.com/
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吉行和子ラストステージ『アプサンス ある不在』

2010年01月22日 01時23分58秒 | 演劇
“ これじゃあ、まるであたしがここにいなかったみたいじゃない。
 まるであたしが存在していないみたいじゃない。”

 東京・新宿三丁目の紀伊國屋ホールで、吉行和子ラストステージ『アプサンス ある不在』が上演されている。ジャン=クロード・ブリアリが芸術監督をつとめていたテアトル・デ・ブッフ=パリジャンで1988年に初演されたこの小さな作品は、ジャン=ルイ・バロー、ピーター・ブルック、ジャン・ルノワールなど錚々たる演出家の薫陶を受けつつ、ジャン・ジュネ、ポール・クローデルの作品を演じてきた女優のロレー・ベロン(1925-1999)が、手ずから書きおろした戯曲。演出は、イヨネスコ『授業』の大間知靖子。

 パリ郊外に建つ館を改造したらしき石造りの古い病院。一時的錯乱で緊急入院してきたジェルメーヌ・ムニエ女史を、吉行和子が縦横無尽に演じ尽くしている。ある時は正気に帰って、悪態をつく孤独で強情な老婆に戻ったかと思うと、次の日には混濁した意識の中で、見舞客や看護スタッフを相手に、幼女時代の思い出や、女教師時代の生徒とのやりとりが再現される。孤独な意識は、どこまでも空想を拡大させてゆくだろう。数週間後、彼女は快復して退院するが、また認知症を再発させない保証はない。しかしラストシーンで、入院中のパジャマから帰宅用の洋服に着替えた吉行和子の、なんと可憐な姿であっただろうか。

 劇団民藝で初舞台を踏んでから約半世紀。今はなき東横ホール(東急東横店の中にあった劇場だが、パルコ劇場の攻勢に敗れ、私が大学1年の時につぶれた)で1961年に上演された、久保栄・作、村山知義・演出の革新的な舞台『火山灰地』における吉行和子の朴訥とした少女のような姿を、以前にNHKの中継録画で見たことがある。少女はやがて可愛い老婆となり、舞台に立つ彼女の姿は、これが見納めとなる。


紀伊國屋ホールで1月24日(日)まで上演後(当日券あり)、兵庫・西宮、鎌倉と巡回
http://www.kinokuniya.co.jp/
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『今度は愛妻家』 行定勲

2010年01月19日 11時51分57秒 | 映画
 公開されたばかりの『今度は愛妻家』を見始めてみると、開巻早々 “これは何かに似ているぞ” という考えが頭をよぎり、スクリーンに目を投じながらも気が散って仕方がない。さて、これは何かのパクリなのであろうか。中年夫婦の危機を描いているとはいえ、往年のスクリューボール・コメディを参照するほどにはソフィスティケイトされておらず、もう少し時代が下った、ビリー・ワイルダーあたりの会話劇でも思い出したかと、どうも既視感が拭えない。
 こういう手合いの、 “なんだっけ、なんだっけ” といつまでも反芻している観客というのは、作者サイドからすれば誠にいやらしい客であって、単に生半可な困り者でしかないが、かといって私がまったく本作を楽しまなかったのかといえば、まったくその逆である。

 まずおもしろいのは、主舞台となる主人公夫婦の自宅である。怠惰なフォトグラファーである夫(豊川悦司)と世話焼き妻(薬師丸ひろ子)の関係は険悪そのもので、妻はしょっちゅう家を空けている。その代わりにこの家には入れ替わり立ち替わり、いろいろな顔見知りが訪問してきて、一騒動を起こして帰っていくのだが、玄関というものがなぜか用意周到なまでに写されることがない。人々はスーと入ってきて、スーと出て行ってしまう。
 多くのコメディにおいて、男と女を隔てるドア、あるいは1組の男女を他の世界から隔離するドアという装置が、あれほど劇的効果をつくってきたというのに、『今度は愛妻家』において玄関ドアは、“こことよそ” を隔てる本来の機能をまったく忘却してしまったかのように、浸透圧のない膜のようなものに過ぎなくなっている。この過剰な通底性が、理由なき演出的遊戯なんかではなく、作品全体を統御している暗黙のルールであることが知れるのは、ずっと後のことだ。
 
 もう1点おもしろかったのが、長身の豊川悦司と小柄な薬師丸ひろ子のいちじるしい身長差が、この作品に奇妙な非現実性を与えていることだ。女がふだんから口ずさむ鼻歌が、男の耳にとってのっぴきならぬ残響と化すという点でも、カップルのいちじるしい身長差という点でも、フェリーニの『道』におけるザンパノとジェルソミーナのような組み合わせを思い出させる。
 別段ここで私は、夫婦の身長というものが釣り合ったものであるべきだと主張したいわけではない。ただ、この奇妙な感覚は、作者側が意識的に仕掛けたものであることは明らかだ、とだけ主張したいのだが、物語内で誕生する新しいカップル(水川あさみ、濱田岳)の場合、逆に水川あさみの方がはるかに背が高い。玄関の透明性、カップルたちの身長差が形成するねじれた小宇宙が、鬼子母神界隈でのごくごく限定的なロケーションと相まって、作品全体に明瞭な輪郭を与えている。


1/16(土)より丸の内TOEI 1他、全国で上映中
http://www.kondoha-aisaika.com/
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ロラン・バルト 著『喪の日記』

2010年01月16日 17時13分52秒 | 読む
 2009年2月にスイユ社から出たばかりのロラン・バルト『喪の日記』が、早くも邦訳刊行された(みすず書房)。翻訳家たちの完璧主義とやらが災いしているのだろうか、世の中には、何年十何年と訳者の書斎で居眠りを続ける洋書が多いというのに、今回の早期刊行は非常に喜ばしいことである。

 バルトという人は周知のように、みずからの家庭を持つことはなく、「生涯で唯一敬愛した女性」である母親とずっと二人暮らしをしてきたが、1977年10月にその母がついに病死する。そして1980年の2月に起きた交通事故が、彼自身の命をも奪ってしまうわけだが、母の死の翌日から悲嘆と孤独の心情を綴りはじめた『喪の日記 Journal de deuil』と名づけられたカードの束が、死後、IMEC(現代刊行物研究所)によって厳重に保管されていた。没後30年近くが経過し、日記に登場する関係者のプライバシーが問題視されなくなったと思われる中、このカードの束をIMECの研究員がまとめた本書は、バルト著作史上もっとも悲痛な作品となった。単なる肉親の死という理解では片付けられない悲しみと自殺衝動が、単純なことばの集積の中に何度もくり返される。

“10月31日 今までにない奇妙な鋭さをもって、人々の醜さや美しさを(街路で)眺めてしまう。”(29頁)
“11月11日 ひどい一日。ますます不幸だと感じる。泣く。”(47頁)
“1978年5月28日 喪の真実は、単純そのものである。マムが死んでしまった今、わたしは死のふちに立たされているということだ(わたしを死から分かつのは、もはや時間だけである)。”(133頁)

 しかし、わずかな変化の兆候が現れる。悲嘆だけに染められていたことばがやがて、写真をめぐることば、写真についての本を書くことへの希望へと変化していく。のちの『明るい部屋』の構想みたいなものの始まりである。書くことだけが、バルトを支えていたことがわかる。

“1978年6月13日 けさ、やっとのことで写真を手にとり、一枚の写真に心ゆさぶられる。少女のマムが、おとなしく、ひかえめに、フィリップ・バンジェのかたわらにいる写真だ(シュヌヴィエールの温室、1898年)。涙がでてくる。自殺したいという思いさえなくなる。”(107頁)

 このようにして私たち読者は、晩年の代表作『明るい部屋』が生成される、その初期衝動を悲痛なドキュメントとして受け取る。私たちはすでに、彼自身の突発的な死が、もうそこまで近づいていることを知っているわけであり、まるで悲劇の舞台を最終幕から逆算して観ているかのような奇妙な感覚に襲われるだろう。しかも、その後の『明るい部屋』のスピーディな完成が、なにか喪の完遂、昇華のようなものにはなり得なかったという事実をも知っているのである。
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『ガーメント・ジャングル』『地獄へ秒読み』 ロバート・アルドリッチ

2010年01月13日 00時28分34秒 | 映画
 「録り貯めたHDDから……を見る」という言い回しが、当ブログに馬鹿のひとつ覚えのようによく出てきて、我ながらうんざりするが、劇場や試写室に出かけられる状況下にはないため、お許しいただきたい。
 そこでロバート・アルドリッチを何本か見た。『特攻大作戦』『攻撃』『キッスで殺せ!』といったおなじみの作品でいろいろと再発見があったが、それにしても未見だった2本の作品──ニューヨークのアパレル業界における労働運動の拡がりと武装右翼による組合つぶしを扱った『ガーメント・ジャングル』(1957)と、第二次大戦終戦直後のベルリンで不発弾処理の恐怖を描いた『地獄へ秒読み』(1959)──は、いずれも恐ろしくすばらしい作品ではないか! なぜ、これを今まで見ずに済ませていられたのか、不思議でならない。
 『ガーメント・ジャングル』では、監督のクレジットがヴィンセント・シャーマンと表記されており、アルドリッチはクランクアップ5日前に監督を解任された。レッドパージの傷跡なまなましい時期としては、デリケートすぎる題材ではあっただろう。ここからアルドリッチの困難が始まっている。苦悩に満ちたヨーロッパ時代である。『地獄へ秒読み』はそんなさなか、英国ハマー・プロの製作協力のもと、ベルリンでロケされた。プロデュースは、ハマー・プロ創設者の息子マイケル・カレーラス。
 アルドリッチ作品というのは、ウェズリー・アディやリチャード・ジャッケル、ニック・デニス、バート・ヤングなど、常連の脇役たちを見るのが楽しいと相場が決まっているが、『地獄へ秒読み』のヒール役ジェフ・チャンドラーという役者が、たいへんすばらしい。残念ながらこの俳優は、本作の2年後、椎間板ヘルニアの手術中に血液の問題が生じ、そのまま息を引き取っている。若死にしていなければ、アルドリッチ映画の重要な常連の一角を担っていたかもしれない。
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エリック・ロメール死去

2010年01月13日 00時12分00秒 | 映画
 エリック・ロメールが11日、パリ市内にて89歳で亡くなった。合掌。1985年に最初の日本公開作となった『海辺のポーリーヌ』で初めてその特異な作品に接して以来、早くも四半世紀が過ぎてしまったが、つい去年には、最後の傑作『我が至上の愛 アストレとセラドン』で “最後まで若い人” を貫いてくれた。
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仏カイエ・デュ・シネマ2000年代トップテン

2010年01月10日 00時24分54秒 | 映画
■PALMARES 2000 années

1- マルホランド・ドライヴ(デヴィッド・リンチ 2001)
2- エレファント(ガス・ヴァン・サント 2003)
3- トロピカル・マラディ(アピチャートポン・ウィーラセータクン 2004)
4- グエムル 漢江の怪物(ポン・ジュノ 2006)
5- ヒストリー・オブ・バイオレンス(デヴィッド・クローネンバーグ 2005)
6- クスクス粒の秘密(アブデラティフ・ケシシュ 2006)
7- 鉄西区(王兵 2003)
8- 宇宙戦争(スティーヴン・スピルバーグ 2005)
9- ニュー・ワールド(テレンス・マリック 2005)
10- 10話(アッバス・キアロスタミ 2002)


 北米勢が5本、アジア勢が4本、北アフリカが1本という、なんとも言えずうなってしまう10本。もしチュニジア出身のケシシュをフランスに数えないとすると、欧州の映画雑誌なのに、欧州勢ゼロという結果に。
 それと、個人的に違和感を拭えないのは、『グエムル』。ポン・ジュノはまあそれなりに優れた作家でないことはないとは思うけど、さすがに4位というのはびっくりした。
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横浜で催される《未来の巨匠たち》

2010年01月07日 17時31分01秒 | 映画
 横浜・若葉町のシネマ・ジャック&ベティで、1月23日から29日まで特集上映《未来の巨匠たち》が催される。日替わりで瀬田なつき、加藤直輝、桝井孝則、唐津正樹、桃まつり、小出豊、佐藤央、三宅唄、濱口竜介の新作・旧作が上映されるばかりでなく、彼ら新進作家たちにとっての「この1本」という名目で『赤線玉の井 ぬけられます』や『ヒズ・ガール・フライデー』などが上映され、ゲストも交えたトークショーも毎日行われるようだ。
 日本の自主映画の新しい波は、基本的に横浜がリードしている。1920年代に谷崎潤一郎、トーマス栗原らが活動した山下町の撮影所「大正活映」が瓦解して以来、横浜という地は、人口増加とは裏腹に、映画にとって創造の面でも興業の面でも中心たり得ることはなく、もっぱらエキゾチックなロケーションと、撮影後の息抜きの遊興を提供するばかりであった。
 そうしたいわば映画創造不毛の地がいま、オーバーハウゼンよろしく、高らかに「未来の巨匠たち」を宣誓するまでになったことには、確固とした理由がある。それは、人である。人を育成していこうという、気概と才覚を持った人たちが、じっくりと筋道立てて活動してきた、これはほんの途中経過にすぎない。
 横浜国大、東京藝大など横浜市内の大学を中心に7校が集って運営が開始されたばかりの「北仲スクール」が、この上映会を主催している。「北仲スクール」は、馬車道の旧「帝蚕倉庫事務所」をリノヴェートしたものらしい。私も一応は横浜国大において非常勤で映像論を長年にわたり講義してきたにもかかわらず、依然としてなんのお役にも立てずにいるが、胎動の直下というものを、多少は感応してきたつもりではある。しかし事態は、予想以上のものになっているふしがある。だから「感応しなおし」に行かねばならない。驚くために、驚ける野次馬となるために。


《未来の巨匠たち》公式サイト http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/
北仲スクール http://www.kitanaka-school.net/
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『夕暮れのとき』 ジャック・ターナー

2010年01月05日 17時40分59秒 | 映画
 録り貯めたHDDから、ジャック・ターナーの日本未公開作『夕暮れのとき』(1957)を再見。最近『イングロリアス・バスターズ』で顕彰されたタフガイ俳優アルド・レイの一挙手一投足を、思う存分に眺められるフィルム・ノワールである。レイは、以前にもジョージ・キューカーの未公開作『パットとマイク』(1952)が放映されるなど、WOWOWとちょっと縁がある。
 夜のとばりが下りて視界の悪くなった新聞スタンドで、人目を憚りながらワイオミングの地方版はないかと尋ねるアルド・レイの横顔に、やがて街灯やネオンサインの光が照らされていく、冒頭のなんともいえぬ薄暗い詩情。バス停でマッチの貸し借りをした見知らぬ男に、夏の夜の過ごしづらさの話題から沖縄戦線での従軍経験まで口走ってしまうアルド・レイに、これからどのような受難が待っているのだろうかと期待感が高まる、ジャック・ターナーらしいうまい導入部である。
 おそらくアルド・レイから発せられる「Okinawa.」の台詞は、彼自身のIwo-jimaへの従軍経験から置き換えられたものだろう。
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