荻野洋一 映画等覚書ブログ

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映画的なセレモニー?

2012-08-01 03:03:51 | ラジオ・テレビ
 ロンドン・オリンピックの開会式が、ダニー・ボイルの総合演出により滞りなく終わった。「(ボイル自身の)映画よりずっと優秀」(青山真治監督 談)だという意見に同感の人間は私だけではあるまい。ただ、スペインのスポーツ紙「MARCA」は “映画的なセレモニー(Una ceremonia de cine)” という見出しで開会式の演出を絶讃していたが、果たしてそうなのか。こういうところで使われる映画的なイメージは、どうも常に映画の実際と乖離しているのではないか。例は古いが、1984年にレーガン政権下で開催されたロサンジェルス五輪の際にも、大量の白と黒のグランドピアノの連弾による「ラプソディ・イン・ブルー」が壮観で、のちに「さすがは映画の都」などと評されたが、実のところはバスビー・バークレーの足下にも及ばぬ大雑把なイメージ交換式に終始していた。
 今回も、オーソン・ウェルズなら「スイスの鳩時計」と皮肉を垂れそうな大雑把なイメージの交換儀式で染め抜かれた。メリー・ポピンズ、ハリー・ポッター、ピーター・パンなどのキャラが登場し、ジェームズ・ボンド、Mr.ビーン、デヴィッド・ベッカムが花を添え、エリザベス女王までがスティーヴン・フリアーズの『クィーン』顔負けのコメディエンヌぶりを発揮した。英国を思わせる芝生のびっしり生えた小高い丘までフィールド内に造り、英国文明の普遍的価値を世界に向けて訴えた形である。そしてその提示方法は謙虚なものだった。
 前回の北京オリンピックの場合は謙虚さというより、孔子の「朋有り、遠方より来たる 亦た楽しからずや」の標語と共に世界最古の文明がそれよりはかなり若い文明の産物に過ぎないギリシャの祭典を受け入れておこう、というスタンスが計られ、総合演出の張藝謀はこの国家的意図の忠実な再現者であることを要求された。
 これに引き替え、ダニー・ボイルには「007でいいだろう」というイメージ交換における冷めた割り切りがあった。最後にポール・マッカートニーがピアノを激しく弾き鳴らしながら「ヘイ・ジュード」をシャウトし、会場全体がパーティのようになる。これでいいのだ。高嶋政宏あたりが「なんでキング・クリムゾンの曲をやらないのか気に入らない。僕にとってはポール・マッカートニーさんより、あそこで70年代のメンバーでクリムゾン再結成でしょ」などとマニア気取りのお節介なコメントを発表したようで、もちろんそれは発言者の自由だけれど、そもそもダニー・ボイルがみずからに禁じたのは、その手の趣味的主張なのである。それを言うならポールにしても「ヘイ・ジュード」よりもっと英国田園讃歌的な「キンタイア岬(夢の旅人)」を演奏したかったのではないか。口パク用ボーカル音源が冒頭流れたのに、かまわずそのままライヴで行ききったポールに「乾杯」と言いたい。演奏終了後に「ああ…」と少しうなだれている彼の姿も画面の隅に見えていたのも見逃さなかったが、彼はこのあと、自身のツイッターに「Live, live, live!」とツイートしていたそうだ。いずれにせよ、前回大会で美少女の歌声が別の少女歌手の口パクだったことが後で判明した事件とは対照的な顛末である。


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1 コメント

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「滞りなく」? (中洲居士)
2012-08-01 09:47:51
記事の冒頭で開会式が「滞りなく終わった」と書きましたが、これは言い過ぎかもしれません。日本選手団が退場後に場内に戻れなくなった件や、インド選手団の行進に一般人が紛れ込んでいた件など、ちょこちょこ手違いがあったようですから。
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