個人的な趣味を外聞はばからずに披瀝させていただくなら、黒木瞳はわが興味の外にある。この世代(1960年前後生まれ)の女優なら樋口可南子をひいきにしている。理由は……いや、わが興味の理由などどうでもよい。どうでもよいのだが、この黒木瞳の女優としての魅力をいかに誰も有効活用していないかというのは、黒木の惨憺たるフィルモグラフィをネットで調べればたちどころにわかる。ようするに、まともな演出を施されたことがないのである。施されたことがないというのは言い過ぎとしても、優れた人材との出会いもまた、その人の才能に属する問題であるとすれば、反論できない。
NHK-BSプレミアムで放送されたショートドラマの十話オムニバス『黒い十人の黒木瞳。』(演出=タカハタ秀太)には、面白く可笑しく90分を過ごさせてもらったが、出会いの欠如に対する省察になっているように思えたのは気のせいか。NHKに冠番組が誕生することじたい並大抵のことではないが、そもそもなぜ、黒木の前には誰も現れないのか。この自問を彼女は十人の女を器用に演じ分けながら、声にならぬ声を出しているのではないか。タイトルから察するに、彼女は市川崑を求めているのだろうか。
強情な女、蓮っ葉な女、可愛い女、可愛げのない女、愚かな女、悪魔のような女…。黒木瞳はなんの苦もなくあらゆる女像を演じ分けてみせ、「誰か若くて才能のある監督、私はこんなこともできますけど」などという安易な露骨さではないにしろ、次から次へと繰り出すさまは可笑しくもやや哀しいのである。
NHK-BSプレミアムで放送されたショートドラマの十話オムニバス『黒い十人の黒木瞳。』(演出=タカハタ秀太)には、面白く可笑しく90分を過ごさせてもらったが、出会いの欠如に対する省察になっているように思えたのは気のせいか。NHKに冠番組が誕生することじたい並大抵のことではないが、そもそもなぜ、黒木の前には誰も現れないのか。この自問を彼女は十人の女を器用に演じ分けながら、声にならぬ声を出しているのではないか。タイトルから察するに、彼女は市川崑を求めているのだろうか。
強情な女、蓮っ葉な女、可愛い女、可愛げのない女、愚かな女、悪魔のような女…。黒木瞳はなんの苦もなくあらゆる女像を演じ分けてみせ、「誰か若くて才能のある監督、私はこんなこともできますけど」などという安易な露骨さではないにしろ、次から次へと繰り出すさまは可笑しくもやや哀しいのである。
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