荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

フランシス・ベーコン展によせて

2013-05-01 00:09:05 | アート
 30年ぶりのフランシス・ベーコン展が現在、前回展と同じ竹橋の東京国立近代美術館でおこなわれている。近年これほど期待をもって迎えられたアート・イベントはなかっただろう。ベーコンの絵画は、ジル・ドゥルーズのテクスト、そして私たち日本語の読み手にとっては浅田彰のテクストなどによって、この30年間じゅうぶんすぎるほど補強され、塗擦され、うねうねと肥大化を重ねていたのだ。
 めくれ上がる肉、歪曲する諸器官。エイリアンの舌のようにグロテスクな突起と化した口唇。今回の展覧会に行ってこの目で確かめれば明瞭にわかるが、あれらは単にベーコンによるリアル・リアリティなのだ。私たちの顔は、生は、器官はかくのごとく大怪我をしている。ベーコン鏡とでも言うべきものがどこかにあり、それでかざして見てみると、私たちの身体はベーコンの絵画とあまり変わりなく変形し、歪曲しているにちがいない。
 ただし、今展のベーコン作品出展数は、たったの33点。スピード系の鑑賞者なら1時間とかけずに見終えてしまうだろう。絵の内部に思う存分分け入っていけば1日かかるが、呆気にとられるほど少ない。まあ依然としてベーコンは、私たちにとって希少価値だということか。前回展の際は作家がまだ存命中だったが、もういまとなっては作品数が増えることもない。

 会場で、フランクフルト近代美術館所蔵の『裸体』(1960)という女のヌードに、わが目は釘付けになった(写真左)。人体の比率からして異常な巨大サイズのソファに寝そべる裸の女。「我、一介の肉塊なり」。ゴーギャン『ネヴァモア』でもいいし、マネ『オランピア』でも、あるいはもっと遡ってゴヤ『裸のマハ』でもティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』でもいいが、裸の女が寝具に横臥する図というのはなぜこれほど、わが目を釘付けにするのか?
 私はこのベーコンの傑作を、ある度忘れした絵の隣に並べてみたいと思った。はて、それは何だったか? 正解は美術館出口のミュージアムショップを冷やかしていたら、すぐに判明してくれた。何を隠そうここ、東京国立近代美術館に昔から所蔵されている萬鉄五郎の『裸体美人』(1912 写真右)だ。萬鉄五郎とフランシス・ベーコンの最強タッグ。充実した肉汁か、どす黒い胆汁か、この2枚の絵画から滲みだしてくる液体の予感と共に、私は置き忘れた生、そして早晩来る死に思いを馳せる。


《フランシス・ベーコン展》@東京国立近代美術館(~5/26)、豊田市美術館(6/8~)
http://bacon.exhn.jp


最新の画像もっと見る

コメントを投稿