スカパー!にて『千姫御殿』(1960)。戦国末期には政略結婚の具に使われた悲運の女と同情を集め、太平の世となってからは一転、荒淫の限りを尽くしたとの悪評喧しかった千姫を山本富士子が演じた本作は、三隅研次が監督した大映京都作品だが、これがなんとも言えぬ悲壮美、というか凄惨美に貫かれて痛々しい。
映画は、千姫が夜ごとつまみ食いした美男子の死体が、翌朝の御殿裏へ無造作に遺棄されるという怪談調で始まり、喜八郎(本郷功次郎)という正義感溢れる公儀隠密の登場によって純愛路線となり、やがて姫が剃髪し、“煉獄の中の被虐”とも言うべき奇妙な幸福感に身を捩らせつつ俗世に別れを告げて終わりを迎える。
思えば、秀頼公との大坂城での別離から始まったこの1人の女の悲嘆と怨念を、浄化し慰めるために、これほど多くの犠牲が払われようとは。
ラストシーン、幕府によって出家を強要され尼僧となった千姫のもとに、一通の手紙が届けられる。すでに切腹した喜八郎から下女に託されたもので、これを涙ながらに読み上げる(それもいちいち音読で、大声で)山本富士子の鬼気迫る演技には、さすがに肝にずしりと来た。このラストシーンのために存在する映画である。
…今は 偽り多きこの世を捨てて
黄泉路の旅に 急ぎ申し候
あの世にて いついつまでも
君を御守り申すべく候
何卒君には 必ずゝ御身を労るべく…(喜八郎の遺書から引用)
映画は、千姫が夜ごとつまみ食いした美男子の死体が、翌朝の御殿裏へ無造作に遺棄されるという怪談調で始まり、喜八郎(本郷功次郎)という正義感溢れる公儀隠密の登場によって純愛路線となり、やがて姫が剃髪し、“煉獄の中の被虐”とも言うべき奇妙な幸福感に身を捩らせつつ俗世に別れを告げて終わりを迎える。
思えば、秀頼公との大坂城での別離から始まったこの1人の女の悲嘆と怨念を、浄化し慰めるために、これほど多くの犠牲が払われようとは。
ラストシーン、幕府によって出家を強要され尼僧となった千姫のもとに、一通の手紙が届けられる。すでに切腹した喜八郎から下女に託されたもので、これを涙ながらに読み上げる(それもいちいち音読で、大声で)山本富士子の鬼気迫る演技には、さすがに肝にずしりと来た。このラストシーンのために存在する映画である。
…今は 偽り多きこの世を捨てて
黄泉路の旅に 急ぎ申し候
あの世にて いついつまでも
君を御守り申すべく候
何卒君には 必ずゝ御身を労るべく…(喜八郎の遺書から引用)