2月9日付の新聞各紙で、台北の故宮博物院が北京の紫禁城にある故宮博物院と、1949年の中台分断以来、初めて本格交流に乗り出す、と報じられている。両故宮の存在は、それぞれの政体の正統性の象徴でもあったわけだから、これは画期的な提携だといえる。
むかしから中国には、「陶をもって政をみる」という有名な言葉がある。陶磁器の出来具合を見れば、それが製作された時期が爛熟しているのか頽廃しているのか、まつりごとが安定しているのか乱世にあるのかが分かるということであり、つまりやきものの色、貫入、形、大きさ、文様等は、ときの政治状況の表象なのである。
陶磁は、上流階級の愛玩物であると同時にインテリアであり、ヨーロッパ、中近東、朝鮮、日本等の王族・貴族・僧侶への最重要輸出品目であり、また市井の民の単なる生活雑器でもあったが、あらゆる芸術ジャンルの中で、青銅器に次いで重要なものであった。私は以前に2度、台北の故宮を訪れて、研ぎ澄まされた陶磁の展示に目を見張った。特に、2度目に訪れたときに開催されていた《北宋大観》における「汝窯」の展示は、わが生涯で1度、いや歴史上で1度だけの貴重な体験となった。
しかし北京の故宮には1度も行ったことがない。理由は簡単で、国民党政府が国共内戦末期に紫禁城から、精選された極上のものを持ってきてしまったからである。保管点数では圧倒的に北京優位だが、最高の作品は台北に集まっており、世の美術ファンはみんな台北を選んでしまう。
これは中国側としては具合が悪かったのだろう。中台緊張緩和の第1オプションとして、両故宮の本格交流が推進・画策されたのではないか。翻っていえば、大陸側の成長に伴い、経済的・テクノロジー的なプレゼンスを失いつつある台湾は、軍事的、領土的によりも先に、まず美学的な側面から懐柔され、武装解除されつつあるのではないか。まさに「陶をもって政をみる」である。
むかしから中国には、「陶をもって政をみる」という有名な言葉がある。陶磁器の出来具合を見れば、それが製作された時期が爛熟しているのか頽廃しているのか、まつりごとが安定しているのか乱世にあるのかが分かるということであり、つまりやきものの色、貫入、形、大きさ、文様等は、ときの政治状況の表象なのである。
陶磁は、上流階級の愛玩物であると同時にインテリアであり、ヨーロッパ、中近東、朝鮮、日本等の王族・貴族・僧侶への最重要輸出品目であり、また市井の民の単なる生活雑器でもあったが、あらゆる芸術ジャンルの中で、青銅器に次いで重要なものであった。私は以前に2度、台北の故宮を訪れて、研ぎ澄まされた陶磁の展示に目を見張った。特に、2度目に訪れたときに開催されていた《北宋大観》における「汝窯」の展示は、わが生涯で1度、いや歴史上で1度だけの貴重な体験となった。
しかし北京の故宮には1度も行ったことがない。理由は簡単で、国民党政府が国共内戦末期に紫禁城から、精選された極上のものを持ってきてしまったからである。保管点数では圧倒的に北京優位だが、最高の作品は台北に集まっており、世の美術ファンはみんな台北を選んでしまう。
これは中国側としては具合が悪かったのだろう。中台緊張緩和の第1オプションとして、両故宮の本格交流が推進・画策されたのではないか。翻っていえば、大陸側の成長に伴い、経済的・テクノロジー的なプレゼンスを失いつつある台湾は、軍事的、領土的によりも先に、まず美学的な側面から懐柔され、武装解除されつつあるのではないか。まさに「陶をもって政をみる」である。
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