秋の夜長、WOWOWで初紹介されたジョゼフ・ロージーの『鱒(ます)』(1982)を、録り貯めていたHDDでやっと見る。
ちょうど30年前の映画で、思えばずいぶんと初見までに時間がかかってしまい、感慨深くないわけがない。ただ、作品そのものはそうした見る側のウェットな感慨などはするりと身をかわし、いっこうに正体を現してくれない。『唇からナイフ』と『秘密の儀式』の中間ぐらいの雰囲気だなとも思ったが、そんな感想も自分を納得させるための方便にすぎまい。
元アメリカの共産主義者の映画監督が、赤狩りのせいでイギリスに亡命し、その四半世紀後になぜか日本ロケのフランス映画を撮るはめになり、投資家や産業人など資本主義者どもの動きを軽妙洒脱に演出したという作品であり、ひどく込み入った事情のせいで何やらよくわからないものになっている。「日本もフランスも鱒の養殖に使う生け簀のような国で、お前たちはお似合いのカップルだ」と、アメリカ人ジョゼフ・ロージーは吐き捨てているのである。
『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラは、小柄なブロンド娘(スカーレット・ヨハンソン)に東京を歩かせるという設定において、本作のイザベル・ユペールを教科書にしたと思われる(それにしては『鱒』とちがって正直な映画だったが)。このころのイザベル・ユペールはたいへんコケティッシュである。本作の途中、彼女が東京都内の美容室で髪をヴェリー・ショートに切ってもらうシーンがあるが、ゴダール『パッション』(1982)でのショートヘアは時期的に見て、この時のカットのまま出演したものだろう。
ちょうど30年前の映画で、思えばずいぶんと初見までに時間がかかってしまい、感慨深くないわけがない。ただ、作品そのものはそうした見る側のウェットな感慨などはするりと身をかわし、いっこうに正体を現してくれない。『唇からナイフ』と『秘密の儀式』の中間ぐらいの雰囲気だなとも思ったが、そんな感想も自分を納得させるための方便にすぎまい。
元アメリカの共産主義者の映画監督が、赤狩りのせいでイギリスに亡命し、その四半世紀後になぜか日本ロケのフランス映画を撮るはめになり、投資家や産業人など資本主義者どもの動きを軽妙洒脱に演出したという作品であり、ひどく込み入った事情のせいで何やらよくわからないものになっている。「日本もフランスも鱒の養殖に使う生け簀のような国で、お前たちはお似合いのカップルだ」と、アメリカ人ジョゼフ・ロージーは吐き捨てているのである。
『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラは、小柄なブロンド娘(スカーレット・ヨハンソン)に東京を歩かせるという設定において、本作のイザベル・ユペールを教科書にしたと思われる(それにしては『鱒』とちがって正直な映画だったが)。このころのイザベル・ユペールはたいへんコケティッシュである。本作の途中、彼女が東京都内の美容室で髪をヴェリー・ショートに切ってもらうシーンがあるが、ゴダール『パッション』(1982)でのショートヘアは時期的に見て、この時のカットのまま出演したものだろう。
1980年代の日本、たしかにディスコのシーンとか大時代な映像ですね。対してサン=ジュニが入っていくオフィスビルのロビーは、オブジェがいいのか撮り方が巧みなのか、古くさく感じませんでした。あと、アレクサンドル・トローネルの美術が入ったシーンは面白くできていましたね。
あと山形勲。時代劇でお馴染みのこの人の面長な顔が、ロージーの不条理劇にもまったく違和感なく収まっている。山形勲はよかったですね!