鳳来にある名刹鳳来寺。
1300年も前に利修仙人により開山されたとされ、松平広忠がその妻於大の方と子授け祈願で参篭をしたお寺でもあります。結果的に寅の年寅の日寅の刻に産まれて来た子どもが、後に徳川幕府を開くことになる徳川家康なのです。
そのため、江戸時代は徳川幕府より手厚い庇護を受けた大寺院となる訳ですが、明治時代になると敵方の保護を受けた憎き寺、と、いうことで特典を一挙に剥奪されてしまい、さしもの大寺院も荒れ果て、最後には火災で焼失します。(困窮した僧侶が寺宝横流したことの発覚を恐れてとの説もある。)
その後、再興が試みられ、寺領として巨大な山林を保有したことから復活を果たし今に至ります。
さて、その鳳来寺に若山牧水がやってきたことがあるそうで『鳳来寺紀行』なる話を書いています。
若山牧水?
※出典:ウィキペディア
そう。
皆さんの国語の教科書で落書きの餌食になった彼です。(それは私とその周辺だけか?)
歌人として有名ですが、改めてwikiで彼の生涯を見てみると「一体、この人はどうやって食っていたのだろう?」という疑問が頭を離れません。
貧困にあえいだようですが、よくもまぁ、生活ができたものだ、と、他人事ながら感心してしまいます。
まして、結構旅行してるんですよね。
しかも、かなりの酒好きで飲みまくってるんです。死後遺体から腐臭がしなかったことから「生きたままアルコール漬けになったのでは。」といわれたという逸話がwikiにあります。
そこまでの逸話を残せたら酒飲みとして本望でしょう。
そんな彼が死の数年前に新城にいる友人のお見舞いを兼ねて鳳来寺で有名な仏法僧の声を聞こう、という旅に出ます。その時のエッセイが『鳳来寺紀行』です。
そんなマイナーな本、読めるんかい、と、思っていたら著作権が切れた本をボランティアの方々で出している無料電子書籍「青空文庫」の中に収録されておりKindleで読めるようになっていました!
こら読まな、と。
※携帯画像なので画質が悪いですが、白黒反転させて表示させています。
さすが歌人。
文章のリズムが心地よく、少ないページ数とあいまって20分程度で読み終えてしまいました。
地元のことが書いてあるだけに「弁天橋。はいはいはい。舟着と新城を繋ぐ橋ね。」とか「湯谷ホテル。あの湯谷温泉駅の建物ね。」とか「鮎滝。はいはいはい。」とか「門谷(かどや)。はいはいはい。」と、大変わかりやすい。読んでいると目の前にカラーで情景が浮かんでくるようです。
ちなみに、鳳来寺山道の石段の数は1,425段と聞いていたのですが、これによりますと1,877段と書いてあります。
かなり鳳来寺を調べて書いたようで、地質から歴史まで、立派な鳳来寺の案内になっています。
最終的に仏法僧の声を聞くことができたようで何よりです。今となってはなかなか聞くことができないだけに貴重です。
ちなみに、私はどこへ行っても「ここの情景ってなんとなく岐阜の山奥に似てる。」とか「ここの感じって名古屋の円頓寺みたい。」とか似た情景を連想して口走る癖があります。そして、別にそれはそれでいいと思うのですが、なぜか妻は「いちいちうるさい。」と突っかかってきます。
「アンタの家族は皆そうだ。」となぜか非難してくるので余計なお世話だ、と、思いつつも、似た情景を思い出さない方が世の中のスタンダードなのか?と、不思議に思っておりました。
すると、この牧水さん。嬉しいことに連想するタイプのようです。
「再び豊川線に乗って奥に向ふ。この沿線の風景は武蔵の立川駅から青梅に向ふ青梅線のそれに実によく似てゐた。」だの、
「豊川流域の平原が次第につまつて来た奥に在る附近一帯の主都らしく、さうした位置もまた武蔵の青梅によくにてゐた。」だの、
「この橋の様子は高さから何から青梅の萬年橋に似て居り、」といった感じ。
世の中、つい似た風景を連想して楽しむ人はいるのだ、と、嬉しくなりました。
何度読み返しても飽きない感じの名文。
鳳来寺にお越しになる前には、一度ご覧になることをお勧めします。
有難味が増すでしょうから・・・。
1300年も前に利修仙人により開山されたとされ、松平広忠がその妻於大の方と子授け祈願で参篭をしたお寺でもあります。結果的に寅の年寅の日寅の刻に産まれて来た子どもが、後に徳川幕府を開くことになる徳川家康なのです。
そのため、江戸時代は徳川幕府より手厚い庇護を受けた大寺院となる訳ですが、明治時代になると敵方の保護を受けた憎き寺、と、いうことで特典を一挙に剥奪されてしまい、さしもの大寺院も荒れ果て、最後には火災で焼失します。(困窮した僧侶が寺宝横流したことの発覚を恐れてとの説もある。)
その後、再興が試みられ、寺領として巨大な山林を保有したことから復活を果たし今に至ります。
さて、その鳳来寺に若山牧水がやってきたことがあるそうで『鳳来寺紀行』なる話を書いています。
若山牧水?
※出典:ウィキペディア
そう。
皆さんの国語の教科書で落書きの餌食になった彼です。(それは私とその周辺だけか?)
歌人として有名ですが、改めてwikiで彼の生涯を見てみると「一体、この人はどうやって食っていたのだろう?」という疑問が頭を離れません。
貧困にあえいだようですが、よくもまぁ、生活ができたものだ、と、他人事ながら感心してしまいます。
まして、結構旅行してるんですよね。
しかも、かなりの酒好きで飲みまくってるんです。死後遺体から腐臭がしなかったことから「生きたままアルコール漬けになったのでは。」といわれたという逸話がwikiにあります。
そこまでの逸話を残せたら酒飲みとして本望でしょう。
そんな彼が死の数年前に新城にいる友人のお見舞いを兼ねて鳳来寺で有名な仏法僧の声を聞こう、という旅に出ます。その時のエッセイが『鳳来寺紀行』です。
そんなマイナーな本、読めるんかい、と、思っていたら著作権が切れた本をボランティアの方々で出している無料電子書籍「青空文庫」の中に収録されておりKindleで読めるようになっていました!
こら読まな、と。
※携帯画像なので画質が悪いですが、白黒反転させて表示させています。
さすが歌人。
文章のリズムが心地よく、少ないページ数とあいまって20分程度で読み終えてしまいました。
地元のことが書いてあるだけに「弁天橋。はいはいはい。舟着と新城を繋ぐ橋ね。」とか「湯谷ホテル。あの湯谷温泉駅の建物ね。」とか「鮎滝。はいはいはい。」とか「門谷(かどや)。はいはいはい。」と、大変わかりやすい。読んでいると目の前にカラーで情景が浮かんでくるようです。
ちなみに、鳳来寺山道の石段の数は1,425段と聞いていたのですが、これによりますと1,877段と書いてあります。
かなり鳳来寺を調べて書いたようで、地質から歴史まで、立派な鳳来寺の案内になっています。
最終的に仏法僧の声を聞くことができたようで何よりです。今となってはなかなか聞くことができないだけに貴重です。
ちなみに、私はどこへ行っても「ここの情景ってなんとなく岐阜の山奥に似てる。」とか「ここの感じって名古屋の円頓寺みたい。」とか似た情景を連想して口走る癖があります。そして、別にそれはそれでいいと思うのですが、なぜか妻は「いちいちうるさい。」と突っかかってきます。
「アンタの家族は皆そうだ。」となぜか非難してくるので余計なお世話だ、と、思いつつも、似た情景を思い出さない方が世の中のスタンダードなのか?と、不思議に思っておりました。
すると、この牧水さん。嬉しいことに連想するタイプのようです。
「再び豊川線に乗って奥に向ふ。この沿線の風景は武蔵の立川駅から青梅に向ふ青梅線のそれに実によく似てゐた。」だの、
「豊川流域の平原が次第につまつて来た奥に在る附近一帯の主都らしく、さうした位置もまた武蔵の青梅によくにてゐた。」だの、
「この橋の様子は高さから何から青梅の萬年橋に似て居り、」といった感じ。
世の中、つい似た風景を連想して楽しむ人はいるのだ、と、嬉しくなりました。
何度読み返しても飽きない感じの名文。
鳳来寺にお越しになる前には、一度ご覧になることをお勧めします。
有難味が増すでしょうから・・・。