入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (70)

2020年02月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 ウーン、きょうは呟きが間に合いそうもない。先日剪定をした枝の一部を燃やしているうちに、すっかりそれに熱中してしまい、さらにその間、野菜不足を補うためスープを作っていた。HALばかりにではなく、人間にも充分に効果があるようにと鍋にチキンと野菜をたくさん入れてコトコトと煮込んだ。冬ごもりの間、和風の鍋料理ばかり食べていたから、今夜は久しぶりの洋風料理になる。

 昨夜テレビで、冬キャンプの様子と、同時季の上高地を紹介する番組を見た。長い物ではなく、見る側もそれほど熱心に見たわけではなかったが、4,5人の男女が楽しそうだった。冬キャンプは、新しい用具や焚火、快適なテント生活と食事、まさしく「楽しさ」が主たる目的の冬の自然の中の集いだった。
 上高地は数人の男女が案内人のカメラマンに連れられて、釜トンネルから徒歩で3時間ばかりかけて大正池まで写真撮影を目的に行くという企画のようだった。これも、現地の気温はマイナス17度だったが、それにも負けずやはり楽しそうに見えた。また、久しぶりに、冬の上高地の映像を目にして懐かしかった。あそこの寒さも思い出した。

 ところで、今意識的に「楽しそう」という言葉を使った。番組の構成上からすれば「明るく楽しく」に文句はないが、この手の番組はいつでも同じ切り口で、塩気の効かない食物を食べさせられているような気になってくる。
 明るくなくても、楽しくなくても、味わい深い番組はある。そういう番組を、もっと見てみたい。明るくなくても、楽しくなくても、自然との深い、感動的な対面はある。そういう体験を、できたらしてみたい。

 そんなことを思っていたら、かんと氏からTELが入った。明日入笠へ来るという。天気はあまり期待できないのではと問うと、少しの可能性に賭けるつもりらしい。
 もし星夜になれば、あそこなら大きな北斗七星と、もうすぐ冬とともに去っていくオリオン座や冬の星座を堪能できるだろう。それに3連休、fukinohaさんたちが種平小屋をベースにアイスクライミングに来るということで、牧場の小屋の前を通るという連絡も受けている。
 かんとさんとは明日11時、弘妙寺の前で待ち合わせることにした。
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     「冬ごもり」 (69)

2020年02月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 昨日の「最強の寒気」も大したことなく済んだ。今冬ではきょうが寒の底を打つという予報もあったが今朝の室温は1度と、この程度なら格別どうということはない。昨年はマイナス4度などという朝が幾日もあった。予報が正しければついつい次の季節、春を心待ちにするようになって、親愛なる冬を裏切るようで気分は複雑になる。
 温暖化のせいで雪は少なくなるばかりだがそれだけの理由ではなく、年齢からしても、少しづつ冬の入笠に対して消極的になってきている。そういうことを、最後に歩いた雪の法華道がいつのことだったかと調べている中で気付かされた。昨年はまだ、法華道であれ、通勤に使う林道であれ、歩いて上に行く意欲が衰えてはいなかった。それがたった一年で、情けないほどその気持が萎えてしまった。それどころか、毎冬歩いたあの古道の記憶までが徐々に薄れてきて、馴染のあまりない山道と変わらなくなってきた、などと呟いたら北原のお師匠は何と言うだろう。
 冬の法華道を行くのは、子供のころに裏山へ橇滑りに行くようなものだと思っていたから、当初は山スキーどころかスノーシューズの利用さえも考えなかった。人を案内して入笠の山頂へ行ったときは、輪かん、スノーシューズ、アイゼンが標準装備であるかのような登山者ばかりに驚いたものだ。それがいつしか、そうした装備の世話に甘んじるようになり、ついには中古のスノーモービルさえ手に入れたくなるほどまでに堕落した。こうなっては、山を裏切っているのか、山に裏切られているのかも、よく分からなくなってきた。



 それに加えて、一緒に老いてきたつもりのHALが、一足先にすっかり老いさらばえてしまった。これまで一度として冬の入笠行に同行を拒否しなかったが、もう「参った」だろう。まだ食欲だけはあって、卵、野菜スープ、米、ドッグフードと人並みに世話を焼かせてくれるが、それにもかかわらず体重を減らし、すっかり老婆になってしまった。今朝は汁を省いたうどんに卵を溶き、それをドッグフードにかけてやったら、卵とうどんを食べただけで肝心のドッグフードを残して、今はお気に入りの場所で日向ぼこをしている。
 小屋に着いて、玄関前の日溜りで飲む冷えたドロドロのウイスキーがなによりなように、HALを伴わない冬の入笠は味気ないものだ。
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     「冬ごもり」 (68)

2020年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また、西日本を中心にしてだが「最強の寒気」が来るらしい。今朝の室内温度は8度だったから、いつもに比べて暖かかった。どれほどの寒気が来るのか分からないが、今冬はもう、雪の法華道を歩くことはないかも知れない。(2月17日記)

 仙人というはまず深山幽谷に棲み、長い白髪に髭も生やし、白い着物を身にまとい、右手には長い杖を持っている。その上、神通力を使って雲に乗り天空を自在に飛翔すると、そんなふうに思っていた。見たわけではないから想像できることはそんな程度で、道教がどう影響したかなどについては知る由もない。
 ところで、仙人の本場の隣国中国ではなく、この国にも仙人らしきが存在したという話が、例の柳田国男の「山の人生」には紹介されていて、それによれば今述べたような個人の勝手な仙人像とは大分違うようだ。
 ここで「仙人出現の理由を研究すべきこと」の概略を呟くことは、話がややこしくて手に負えない。なんでも義経の家来であった常陸坊海尊がその後仙人になって何百年も生きたという話や、800歳まで生きた八百比丘尼の例を挙げている。そして、「神隠し」などにも通ずるが、こうした口碑の生まれた背景には「凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望」み、「説かぬ前から信じようとした」と、当時の人たちの気持ちを柳田は忖度している。また「日本の仙人が支那のように技術の力でなく、とうてい習得しがたい身の運のようなものを具えていたことを、説明しようとする昔話」というように、神通力など見せびらかすこともなく、自らの長命を誇り、古のできごとを実際に見てきたように語る人を、民衆も信じようとし、一緒になって囃し、持ち上げ、日本流の仙人が仕上がったのだと読めそうだ。柳田国男はそういう地方に眠る伝承、民話を掘り起こして、この国の庶民の伝統的な心情のようなものを浮き彫りにしたかったのだろうか。
 この本が初めて世に出た時、芥川龍之介や金田一京介が評価したぐらいだったらしく、それでも充分だと思うが、対して桑原武夫は「公憤」という言葉まで使って世評の低さを怒っている、

 山に暮らす人々やその暮らし向きに興味を覚えるのは、一つには海やそこで獲れる魚の味も知らず、山奥でひっそりとつましく生き、一生を終え、何の苦楽の痕跡も残さずに消えていった人々と、実はわれわれの人生も重なる部分があるからではないだろうか。たとえ歴史に残るような偉人であれ誰であれ、久遠悠久の時の流れの中では畢竟一抹の泡でしかないのだと・・・、しかしそう思うことは慰めでもあり、諦めでもあるわけだが。

 かんとさん、多謝。変換には苦戦してます。何しろ「七生報国」なんて一度も呟いたことがないのに「北斗七星」が「北斗七生」になるのですから。
 
 
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     「冬ごもり」 (67)

2020年02月16日 | 入笠牧場からの星空

                    Photo by かんと氏(再録)
 
  風邪が長引いていながら、安気に夜更けの天竜土手などを散歩してもいいのかと、そんなことを案じてくれる人はいないが、それにしても長く続く風邪で、もう半月が過ぎる。しかし、新型のあのウイルスを疑うことはない。冬ごもりの日々で人中に出ることはまずないから、そんな者にあんなのが感染するなら、すでに間違いなく沖永良部から利尻島まで日本中が猖獗を極めているだろう。幸いそこまではいってないが、それにしてもこの時季は風邪を引いている人もたくさんいるはずだし、特に都会に暮らす人は不安だろう。既存のインフルエンザに加え、エライものが流行り出したものだ。
 
 二日ばかり前、気温も春並みということで、思い切って風邪対策の強行手段に打って出た。まず薬局で風邪薬、それと同じくらいする疲労回復用のドリンク剤を買い、しっかりと風呂に入り、ビールもどきと熱燗を飲み、羽毛服を着て布団に入った。着替えの肌着やタオルも忘れず、これでしばらく寝ていれば汗が呆れるほど出てくるはずだった。
 本を読みながら少し眠ったかも知れない。ところがその間、首のあたりに汗をかいたくらいで、呆れるほどの発汗はなかった。歳のせいで以前のように新陳代謝が活発にはならなかったのかと思ったが、しかしそれでも7、8割がた風邪は治った。微熱だった体温は正常に戻り、鼻水、くしゃみは止まった。なぜ完治と言わないかというと、身体が風邪慣れしてしまい、正常な感覚というものがどんなものかを忘れてしまったようなのだ。だから、非常に風邪に対して疑い深くなって、妻の浮気を怪しむ細い眼をした夫のような気持になっているらしい。え、いやいや、新聞広告にそんな話が仰々しく載っていたような気がしただけ。
 アダシゴトはさておき、体調は問題なし、羽毛服には女房並みに世話になった。
 
 昨夜も、また天竜川の堤防を酔い心地で歩いた。今や入笠以外で行ってみたいと思う場所はあそこしかなく、旅の衣をまとう日がいつ来るのかは本人にも分からない。「遊子は帰還を忘れ」るような旅に出たいとは思うのだが。

 かんとさん、やはりそうでしたか。一応アノ字で良いのか疑問に思い検索をかけたら、そこでも「曲」という字が出たので、内容までは確認しないまま使ってしまいました。同じことをしてみたら今度は「極」になっていました。極軸望遠鏡、訂正しお詫びいたします。

 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
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     「冬ごもり」 (66)

2020年02月15日 | 入笠牧場からの星空

  「冬の大三角」         Photo by かんと氏(再録)

 昨夜はいつもより少し早め、10時ごろに散歩に出た。少しづつ月の昇る時間が遅くなってきていて、そのころなら冬の星空を眺めながら歩くことができると期待したからだ。入笠牧場とまではいかないが、天竜川の土手から仰ぐ夜空もなかなかの星夜で、そうなるとやはりオリオン座は冬の夜空を飾る代表的な星座であると得心させられた。それに加えて、堤防の上に立つと大きな北斗七星が行く手の北東の空に見え、柄杓の柄の先に微かな赤い点をかろうじて見付けることができた。牛飼座の主星アルクトゥールスである。
 北斗七星が柄杓の形をしていると教えられたのは子供のころだった。しかし、それがどうも英語のthe Dipperに由来しているのではないかということに気付いたのはそれからかなり後のことだ。もっとも今の子供たちには、柄杓などと言っても分からないかも知れない。神社の境内で手と口を清める時に使うぐらいしか用はなくなってしまっただろう。
 と、ここまで呟いて、ずっと和製の柄杓ばかりを思い描いていたのだが、実際は西洋というより米国の柄杓なわけで、西部劇でそんな物を目にしたことがあるような気がするが自信がない。それでも七つの星の並びが柄杓に似ていると言われ、素直にそう思ったわけだから、きっと和製であれ米国製であれそれほどの違いはないだろう。栓をひねれば水が出るような時代ではなかったころは、水瓶に水を貯え、その水を柄杓で汲んで使った。おおぐまざの北斗七星がthe Big Dipper、こぐま座の北斗七星の方ははthe Little Dipperになる。同じ英語圏でも英国ではthe Plough(Plow)が主流らしいが、意味は牛馬が引く「すき」のことで、しかしこれは柄杓ほどピッタリしない。
 この柄杓の椀の部分を延長した先に北極星があることはよく知られている。赤道儀を使う際は極軸望遠鏡をこの星に合わせなければならないが、そういう知識はあってもまだ自分ではやったことがない。かんとさんやT井さんに調整してもらい、三脚を据える目印を付けて、それで済ませている。
 そして、その反対の柄のその先にアルクトゥールスを主星とする我が牛飼座がある。それを知ったのは、多分本物の牛飼になってからのことだから・・・、もうそれもかれこれ13年にもなる。星々を眺めていると、不思議なくらい歳月の経過に思いが行く。

 来週は雪の予報も出ている。
 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
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