入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (68)

2020年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また、西日本を中心にしてだが「最強の寒気」が来るらしい。今朝の室内温度は8度だったから、いつもに比べて暖かかった。どれほどの寒気が来るのか分からないが、今冬はもう、雪の法華道を歩くことはないかも知れない。(2月17日記)

 仙人というはまず深山幽谷に棲み、長い白髪に髭も生やし、白い着物を身にまとい、右手には長い杖を持っている。その上、神通力を使って雲に乗り天空を自在に飛翔すると、そんなふうに思っていた。見たわけではないから想像できることはそんな程度で、道教がどう影響したかなどについては知る由もない。
 ところで、仙人の本場の隣国中国ではなく、この国にも仙人らしきが存在したという話が、例の柳田国男の「山の人生」には紹介されていて、それによれば今述べたような個人の勝手な仙人像とは大分違うようだ。
 ここで「仙人出現の理由を研究すべきこと」の概略を呟くことは、話がややこしくて手に負えない。なんでも義経の家来であった常陸坊海尊がその後仙人になって何百年も生きたという話や、800歳まで生きた八百比丘尼の例を挙げている。そして、「神隠し」などにも通ずるが、こうした口碑の生まれた背景には「凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望」み、「説かぬ前から信じようとした」と、当時の人たちの気持ちを柳田は忖度している。また「日本の仙人が支那のように技術の力でなく、とうてい習得しがたい身の運のようなものを具えていたことを、説明しようとする昔話」というように、神通力など見せびらかすこともなく、自らの長命を誇り、古のできごとを実際に見てきたように語る人を、民衆も信じようとし、一緒になって囃し、持ち上げ、日本流の仙人が仕上がったのだと読めそうだ。柳田国男はそういう地方に眠る伝承、民話を掘り起こして、この国の庶民の伝統的な心情のようなものを浮き彫りにしたかったのだろうか。
 この本が初めて世に出た時、芥川龍之介や金田一京介が評価したぐらいだったらしく、それでも充分だと思うが、対して桑原武夫は「公憤」という言葉まで使って世評の低さを怒っている、

 山に暮らす人々やその暮らし向きに興味を覚えるのは、一つには海やそこで獲れる魚の味も知らず、山奥でひっそりとつましく生き、一生を終え、何の苦楽の痕跡も残さずに消えていった人々と、実はわれわれの人生も重なる部分があるからではないだろうか。たとえ歴史に残るような偉人であれ誰であれ、久遠悠久の時の流れの中では畢竟一抹の泡でしかないのだと・・・、しかしそう思うことは慰めでもあり、諦めでもあるわけだが。

 かんとさん、多謝。変換には苦戦してます。何しろ「七生報国」なんて一度も呟いたことがないのに「北斗七星」が「北斗七生」になるのですから。
 
 
コメント
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