入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「春」(22)

2019年03月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

        「初の沢早春」                       Photo by Ume氏

 昨日、無理を承知で上に行こうとした理由の一つは、この独り言に載せる写真のためだった。すでに桜の花を使っておいて、また雪景色というのはいかにもおかしい。できたら避けておきたかった。そこらあたりのことを察してくれたのだろうか
、有難いことにUme氏がきょう、早春の入笠周辺の空撮を含む写真を5点送ってきてくれた。昨日の入笠行は、雨乞いならぬ写真乞いだったわけで、その効果が早速出てくれたと大いに喜んだ。安堵した。
 それにしても、あのたくさんの倒木には参った。春の水気の多い雪が降り、その重さに風も加わりへし折られたのだろうが、殆どが同じ樹種で、それにも驚いた。よく目にする木だが、名前は分からない。それほどの大木ではないが枝が多い。春の雪は少しも珍しくはないが、そのせいであんなに倒木の多かったことはこれまでの12年間にはなかったことだ。
 昨日は全くの思い付きで、それも家を出たのが午後の1時とあって、出発が遅過ぎた。今度はもっと早く、雪の状況次第では歩くことも覚悟して行くことにする。物置小屋の隅に納まった山スキーに、再登場を願ってもいい。きっと、履き替えたり、担いだりと、それはそれで厄介な思いをすることにはなるだろうが、もう、かなりその気になっている。
 あの日陰ばかりが多い山道の中の静けさ、残雪の上を歩くその早春の雰囲気、新鮮な鳥の声、時々降り注ぐ明るい春の木漏れ日、天然から受けるまさしく豊潤な施し・恵みとも言うべきを、満身で味わえるのだと今からでも予想でき、気持ちが昂る。単なる単独の山歩きというだけではなくて、その先には開牧前でも、それなりの労働が待っている。そういった多少の緊張感も、きっとあの幸福感には隠し味のように効いているような気がする。
 幸い、身体的には昨日の雪堀りなどの影響はなかったが、それでも、「年寄りの達者、春の雪」と、あの人は口癖のように言ってた。肝に銘じておこう。

                  *****
 
 そういえば、撮影会を企画して欲しいという声が以前からあり、6月のコナシもしくはレンゲツツジの花が咲くころ、牛の入牧前が良いのではと考えています。どうでせうか。牧場管理人の苦し紛れに撮った写真を見ながら、オレやワタシならあう撮る、こう撮ると思う人は多数いるはずだから、そういう人たちにもぜひ参加して欲しいと願っています。詳細は追ってここでお知らせするとして、ご意見、ご希望も聞かせてください。
 
 なぜ、3行から4行が続かず、切れてしまうのか分からない。
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     ’19年「春」 (21)

2019年03月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                Photo by Ume氏(再録)

 東京では、今週末ぐらいが桜の見頃となるようだが、牧場内の山桜が咲き出すのはまだ1ヶ月以上も先、5月の連休ぐらいだろう。もっとも、そんなふうに思って気など緩めていたら、すぐにそんな日は来てしまう。
 
 と、ここまだ呟いて急に思い立ち、どこまで行けるか予想できない入笠に出掛けてみた。問題は3月に降った雪だと覚悟して行ったのだが、オオダオ(芝平峠)までは殆ど雪もなく、誰が処理したのか倒木が1,2本目に付いただけだった。
 ところが、峠を過ぎた途端、積雪ばかりか倒木が次々と行く手を阻み、のみならず雪の上の轍を見ても、車など随分長いこと通っていないことが一目で分かった。結局、以前に希少金属の調査に来た人たちがよく駐車場にしていた大曲の手前、そうそう何年か前にクマに遭遇した辺りで、ついにそれ以上進むことを断念した。そこまでに、10本近くの倒木を処理したが、チェーンソーならぬノコギリで悪戦苦闘しているうちに、闘志はすっかり萎れてしまった。
 ところが、帰ろうとしてしばらく車を走らせているうちに、このまま引き返えしたのでは何のために来たのかという、厄介な気が湧いてきた。昔、山で味わった敗退のような気分がしてきたのだ。そしてとうとう、再挑戦することにして、また反転した。
 四駆をさらに「L」にして、1速、2速、3速と雪の状態に対抗し、かつまた、さらなる倒木とも闘うという大変に忙しいことになった。池の平を過ぎ、心配していた雪の量が増えたが、以前に"カメ"になった場所もかろうじて通過できた。そして「焼合わせ」まで来て一瞬、「そこまでにしておけ」という囁きを聞いたような気がした。にもかかわらず、その声を無視した。
 最初の大曲は、雪崩たり雪が吹きだまりになったりして冬の難所となる。1速に落として強引に進んだ。かなり限界に近いことを感じていたが、さらに次の大曲に進入しかけた所で、車は前触れもなく雪の深みに嵌まり、停まった。怖れていたカメ状態になってしまったのだ。一冬に最低1回はこれを体験しないと入笠の冬は終わってくれないらしい。用心のためスコップは車に積んでおいたが、倒木処理に加え次は除雪作業、これはまた体力の要る仕事で、鈍っていた身体には良い運動になった。
 
 今夜の酒は美味い。美味過ぎる。それはもちろんいい。にしても、仕事が始まるまでにあの雪はどうなるだろうか。タイヤのすり減った、走行距離16万キロを超える軽トラが怨めしい。
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     ’19年「春」 (20)

2019年03月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 また、この花が今年も咲いた。年によっては春の雪の中、わずかなその隙間から咲くこともある。昨年の今ごろまではこの花の名前を「春(咲く)雪の下」だと信じ込んでいて、この独り言にもそう書いた。そうしたら、先週の「同級会の練習」にも登場したKM子さんが、いつだったかこの花についての独り言を読んだらしく、危うく嘲い殺されそうになった。それで図鑑で調べたら、本物とは似ても似つかぬ花だと分かった。
 信州で暮らし始めたころ、もう15年ばかりも前になるが、ちょっとしたきっかけで山野草に夢中になり、最盛期には40種以上の種類を育てていたことがあった。この花もそのころSさんから頂戴し、名前もその時に教えてもらったのだと思うが、恐らく聞き違えたのだろう。今ではそれらの大半は手をかけてやれず駄目にしたが、それでもまだこの花のように、春になると花を咲かせる山野草も残っている。 
 山野草の名前と植えた場所を記した当時の記録が残っているので念のために調べてみたら、やはり「春雪の下」になっている。名前は不明のまま、それでもこの山野草は放っておいても、この時季には決まって春の先駆けとなってくれる実に律義、殊勝な花だ。こんな陋屋の荒れはてた庭ではと案じもするが、主(ぬし)あるうちは咲き続けてほしいと願っている。手前の3枚の緑の葉が花と同種だから、落ち葉をどければもう一株くらいは仲間の花が顔を見せてくれるかも分からない。試してみよう。



 ウーン、まだ期待できそうな蕾らしきを付けた小さな芽があった。さて、どうなるか。
 で、この花の正しい名前だが、分厚い図鑑を調べるまでもなく、野草に関しては著書もあるDさんに尋ねればすぐ分かるだろう。しかし、そうしない。独り言を聞いてくれてる人の中にも、この写真を見てすぐに花の名前を言い当てることのできる人がいるかも知れない。珍しくも何でもない野花かも分からない。多分そうだろう。それでも、ここに咲いている限り、この白い小さな花には誰かが付けた名前など不要だ。ありふれた花で構わない。
 ある男が持て余し捨てた女でも、また別の男が夢中になって、そしてその新しい関係が双方にとって掛け替えのない間柄になることだってある。というようなことを、この花に対して感じている。




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     ’19年「春」 (19)

2019年03月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 南アルプス、就中仙丈岳に見送られて上京し、また迎えられて帰ってきた。これまでだと、新宿駅の雑踏の中を歩いているうちにいつの間にか、あの街でずっと暮らしながら、毎日同じことを繰り返していたような錯覚に陥ったものだが、今回はそうではなかった。人生の半分以上を暮らしたわけだが、さすがにそれからすでに15年もの年月が経ち、何だか他所の土地に来たようで、懐かしさも、親しみも消えて、東京は他人行儀な印象の薄い街になってしまっていた。
 会いたいと思っていて、会えた人もいれば、手違いで会えなかった人もいた。急な事情で、当初の予定を1週間ばかり早めたことで、連絡するのを断念せざるを得なかったということもあった。それでも、それは仕方ないと、淡々と受け入れた。人ばかりではなく、行ってみたい場所も幾つかあることはあったが、わざわざ電車に乗ってまで訪ねていく気にはならなかった。ただ今回も、いつも行く靖国神社と上野の森だけは一人で出掛け、精神的な義理のようなものを果たしておいた。あの二か所だけは穏やかな幾つかの記憶が、初夏を思わせる陽気の中に変わらずに待っていてくれ、久闊を語るようにしばしの時を過ごせた。桜の開花宣言は翌日だったらしい。

 今回もFMZ君には特段の世話になった。本郷の寿司屋ではマグロを一貫しか食べず、四谷のホテルの中華料理店でもあまり箸を付けなかった、とか。どちらも高級店で、そういう席での会食は「共同作業」だと口酸っぱく言われながら、ビールをチェイサー替わりにして酒を飲むばかりで、彼の折角の心配りを台無しにしたかも知れない。それでも有難く、嬉しかった。皆、みんな、ありがとう。
 家に帰り、落ち着いた途端に東京でのことは、遠い靄のような記憶となってしまった。ホテルの部屋からカイツブリらしきの浮かぶ外堀や、その向こうに延々と続く無機的なビルの乱立を所在無い思いで眺めていたあの三日間の朝夕も一緒に・・・。

 行き帰りのバスから眺めた富士見のスキー場や入笠山周囲の山は、とっくに終わってしまったと思っていた冬の景観そのものだった。その入笠牧場、仕事開始の日もついに残り1ヶ月を切った。今年度の契約は上京する前に済ませておいたが、13年目のその日も、あっという間に来るだろう。

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     ’19年「春」 (18)

2019年03月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「ボケの花はまだずら」と、開口一番TDS君。しかし、花芽はいつ咲き出してもいいほど膨らんでいる。彼はきっと昨日の西行の「形」の誤りにも気付き、呆れていただろう。これは全く気付かなかった。いくら何でも、という気がしている。それと同じ歌「たずねん」は引用する際「たずねむ」に訂正するつもりで、この方はウッカリしてしまった。ネットは、「ん」だった。何か意味があるのかと思ったが、多分誤りだろう。

 S子さん、場所は2案あります。きたいしていいですよ。上に行ってみないと雪の状態は分かりませんが、追って連絡します。(今も「期待」と変換したはずなのに、おかしい)。

 所要で、この呟きを3日ばかり休みます。ご承知ください。
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