入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「春」 (17)

2019年03月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                             Photo by Ume氏(再録)

 外はいい天気だ。西の山も東の山も昨日あたり大分雪が降ったようで、輝いて見える。
 昨日の毎日新聞は「環境省などの報告」を取り上げ、桜の開花は10年に1日の割合で早くなっていると報じていた。しかし、そのことを単純に喜んでもいられない。さらに温暖化が進めば、その花も見られなくなるという。花芽の眠りを覚まさせるには、ある程度の低温の日が続かないと駄目で、そのある程度とは「1日の平均気温が5度前後」が目安だと。温暖化の影響を考えれば、確かに都会では花見などできなくなるかも知れない。小学校の入学式、笑顔を浮かべた親子の姿と満開の桜はよく似合ったが、あんな光景も都会からは消えてしまうということか。
 まだこの辺りでは梅の花も咲き揃わないのに、なぜこれほどまでに人は「花」に拘り、語るのだろう。その花も今では、大方はオオシマザクラとエドコヒガンの雑種、ソメイヨシノという新種である。春、花の下で死のうと詠い、その思いを遂げた幸福な歌人の愛した「花」とは、だから同じではない。あの時代に詠まれた花とは山桜のことだったはずで、当時の人が今の周囲を蔽いつくさんばかりに咲き誇る万朶のソメイヨシノを前にして、果たしてあんな繊細な歌を作ることができただろうか。
 いや待て、吉野へ行ったことはあるが、実際に桜の花の咲いているさまを見たことはない。しかし、当時も今と負けないほどの桜の木が植わっていたとしたなら、いくら山桜でも絢爛に恥じない豪華さを見せてくれただろうとは想像できる。ということは、山桜と言えばつい、入笠の牧場に咲く清楚な花ばかりを思い浮かべていたが、古(いにしえ)の人々が遠路を吉野山へと桜狩に行こうとしたのも、つまりは桜の花の華やかさや、艶やかさに惹かれたからだったのだろうか、かも知れない。

   吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたずねむ  ― 西行 ―

   限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春のやまかぜ  ― 氏郷 -

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     ’19年「春」 (16)

2019年03月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬の間、猟期も含め、囲い罠は解放状態にしてある。そうしておくと鹿の罠に対する警戒心が薄れ、春先になって仕掛けると、写真のように割と簡単にすぐ捕獲できた。しかし近年は、段々そうもいかなくなってきた。囲いの中に入るのは危険だと鹿も学習するのだろうが、それを親鹿や群れを率いる鹿などは、どうやって子や他の鹿たちに教えるのだろう。森の中で人の気配を察知した鹿は鋭い警戒音を発して仲間に知らせるが、きっとあれ以外にも他の方法があるのだろう。
 牛もそうだが、群れを組み安気に草を食んでいても、人間のように会話を楽しんでいるわけではない。それでいて、行動はいつも仲間と一緒にする。1頭が脱柵などすると、他の牛が柵の近くに集まり心配そうに見守っているし、事故などで死ねば、まるで弔うようにその牛の周囲に集まってくる。
 人間にとっては、言葉はなくてはならないものだが、人間以外の生き物はその能力を持たない。いや、発動機が発明されるまでは、北氷洋にいるクジラは南氷洋にいるクジラと低周波音を使い恋の歌を交わすことができたというが、だからといってその歌に聞き惚れて、赤道あたりまで出掛けていって逢瀬を楽しむなんてことがあったとは思えない。ただし人間は、さまざまな通信手段を持つから、そういうことをする人もいる。
 言葉を使い、文字を発明し、それで逆に人間が退化させてしまった能力もあるかも知れない。そんなことを考えていたら、ひところ「忖度」なんていう言葉が流行り、政治家や官僚はあたかも鹿や牛のように、言葉を使わずとも意志を伝え合うことができると聞いて驚いた。いくら"選良"や優れた役人でもそこまではと、あまり信ずる人はいなかったのではないのか。いけない、牧場とは関係のない話になってしまった。



 今年も来るかなぁ、この子供たち。賛否両論あったけれど、この風呂の周囲はこんな囲いではなく、もっとちゃんとした板の塀にした。風呂とくれば水、それでひとつ心配していることがあって、前回上に行った時、いつものあのゴボゴボ音が聞こえてこなかった。取水場には充分な水があったが、またしても、どこかで水道管に穴が開いたかも知れない。気になっている。
 
 雪が降ってきた。積もるほどではないが、上はどうだろう。冬中車で行けて、さあ仕事が始まるぞという段になって、雪に阻まれて途中から歩くことになるかも分からない。そういうことをやりたければ、いくらでもやれ。バカ奴! 
 最後になってしまったが、I坂君、S子さん、おめでとう!良かったね。
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     ’19年「春」 (15)

2019年03月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(再録)
 きょうのUme氏の写真は「目覚める」という題名が付けられている。ダケカンバの芽吹きが始まったころで、春はまだ浅い。東京など、そろそろ桜の開花も話題になりだしたようだが、この山の中でそれを目にするのはまだ2ヶ月ほども先、5月中旬からのことになる。芝平の第1堰堤の枝垂桜が5月の初め、それから1ヶ月近くをかけて花はゆっくりと牧場のある辺りまで登っていく。考えてみればそれも贅沢な話で、東京の桜も入れれば短命な花を、場所を変えて2か月以上も楽しむことになる。しかも窮めは、あの天空の牧から、広大な天と地の間(あわい)で人間は小さな点のようになって、一年ぶりの花との再会を喜ぶのだ。 
 そして、それが花の饗宴の始まりである。次にはヤマナシ、そしてコナシの花が咲き、山はさらに白い絢爛を尽くす。彩度の日増しに高まる新緑と抜けるような青い空、クリンソウも負けじと後を追い、レンゲツツジも若葉をまとう白樺の林の中に目立つだろう。


                                    
 その入笠へは、3月2,3日に行って以来無沙汰を決めている。こんなに行かないでいるのも珍しいが、今行っても、冬の名残りのみすぼらしい後ろ姿を目にするだけのようで、その気にならない。牧の点検などは、東京から帰ってからにしたい。そんな事情で、手持ちの写真が尽き、再録になるがまたUme氏の世話になったり、古いものを引っぱり出して使っている。きょうの2枚目はO谷邸。
 ボツボツ連休の問い合わせも来るようになった。きょうは人間だけでなく、昨秋1週間だけ預かった馬の「ビンゴ」に関してまでも。しかし、これは一存では決められない。

 O里さん:美ヶ原が「われらが超えていくところ?」ですか。フムー。アイヌは遺伝的な関係では、北方から来たモンゴロイドよりも、その前から日本列島に住んでいた縄文人に近いという説を読みました。確かに、かれらのご先祖が縄文人に行きつくなら、美ヶ原でも高尾の森でも、移動、定住は別にして、活動区域であってもおかしくないですね。ついでに入笠も入ると面白いです。それにしても、われわれの文明が極めて短期にこれほど進んでしまって、この先どうなるのでせう。
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     ’19年「春」 (14)

2019年03月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 庭のボケの開花を待っている。写真は昨年撮ったものだが、きょうは日中の気温が上がるようだから、咲き出すかも知れない。この白い花が咲いてようやく、春の到来を実感する。

 途方もないことを呟くが、もし過去、現在、未来の時間の流れが一部でなく、宇宙全体で早まったとしたら、それを観測することができるのだろうか。宇宙の中と外は、時間が存在するかしないかの違いぐらいに勝手に空想して、そこから先はどんな境界があろうとなかろうと、はたまたどうあろうと、全く無関心、理解の埒外、どうでもいい。そんなことは、ようやく足し算と引き算を覚えた小学生が、微分積分の計算式を眺めるようなもの、だ。
 ただし、ふと、そんな手に負えないことを考えてしまうほど日々の経過が早い。5か月の休みも、残り1ヶ月と少々になってしまった。まだそんなにもあるじゃないかと思う人は若い人で、年を取ると自然と、この1か月少々の時間の長さが"体感"できるようになる。まあ、無為なる日々であればあるほど、無為なる年月であればあるほど、体感速度は速まるようで、それによって冬ごもりの4か月がいかほどのものだったかを識る。
 今回はどこにも遠出してない。来週4日ばかり江戸に行き、来月に秋葉神社へ参詣すれば、それで精一杯だろう。行けばそれだけのことはあると承知しながら、もう山スキーを履いてまで、「神々が誕生する」朝焼けの雪山を眺めに行くことはあるまい。
 それでも、これは遠ざかっていくポンコツ車、4か月の時間、が残した排気ガスのような感慨だが、炬燵に嵌まり、虜囚となって、特に何もなく平穏に過ぎたことは有難かった、併せて懐かしさも感じている。

 どうもここにきて上は雪が降ったようだ。経ヶ岳も中腹まで降雪があったらしく、昨日の朝は、宿泊所周囲のヒノキの林には白いものが残っていた。今朝、HALの水桶は凍っていたから、この時季特有の天気の嫌がらせが始まったのだと思う。しかしもう、そういうことに一喜一憂しない、する必要もない。
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     ’19年「春」 (13)

2019年03月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                        Photo by Ume氏(再録)

 林の中に幾つかのコテージがあって、以前にも利用したことがあった。しかし今回、どこがそうだかさっぱり分からない。この時季、コテージなど営業しているのかと案じていたが、予約は取れているはずだった。仕方なく電話をすると「早く上がっておいで」とET子さん。「2階の一番奥」などとも言う。完全な思い違いだと分かるまで、しばらく時間がかかった。
 実はコテージは一方的な思い込みで、今回はちゃんとした村営の宿泊施設だった。すでに4名が到着して、後続のわれわれを待っていた。古来稀なる年齢を過ぎた者同士、もう手のかかる食事作りはせず、宿泊所の世話になることに決めてあったという。そこら辺のことは、どうやらいい加減に聞き流してしまったらしい。もちろん、暖かいベットのある部屋の方が有難い、文句なし。
 ところでこの集まり「同級会の練習」と言う。この変わった名前が定着し、いつも同じ仲間で最低でも年に1回はやっている。男3人、女3人、そのうちKM子さんの旦那S氏は同級生ではないが、そういう人がいるのも悪くないと、同級生のような格好に納まっている。もう、付き合いはかなり長い。若干他の同級生が出入りしたこともあったが、今は増えもせず、減りもせずでずっと安定している。生憎YR子さんは翌日に用事ができたとかで宿泊できなかったが、夕食は一緒にして、結構遅くまで付き合った。いつもメルセの、その中でも高級車で迎えにきてくれるM君とET子さんは中学からだが、KM子さんYR子さんは学年ひとクラスしかない小学校1年からの付き合いで、呼び捨ては当時から変わらない。
 ここでそれぞれのことを呟いたら面白い個性派ばかりだが、それは控えておく。酒を飲み、若いころに還って語るのはつくづくいいものだ。牧場の露天風呂の写真を見ながら「今度は混浴するか」とMが言ったら、間髪入れずに「いいよ」と恐ろしい返事が返ってきた。そういう冗談も言える年齢に来てしまったことを喜んだらいいのか、悲しんらいいのか、何とも複雑な思いが湧いてきた。合掌

 この5か月というもの、運動らしきことはまったくしてません。だから仕事を始めると1ヶ月くらいは大変です。確かに白岩岳は標高差1千メートル、かなりの急登です。しかし、戸台からの20キロ余を革靴で牧場まで歩いてきたO里さんのこと、大丈夫でしょう。「アジアから消えた多様な『人類』たち」という傍題の本を読んでますが、アイヌの祖先がこの辺りにもいたのでせうか。




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