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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’18年「冬」 (43)

2018年02月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 記憶が薄れないうちに〝冬物語″を続けたい。

 早朝、寝ている間に、「みろく山の会」のご一行は全員が前日に歩いた道を戻り、登山口から入笠山頂、さらにヒルデエラ(大阿原)、テイ沢へと出発したようだった。締三郎翁と女性の会員が1名居残るはずだったのに、その二人も出掛けていってしまった。朝7時半の気温は零下16度。
 たった一人で小屋にいると手持ち無沙汰で、取水場の屋根を直したり、水量を調整したりして時間を潰した。風もなく天気もよかったから、つい付近をフラフラとしたくなったが、外に出るとなるとそれなりの支度をしなければならない。それも億劫だった。また、ご一行は午後の1時くらいには戻ってくるはずで、その後どこかを案内しろと言われる可能性があった。特に初めて来た人たちならその気持ちは余計に強いだろうと、その時に備えて小屋の前の陽だまりに椅子を持ち出し、そこで体力を温存しておくことにした。
 小黒川が削った深い、狭い谷が南に続いているが、概ね周囲は山や丘に囲まれている。そのせいで、太陽の光は溢れるばかりか、その降り注ぐ多量の光を真っ白な雪原が跳ね返えす。それでも、眩い光が溜まりにたまって、管理棟の入り口は天然の温室だと言っても良かった。
 静かだった。権兵衛山が、ものぐさ男を叱っているように見えていた。



 やはり、5,6名の希望者があって、日の落ちる前にと牧場を案内した。あれだけ歩き回ってきたはずなのに、まだ体力が残っているようで誰も急登を厭わない。雪の斜面を上に出ると、まず御嶽山、そして乗鞍、穂高は見えていたが槍は雲の中だった。緩やかな雪原の先に中アの空木岳が見え出すと、ダケカンバの鋭い枝の間から西駒ケ岳の山容も見えてきた。振り返れば、北方の空間を埋めるように霧ヶ峰、その奥には美ヶ原が続き、その視界の半分には、大きな夕暮れの空が広がっていた。誰もが、言葉をなくし感動していた。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。

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    ’18年「冬」 (42)

2018年02月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気は今回も良かった。抜けるように澄み切った冬の空に、入笠山よりもずっと親しんできた無名の山、取り敢えず名付けた権兵衛山が、機嫌よく迎えてくれた。11時20分だった。
 実は、いつも用心のために入れにておくビールがザックの中になかったため、道中、ない物ねだりの欲求を抑えてきた。それだけにまず、冷たいビールで喉を潤したかった。しかし、管理棟の〝お宝″はすっかり凍ってしまっていて、缶の一部は膨隆しているような有様、諦めた。
 もとよりビールを正妻とし、ウイスキーを愛妾とするような気持ちなぞない。両者とも愛すべき正妻である。ならばと、まずはドロドロになったウイスキーをカップに入れ、それから日当たりの良い玄関に椅子を出し、いつものように権兵衛山に乾杯し、それから含んだ、そして飲んだ、「ゴク」。途端、口中から体内へと、至福が駆け抜けていった。



 「みろく山の会」のご一行が姿を現したのは、薄雲の出た1時ごろだった。毎冬来てくれているが、顔触れは少しづつ変わっていた。その中で常連さんの中にリーダーであるA川女史がいて、OZWさんがいて、O槻さんもいた。他にも見知った顔があったが、何より参加が危ぶまれていた締三郎翁84歳が、変わらぬ笑顔を浮かべ、見覚えのある1年前と同じ衣装で現れて感動した。残念だったのは、いつもニコニコしている禿頭(とくとう)のA達さんがいなかったことだった。因みに、この会では若い会員でも立派に50台を超えている。A達さんのそれだけが例外というわけではない。
 その夜、宴が始まると、用意しておいた鹿肉がまずはステーキにされ、瞬く間に善男善女の胃袋に納まったらしかった。そして、アルコールの溶けた語らいのたけなわ、満を持してヒーロー・締三郎翁が登場した。一昨日紹介した譜面台は、そのときすでにヒーローの前に、従者のように置かれていたとか。
 やがて、朗々とした歌声が真冬の夜の静寂(しじま)の中に一条の光の帯のように流れ出ていった時、人ばかりでなく、クマと穴熊とタヌキが、じっと耳をそばだてて聞いていたという。
 冬物語、つづく。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。



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    ’18年「冬」 (41)

2018年02月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 久しぶりの曇天も悪くない。きょうは何の予定もないから、朝から血管の膨らむ薬を飲んだり、風呂にも入り、終日を炬燵の虜囚の身に甘んじていようと思う。

 2月最初の週末、もう大分前のことのように感ずるが、T君と一緒に登った法華道には4時間と少々をかけ、それと比べ今回の単独で登った時は3時間と、1時間以上も差ができた。しかしそれは、スキーとスノーシューズの違いではないし、もちろん同行者がいたからでもない。実に単純な、雪のせいで、それほど雪の質と量の影響は大きい。T君と一緒の時は降雪から間もないため潜り、ために短い休憩を2度取ったが、一人の時は時々立ち止まるだけで済ませた。足に来る疲労がそれだけ違っていた。
 今回もモクモクとひたすら歩き、登った。北原のお師匠が気にしていた、師の立てた9本の道標の様子を写真に撮ろうとしたが、それも思うに任せなかった。登行を楽しむというより、自らを一種の苦境に放り込んでおいて、そこから一時でも早く脱出することだけを目指すといったふうの、およそ余裕のない、いつもの山行だった。
 もう馬鹿らしいから、今だに山にこだわる理由などを自問することは止めてしまったが、ただ苦行のような単調な登行の中にも、何か喜びのような、心を惹き付けるだけの妙味が湧いてきたりすることがある。それは、「厩の平」というその名の通りのわずかな平坦な場所で一息いれながら、葉を落とし尽くした広葉樹の森を眺めていた時であったり、尾根を登り終えて「山椒小屋跡」をようやく過ぎた辺りで、雪の上に残した自分の踏み跡を振り返った時などの、ほんの束の間のことでしかないのだが。
 御所が池に下る山径との分岐まで来ると、そこからは複数の足跡があって、それは御所平峠の方へと続いていた。さらに行くと、足跡は林道を無視して落葉松の林の中に消えていた。どうやらそれが峠への新しい冬径らしかったが、それを辿ることはしなかった。
 今回は本家・御所平峠を経由し、そこで雪に埋もれかけた地蔵尊に黙礼した。そして、間もなく終わる雪の道を急いだ。


  
 昨日の締三郎翁登場の独り言には多数の反響があり、お師匠も関心を寄せ、電話をしてきたほどだった。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。





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    ’18年「冬」 (40)

2018年02月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      これまでに、これだけのアップに耐えた人はいない

 スター・締三郎(しめさぶろう)翁84歳、止まらない熱唱!多くの人は首を垂れて、聞き入るのみ。



 締三郎翁は本当に偉い。感服、この一言。この時代遅れの山小屋に今冬もまた、男女11名の山の仲間と来てくれた。そして、ひたすら歌う。この譜面台にも注目物してほしいが、元よりこんな物がここにあるわけがない。翁が背負ってきたのだ。それも年代物の鉄製で、かなり重いシロモノだという。あの夜の、参会した人はもちろんだが、雪原を渡る翁の澄んだ「蘇州夜曲」の歌声に、クマもタヌキも穴熊も聞き惚れ、涙し、しばし厳寒の冬ごもりのつらさを、彼ら彼女らは忘れたという。
 特筆しておかなければならなのは到着の翌日、登山口―入笠山頂―ヒルデエラ(大阿原)-テイ沢の雪の道を翁もしっかりと踏み、歩き、数百人を抱えるNPO法人「みろく山の会」会員としての古参の面目を、堂々と果たしたということだ。これは、立派な冬の記録と言いたい。今回は理事長も参加してくれたから、会の記録にしっかり残して欲しい。

 一夜明けたら雪の入笠は遠く、あそこに2泊3日過ごした自分が、まるで他人のように思える。このごろ山はいつもそうだが、得たものよりも、正体のはっきりとしない失ったもののほうが気になる。それは山で過ごした時間かも知れないし、費やした労力かも知れない。また、ひたすら歩くその間の、擦過する煙のような想念も知れない。山を去る時には、少し軽くなった背中の荷のように自分の中からも、取り返せない何かが減じたり、消滅したような気がする。
 明日から、山行記ふうにもう少し、この時季の入笠牧場とその周辺の様子をお伝えしたい。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。

 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。


 




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    ’18年「冬」 (39)

2018年02月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 日の経つのが早い。明日はもう、また上に行かなければならない。入笠に関しては、2月の予定はそれで終わる。そしてさらに10日もすれば、3月が来る。そう思うと、冬の重圧からようやく解放されるという安堵感が湧いてくる。同時にその一方、いつの間にか5か月の休みがあまりにも呆気なく終わってしまうことへの焦慮もある。今冬のことだけではない。それは、10年以上も入笠に嵌まってしまっていたことへの、似たような気持ちでもある。

 前回に法華道を使わなかったのは、林道の方がスキーでは楽だろうと考えたからだが、その予想が正しかったかは微妙だ。今回スキーを止めて、法華道をスノーシューズで行くつもりでいるのは、登りもだが帰りのことが頭にあるからで、あの藪の多い尾根道を、あの傾斜を、スキーでは結構手古摺るのではないかと心配しているせいだが、これも実際は分からない。まだスキーの選択も完全に捨てたわけではないが、雪の状況次第だろう。滑走を主体にしている今の板はカービングしていて、そのため浮力が犠牲になってしまっている。スノーシューズと比較して、スキー板の方が全体の面積が広いという理由だけで、浮力が大きいという人もいたが、それは思い違い、錯覚だろう。
 とにかく、少しでも楽をして登りたい、下りたい、という思いがある。それも年々歳々その気持ちは強くなる。だから、それならもう年だし、富士見のゴンドラのお世話にでもなればいいと言ってくれる人もいる。しかし、今わの際に、蕎麦汁(つゆ)にたっぷりと浸けた蕎麦を一度だけ食べてみたかったと言った粋人のように、あるいは「赤い血潮に触れもせで」道を説く「寂しい」人のように、まだ痩せ我慢を終わらせるわけにはいかないと思っている。
 それに、あの誰も通らない冬の古道を行くのは、それなりの深い味わいがあって気に入っている。今年の冬が去っていく前に、もう少し見ておきたい風景が、まだあの凍(し)み雪の山路にはある。



 仄聞するに、前掲の「熱き血潮云々」の歌を俵万智サマは、晶子が夫の鉄幹に対して歌った作品として口語訳しているとか。どうすれば、こんな好色、淫乱、色摩、破廉恥が、「道」など説けると思うのか。

 そういうわけでこの独り言、来週火曜日まで休みます。

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