子供を育ててみて
一番痛切に感じたことの1つが、
平等というモノサシの意味のなさ。
「平等にね、公平に」のモノサシは、
全く効力がないなあ、ということ。
うちの次女は
一番下の子というだけで
常に抱っこされ、
私にぴっちりくっついている。
長女はいつも
新品を買ってもらって
それでもいつも
次女の買ってもらうものが
うらやましくてしかたがない。
姪っ子は、
手のかかる弟のせいで
ママと二人っきりでお出掛けができないし、
オシャレして家族でショッピングとかもできなくて
「いつも私の邪魔ばっかしてー」
と、時に弟を殴ったり(大人の見てないところでね)
でも
頭が良くて手先が驚くほど器用で
「ハーフですか?」って言われるほど
肌が白くて可愛くて、
そんな姪っ子は
同級生(やそのママからっ!)から妬まれてるみたい。
よく
戦争中の話として
病気がちな下の子を預けて
上の子だけつれて逃げたとか、
そんなとても切ない話を聞く度に
自分だったらどうするかなあと
考える。
子供を育てる時には
時に残酷な選択を迫られる。
やけどして泣いてる次女を一刻も早く病院に連れて行きたくて
焦ってタクシーに飛び乗ったのはいつのことだったか。
そんなときは、長女の存在はただうっとうしいだけで、
あの時、もし追いすがれたら蹴飛ばしていただろうな。
これからもそんなせっぱ詰まった瞬間を
何回体験するのだろう。
げんなりする。
それでも
みんなみんな
同じように笑顔でいてほしい
幸せになって欲しいと
陳腐すぎて恥ずかしいけど
ほんとうにそう思う。
そしてもし
母の立場で、そんな目で、
ニュースを見ていたら、
沖縄の話も、遠い国の戦争も
もすこし違ったものになるかもしれないなあ、
とも思う。
すっかり風の気持ちの良い
青空の午前中だから。
一番痛切に感じたことの1つが、
平等というモノサシの意味のなさ。
「平等にね、公平に」のモノサシは、
全く効力がないなあ、ということ。
うちの次女は
一番下の子というだけで
常に抱っこされ、
私にぴっちりくっついている。
長女はいつも
新品を買ってもらって
それでもいつも
次女の買ってもらうものが
うらやましくてしかたがない。
姪っ子は、
手のかかる弟のせいで
ママと二人っきりでお出掛けができないし、
オシャレして家族でショッピングとかもできなくて
「いつも私の邪魔ばっかしてー」
と、時に弟を殴ったり(大人の見てないところでね)
でも
頭が良くて手先が驚くほど器用で
「ハーフですか?」って言われるほど
肌が白くて可愛くて、
そんな姪っ子は
同級生(やそのママからっ!)から妬まれてるみたい。
よく
戦争中の話として
病気がちな下の子を預けて
上の子だけつれて逃げたとか、
そんなとても切ない話を聞く度に
自分だったらどうするかなあと
考える。
子供を育てる時には
時に残酷な選択を迫られる。
やけどして泣いてる次女を一刻も早く病院に連れて行きたくて
焦ってタクシーに飛び乗ったのはいつのことだったか。
そんなときは、長女の存在はただうっとうしいだけで、
あの時、もし追いすがれたら蹴飛ばしていただろうな。
これからもそんなせっぱ詰まった瞬間を
何回体験するのだろう。
げんなりする。
それでも
みんなみんな
同じように笑顔でいてほしい
幸せになって欲しいと
陳腐すぎて恥ずかしいけど
ほんとうにそう思う。
そしてもし
母の立場で、そんな目で、
ニュースを見ていたら、
沖縄の話も、遠い国の戦争も
もすこし違ったものになるかもしれないなあ、
とも思う。
すっかり風の気持ちの良い
青空の午前中だから。