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梅原猛さんと「和魂洋才」と「日本的霊性」(上)

2019-01-18 11:50:34 | 日記
 「大西巨人さんとの最初の出会いは54年前、18才の時だった。(略)その大西巨人さんが昨日97歳で亡くなられた。野間宏、そして加藤周一に続いて、恐らく最後であろう小生にとっての知の巨人が去って行かれた。」(2014年3月13日付け「大西巨人と野間宏」より)      上述の文章は5年近く前に書いたものです。この14日、日本学の梅原猛さんが亡くなられました。享年93歳でした。野間先生や花田清輝、大西巨人や加藤周一とは一回り若い世代、戦争によって青春を奪われた世代、いわゆる「失われた世代」に属する人で、その「失われた世代」の中では際立ったた存在、僕にとっては、野間世代を引き継ぐ“考える”知識人を代表する一人でした。とりわけ梅原さんとは同い年で、「失われた世代」を代表するともいえた僕の義兄が昨年亡くなったと言うこともあって感慨深いものがありますが、知の人としての野間先生がフランス文学・哲学から浄土真宗を通じて仏教世界に深く浸透していったように、梅原猛さんも西洋哲学から研究の対象を日本の仏教・歴史探索に転じていったと言う点では共通したものがあったのです。      僕が、梅原さんの法隆寺、聖徳太子について書かれた『隠された十字架』や万葉の歌人柿本人麻呂の悲劇について書かれた『水底の歌』を貪るように読んだのは、1970年代初頭、野間先生からの影響や亀井勝一郎の『日本人の精神史』、石牟礼道子の『苦海浄土』などを通じて、文学的視座から僕自身仏教哲学に深くのめり込み始めていた頃でもありました。忘れもしないその一冊が岩波文庫版の鈴木大拙の『日本的霊性』でした。