農文館2

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考えることを忘れて(1)

2015-04-06 17:19:12 | 日記
 先月22日、大阪で「マクロビオティックと経済を哲学する」と題し、講演してきたことを取り上げました。以下その要旨を何回かに分けて掲載します。


1.「哲学する」ことを忘れて
 
 演題のタイトルに取り上げている「哲学」とは、難しいことではなく、「考える」程度の事と思って下さい。
 一昔、いや二昔前以上、選ばれた者たちだけが高等教育を受けられた頃の青年に欠かすことの出来なかった学問は哲学でした。「デカンショで半年暮らす」という歌の文句にも象徴されています。デはフランスの哲学者デカルト、カンはドイツの哲学者カント、ショは同じドイツの哲学者ショーペンハウアー、この三人の哲学者をまとめて一語にしたのが「デカンショ」です。1960年代初頭、日本の高度経済成長を指導した池田勇人首相が、当時フランスの大統領であったドゴールに面会した後日談ですが、ドゴールが彼の盟友であり、フランスを代表する文学者であった文部大臣のアンドレ・マルローに次のようなことを言ったそうです。

 「彼(池田)はトランジスター・ラジオのセールスマンかね?」。今日でこそフランスも経済重視の国になっていますが、それでも高等教育の核が「哲学する」ことにおかれていることには変わりありません。何を言いたいのか? すでにこの頃から日本人が「考える」ことをしなくなってからいく久しい、と言うことです。
 
 ところで、その三人組の一人カントは、230年前「一切の変化は原因と結果とを結合する法則によって生起する」と言っています。今日の経済至上主義が日本を問わず世界各国にもたらしている様々な問題について考える上で、これほど簡潔で要点をついた言葉はないような気がしています。それは「哲学する」者の一人として、経済至上主義、単刀直入に言えば「強欲資本主義」(欲望原理主義)の行方を語るに相応しく、かつ今日ほど「哲学する」「考える」ことの大切さをこの言葉が想い起こさせてもくれるからです。

「えひめ千年の森を作る会」とご夫婦の歩み

2015-04-02 09:38:12 | 日記
 正食協会での講演が終えた翌日の3月23日、「えひめ千年の森をつくる会」の会長夫妻に京都でお会いしました。先に正食協会の年次総会で、各地域のマクロビオティック料理教室の先生方の生き生きとした活動報告に胸を打たれたとお伝えしましたが、その中のお一人が、愛媛から来られた鶴見恵子さんで、彼女は料理教室の先生を務める一方「棚田で循環型の暮らし」をしながら、会長である鶴見武道さんとともに「えひめ千年の森をつくる会」を立ち上げ、愛媛のみならず「四国の森づくり」に活動なされていたのです。

 彼女とはこれまで何度か口をかわすことはありましたが、それほど深くお話を聞くことはありませんでした。ご夫妻にお会いすることになったは、当日彼女たちも京都に滞在するということで、前日、彼女からお誘いを受けたのです。小生としては当日午前中予定も入っており、あまり乗り気ではありませんでした。しかし、関心のあった棚田のことをもう少しお聞きしたかったことも事実ですが、正直お会いしたいと思う気になったのは、彼女の短い会話の端々から窺えた夫である武道さんへの深い尊敬の念でした。日頃、熟年夫婦の冷めた関係を耳にしがちなだけに、さらっと出た彼女の言葉はとても新鮮で、小生にとって久方振りに心温まる響きでした。昨年、康花美術館に赤子を抱えて来館された若い女性が、どんな会話の中でだったかは今では定かではありませんが、「私は誰よりも、この子よりも、夫を愛しています。」と言った言葉が思い出されもしました。

 お会いしてみれば、正に恵子さんのお話の通りの方でした。小生より少し年下の団塊の世代で、愛媛大学の先生をされながら、上述の「えひめ千年の森をつくる会」の会長、「えひめ森林ボランティア連絡協議会」会長、「四国の森づくりネットワーク」会長を務めれおられるとのことでした。林業学が専門で、日焼けした逞しいお顔から出てくる朴訥とした話しぶりは、謙虚で穏やかで優しく、自然を愛する気持ちがにじみ出ていました。移住者、よそ者であるがゆえにこれまで色々とご苦労もあったかと思いますが、お二人の仁徳、その輪は着実に広がっていることが窺われました。夫唱婦随、婦唱夫随、しらけることのない共通の理想と目標を持った夫婦の美しさ、お二人を前に失ってしまった何かを僕自身思い起こされてもいました。
 聞けば、ご夫婦が愛媛に移住したのが2000年、僕と娘が長野へ移住したのが2001年、しかも、愛媛に移住する直前まで今の仕事を千葉でやるために広大な農林地を購入契約していたとのこと、実は小生も契約書こそ取り交わさなかったものの、長野移住直前まで千葉で有機農業をやるところだったのです。さらに聞けば、「大地の会」を設立した、千葉の鴨川で農業を実践し、故人となられた藤本さんとは交誼の仲、小生は研究会での藤本さんの講演録に手を入れ、学会誌に載せるべく彼に推敲を依頼している最中? 亡くなられたという思い出もあり、お二人と重なることの多かったことも、いつしかそれてしまったかにも思えるわが道を振り返させていたのです。

 武道さん、愛媛大学の先生をされながらと紹介しましたが、正確には任期を残しお止めになられたとのことでした。苦節15年、念願の塾、学校をつくるためだそうです。僕が長野県の麻績村に移住したのも、全く同じ思いからでした。今でこそ、明治時代の再来には否定的ですが、江戸中央政権を倒す原動力となった地方の塾校「松下村塾」の役割は、東京一極集中の今でこそ評価すべだと思っています。麻績では娘とともに目指していた「農文館」は
、「松下村塾」が下地でした。武藤さんも全く同じだったのです。余りの共通点に話は弾み、時間を忘れる半日を過ごさせていただきました。

 二人三脚、お二人の人柄と実行力で「鶴見塾」はきっと実現することでしょう。小生も微力ながらお手伝いできればと念じておりますが、麻績に移住して14年、自らを省みるとともに、お名前を挙げてまでここでご紹介したのは、閉鎖的と言われる地方社会にあって、よそ者、しかも高齢に近い夫婦が「愛」を絆に共通の理想と目標を持ちながら頑張っている姿の片りんを少しでもお伝えしたかったからです。