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世論が支える「経済至上主義」日本の現実(6)

2015-04-16 08:14:56 | 日記
5.世論が支える「経済至上主義」日本の内実
 
 翻って日本はどうか? ヨーロッパ同様、経済停滞下のナショナリズムの高揚という「コンセンサス」(世論)に押されて再任された安倍政権も、格差の拡大が社会不安を助長するという認識では『21世紀の資本』が指摘しているのと同じのようです。アベノミクス、いわゆる経済政策としての「3本の矢」がいずれもが経済成長を促し「美しい日本」を取り戻すというキャッチフレーズからも窺えます。ただ『21世紀の資本』との政策面での違いは、安倍さんが経済成長を優先するのに対して、ビケティ氏は累進課税・富裕税を選択すべきだとしていることです。 一昨年の11月、この場を借りてお話したように、日本経済は構造的(社会人類学的)に行き詰まっているというのが僕の診断でした(「マクロビオティックと国際経済」、本誌2024年9,10,11,12月号掲載)。それは経済成長が限界にきているという点では多少ビケティ氏に近い見方でしたが、厳密に言えばやはり違うということになります。

 端的に言えば「資本の文明化作用」そのものが先進国では最早市場の場を失いつつあるというのが僕の診断です。「資本の文明化作用」とは、資本主義経済とりわけ市場経済至上主義=極端な唯物信仰の下で、資本と科学技術が合体して文明化=進歩という大義をかかげて、森羅万象全てを商品化金銭化し市場化するということです。その結果、人間関係、家庭形成、具体的には子育て、介護など本来人間が最低限の仕事として保持されるべき分野まで侵食され疎外されているのが現実です。そしてそれら市場と目される場は限界が見えてきているばかりか、それらの市場を維持するためにも社会保障・医療費など莫大な費用コストのかかることが明らかになってきています(典型のひとつが原子力発電の開発とその維持費用の関係です)。蛸が自らの脚を食べて命を落としてしまう原理と同じです。日本を初め先進諸国の殆どが膨大な財政赤字に陥っているのはその証です。

資本の文明化作用症候群の例:
 糖尿病患者数――950万人 予備軍1100万人(2012年)
 高血圧症者数—―906万7000人(2011年)
 認知症者数 ―-462万人 予備軍340~400万人<2012年)
 ネット依存症者数—―270~400万人 10代40万人
 躁鬱病患者数――約100万人(2011年)
 引きこもり者数――推計70万人(2013年)

シャイロックから『目には目を』(5)

2015-04-14 09:51:31 | 日記
シャイロックから『目には目を』

 聞けば、海外から「イスラム国」に参戦している2万人近くの若者たちのうち、ヨーロッパ諸国に在住していたかなりのイスラム教徒が加わっているといわれています。第二次大戦後ヨーロッパに移住してきたイスラム教徒たちが、ヨーロッパ経済の停滞の中でナショナリズム高揚のあおりを受けて差別阻害化され、とりわけ多感な若者たちが同じイスラム教を旗印とする「イスラム国」にはせ参じているというわけです。2001年9月11日の同時多発テロ事件を知るものにとっては、『文明の衝突』が必ずしも杞憂に過ぎないとは言い切れなくなっているのかもしれません。幸い日本国内ではイスラム教徒への排外的な動きは見られませんが、在韓朝鮮人(あるいは中国)に対する「ヘイストスピーチ」デモやネットでの嫌がらせは、ヨーロッパ同様、経済停滞下のナショナリズムの高揚が背後にあるという点では共通しているように思います。『ヴェニスの商人』のシャイロック(ユダヤ教)とアントーニオ(キリスト教)の衝突は、国家間にまで発展するものではありませんでしたが、その後20世紀前半、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺に繋がっていったことを想起すれば、又教訓的です。

 シャイロックは言います。「ユダヤ人は目なし、手なし、臓腑なし、感覚・感情・情熱、すべて無し。何もかもキリスト教徒とは違うとでも言うのかな? 毒を飲まされても死なない、だからひどい目にあわされても仕返しはするな、そうおっしゃるんですかい? だが、他の事があんた方(キリスト教徒)と同じなら、その点だって同じだろうぜ。キリスト教徒がユダヤ人にひどい目にあわされたら、(右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという)御自慢の温情はなんと言いますかな? 仕返しと来る。それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ」(福田恒存訳)

 僕はこのシャイロックの言葉を改めて追ってゆくうちに、青春時代に見た、フランスの巨匠アンドレ・カイヤットが描いた傑作『眼には眼を』(1957年)から受けた衝撃を思い出さずにいられません。詳しくはDVDを観ていただけたらと思います。簡単に紹介しますと、舞台は現在内乱状態にあるシリアで、ひょんなことから現地在住のフランス人医師が現地人の男に付け狙われるというストーリーです。急病となった男の妻の診察を断ったことから、代わりの医師の誤診で妻が亡くなってしまったというのがその理由らしいのです。タイトルは旧約聖書の「眼には眼を、歯には歯を」からとったもので、必ずしも文字通りの解釈ではないようですが、映画も一般的には使われている「復讐」劇になっています。この映画がいつの時代であったか定かではありませんが、映画が作られるほんの十数年前までシリアがフランスの植民地・統治国(1944年に独立)であったという時代背景と、さらにキリスト教徒であるフランス人とイスラム教徒であるシリア人という異文化問題が底流にあったことのうえで、この「復讐」劇が描かれていたことも否定できないような気がしています。シャイロックの言葉はあるいはシリアの男の言葉であったのかもしれません。物語の最後、フランス人医師を演じた名優クルト・ユルゲンスが、現地の男に誘導された挙句、焼け爛れた広大な赤い大地を一人彷徨っている光景が今もなお目に焼きついています。

『文明の衝突』は妄想か(4)

2015-04-12 09:12:12 | 日記
4.『文明の衝突』は妄想かーシャイロックから「眼には眼を」

先に取り上げた「南北問題」が、すでに過去の問題になってしまったかのような印象を受けた方がいるかと思いますが、東南アジアの国々や中南米の一部の国々は別として、先進諸国が経済成長という袋小路を彷徨っている最中、すでに他の「途上国」では依然として持たざる人々の問題が過去にもまして深刻さの度を増していたのです。その一角がイスラム教を基盤とするアジア・アフリカの国々でした。「アラブの春」に端を発したエジプト、チュニジア、リビヤ、ナイジェリア、シリアの内乱、そしてアフガニスタン、イラク等など、取り分けシリア、イラクにまたがる「イスラム国」の誕生?は世界を震撼とさせ、世界の情勢に疎い日本人も、経済のグローバル化が進行する中で、わが周辺を顧みながら感心を抱かせざるを得なくなってきていたのです。遅まきながら、ビケティの「富の不平等分配によって社会や経済が不安定になる」という指摘が符合したということでしょう。

なぜならこれもすでに指摘されてきたことですが、この世界を二分するような格差社会の進行は、『文明の衝突』(サミエル・ハチントン)が、アメリカの“妄想”だという批判が必ずしも正鵠をえていないことを示唆しているのではないかという不安感を作り出してもいたからです。
『文明の衝突』とは、ソ連に代表される社会主義大国が崩壊して以後、超大国アメリカの一人勝ちとなった世界情勢の中で、キリスト教を基盤とした文明とは異なった文明がいずれは台頭してくると予測し、その一つが中国であり、もう一つがイスラム諸国というものです。西欧史観、西欧の歴史認識では、古代のパックス・ロマーナ(ローマ帝国による世界秩序)、そして近世のパックス・ブリタニカ(大英帝国による)、現代のパックス・ルッソ・アメリカーナ(ソ連・アメリカによる)からパックス・アメリカーナに見られるように、世界の覇権は常に超大国が手にしてきたのであり、だとするならば衝突は避けられないとするものです。現にローマ法王も危惧するように、ウクライナ・クリミア半島を巡り、再び旧ソ連・ロシアと欧米諸国とが直接衝突しかねない状況が生まれてきているのも事実です。

『21世紀の資本』と永山則夫が読破した『資本論』(3)

2015-04-10 08:58:20 | 日記
3.ベストセラー「21世紀の資本」と永山則夫が読破した『資本論』

 フランスの経済学者トマ・ビケティが著した『21世紀の資本』という本がベストセラーになっているそうです。すでに150万部、日本でも10数万部近く出ているそうです。経済学の本が日本でこれほど売れているのは聞いたことがありません。僕が知っている限りでは、主に専門研究者の必読本としてそれなりの部数が出たマルクスの『資本論』とサミュエルソンの『経済学』くらいでしょうか。前者は資本主義経済システムの矛盾を指摘したもので、後者はその矛盾に社会主義的手法を取り入れながら現代の資本主義経済システムを数量的に分析したものですが、あくまで読者は限定的であり、その点からも『21世紀の資本』は驚きです。
 
 しかし冷静に考えてみれば、冒頭に紹介した哲学者カントが言うようにその原因はあったのです。かつて世界経済が直面していた課題の中で、持てる国と持たざる国の問題、「南北問題」が国際会議の中心議題になったばかりか、学者の間でも重要な研究テーマに取り上げられていましたが、50、60年代から70年代初め頃まで、持てる国いわゆる「先進国」といわれる日本や欧米諸国は右肩上がりの経済成長の最中で、普通の人々にとって、貧困問題は持たざる国いわゆる「途上国」問題として片付けてきました。ところがここ30年余り、他人事として片付ける余裕の源泉でもあった経済成長が思うに任せず、“貧困問題”が身近な問題として我が身に降りかかってきたというわけです。しかもこの間政治が「日のあたる経済学者」が推奨する規制緩和という名の下に繰り広げられてきた市場経済万能策に、疑問を抱き始める人たちが増えてきている状況の中で、分かりやすくその原因を紐解く本『21世紀の資本』が出版されたということなのでしょう。
 
 要約すれば大体次のようです。長期的にみると、資本収益率つまり持てる者たちが株や投機で得る収益は、経済成長率つまり持てない者たちが額に汗して得る収入よりも大きいということを先進各国の詳細なデータに基づいて明らかにしていることです。その結果、資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積され、富が公平に分配されないことによって、社会や経済が不安定となるということを指摘しています。したがって、この格差を是正するために、累進課税・富裕税を、世界的に導入することを提案しています。
 
 実はこうした指摘は『21世紀の資本』ばかりではありませんでした。時の首相サッチャーの下ですでに市場経済至上策を先駆けていたイギリスで、80-90年代にかけてスーザン・ストレンジという経済学者が『カジノ資本主義』、『マッド・マネー―世紀末カジノ資本主義』という著書を発表し、いわゆる「マネーゲーム」による今日の『21世紀の資本』的状況を予測しています。また『21世紀の資本』を待つまでもなく、資本主義経済が格差を前提に成り立っていることは今さら言うまでもないことです。
若い方たちは「永山則夫」という名前を初めて聞くと思いますが、彼は連続殺人犯で戦後初めて死刑が執行された少年死刑囚でした。少年時代の過酷な人生から満足な教育を受けることのなかった永山は獄中で貪るように読書をします。その中に専門の大学生でも難解とされる、しかも『21世紀の資本』の倍以上のマルクスの大著『資本論』を読破し、「もっと前にこの本を読んでいたら、自分は殺人事件など起こさなかっただろう」というような言葉を残しています。ちなみに獄中でこの間の事情をつぶさに書いた『木橋』という作品は新日本文学賞を受賞しています。

 その意味からも、恐らく永山則夫のような境遇に晒された人とは余り縁のない人たちが『21世紀の資本』の読者ではないかと推測されますが、それでも現代資本主義経済の現実を知ろうとする人たちがかなりの数になっていることは歓迎すべきことです。

シャイロックの悲劇(2)

2015-04-08 08:47:20 | 日記
2.『ヴェニスの商人』シャイロックの悲劇

 イギリス文豪、と言うよりか人類不滅の文豪シェークスピアの代表作の一つに『ヴェニスの商人』という作品があります。主人公の金貸し(今日の銀行家)のユダヤ人シャイロックと、商人(今日の商社の社長)アントーニオとその友人バッサーニオ、そしてバッサーニオの恋人ポーシャが織り成す、資本主義経済勃興期の中世イタリアの商業国家ヴェネチアを舞台にした物語です。事の発端は、バッサーニオが恋人ポーシャと結婚するための資金を親友アントーニオに無心したことから始まります。全財産を外国からの買い付けに投資してしまっていたアントーニオは、その買い付けの品物を担保に金貸しのユダヤ人シャイロックに融通してくれるよう頼みます。シャイロックは承諾するのですが条件を付けます。返済期日を過ぎてしまったら、貸した金と同量の1ポンドをアントーニオの肉体で償ってもらうと言うものです。詳しくは原作を読んで頂けたらと思いますが(2004年A.パチーノ主演で映画化)、今回のテーマとの関連の都合で先を急いで物語の結末を明らかにしてしまいます。
 
 結局期日までにアントーニオは借りた金を返せず、シャイロックは裁判官を前に、彼の体の肉1ポンド切り取ることを求めます。この間、裁判官は再三再四シャイロックに温情を求めますが、シャイロックは、バッサーニオがポーシャから貰った金で返済することを断っただけでなく、難破したと伝えられていたアントーニオの商船も帰国し、莫大な財を成したアントーニオが借りた金以上の金を返すと言っても受け付けません。裁判官も止む無く同意することになります。ただしアントーニオの肉を切り取っても「一滴の血も流してはいけない」と条件を付けるのです。「1ポンドの肉は切り取っても、血を流してよい」とは証文書には記されていないというのが裁判官の言い分です。万事休したシャイロックは返済金を受け取ると前言をひっくり返すのですが、時すでに遅く、今度は裁判官が同意しません。それどころか人の命を奪おうとした罪は重く、本来死刑になるべきところを情状酌量して全財産没収し、キリスト教に改宗するよう判決を下して幕となります。
 
 ちなみにヴェネチアとともに勃興期の資本主義国家の一翼を担っていたのが同じイタリアのフィレンツェで、そのフィレンツェを強国にしたのが、金融資本で財を成したかのミケランジェロのパトロンとなったメディチ家でした。時は正に王侯貴族の封建制時代から商人の台頭によって初期の資本主義経済が芽生え始めていた頃でした。日本では大阪堺の商人たちが力をつけ始めていたのと重なります。シェークスピアが名作を次から次へと書き下ろしていたのは16世紀後半から17世紀初めの頃で、世界史の転換点ともなった1571年のレパントの戦いで、スペイン・ローマ・ヴェネチアのキリスト教連合艦隊がイスラム教のオスマン帝国海軍に勝利し、日本では信長、秀吉、家康が活躍していた時代で、西も東も変動期にあったと言うことができるでしょう。
『ヴェニスの商人』もいわばこうした時代背景から生み出されたもので、シャイロックという古代から差別され続けてきたユダヤ人の差別する側のキリスト教徒への怨念の他に、大資本として台頭してきた貿易商と、分の悪くなり始めた小資本としての高利貸しとの対立がシャイロックの悲劇の底流にあったことは否定できません。
 
 僕がこの物語を取り上げたのは正にシャイロックの悲劇であって、少なくもこの場ではアントーニオが救われたことにあるのではありません。つまり経済学的に限っても、シャイロックの悲劇は二つの戒めを今日の私たちに教えていることです。一つは、強欲(資本主義)は元も子も無くしてしまうこと、二つ目は憎しみは決して利に合わないということです。