のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

『 ヒロシマ・ナガサキ 』 そして ≪終戦の日≫ を経て

2019-08-18 19:34:29 | 日記

 <長崎平和祈念式典>の≪平和宣言≫で、壇上に上がられた「田上・長崎市長」は、静かにこう口を切られた。

 「目を閉じて聴いてください」と。

               

 

 そして、次の詩を静かに読み始められた。

          幾千の人の手足がふきとび

          腸(ハラ)わたが流れ出て 人の体にうじ虫がわいた

          息ある者は肉親をさがしもとめて

          死がいを見つけ そして焼いた

          人間を焼く煙が立ちのぼり

          罪なき人の血が流れて 浦上川を赤くそめた

          ケロイドだけを残して やっと戦争が終わった

          だけど……

          父も母も もういない

          兄も妹も もどってはこない

          人は忘れやすく弱いものだから

          あやまちをくり返す

          だけど……

          このことだけは忘れてはならない

          このことだけはくり返してはならない

          どんなことがあっても…

 

 田上市長は、「これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾によって家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづっ

た詩です。」と、説明された。

 私はこの詩を聴きながら、改めて原爆がもたらした惨状を思い起こし、女性の「このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返

してはならない」という決意に、深く共感していた。

 しかし、原水爆禁止という人類の切なる願いにもかかわらず、今の世界の情勢は、これに逆行する動きも見られ、核兵器禁止運動にとっ

ては困難な状況にあるとも言える。

 そんな困難さに対して田上市長は、力強くこうも語られた。

      「私たち一人ひとりの力は、『微力』ではあっても、決して『無力』ではないのです。」

 このことばは、ともすると悲観的になり、無気力になりやすい私にとっては、力強い励ましになった。

 

 田上市長の平和宣言に続いて、被爆者代表として≪平和への誓い≫を述べられたのは、今年85歳になられた「山脇佳朗」氏だった。

              

 

               

 

 

 私はほぼ毎年<長崎平和祈念式典>をテレビで見ているが、式典の中の被爆者代表の≪平和への誓い≫を聞く度に、いつも深い感

動を覚えてきた。

 そして、今年も全くそうだった!

 山脇氏が語られた被爆時の体験、なかでも、工場内で爆死されたお父さんを兄弟で荼毘にふそうとしながらそれも叶わなかった様を語ら

れたくだりは、氏が、感情的にならずに淡々と語られただけに、余計に、原爆のもたらすむごさを生々しく表して、聞く者の心をえぐった。

 そして山脇氏のすごさは、氏が60歳になってから英語の勉強を始められ、その英語力で世界の人々に原爆の惨状を伝え、核廃絶をを

訴えられていることだ。

 その山脇氏が最後に、安倍総理の方に向きを変え総理の目を見て、次のように静かにキッパリと語られた。

  「私はこの場で安倍総理にお願いしたい。

  被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に、核兵器をなくそうと働きかけてください。

  この問題だけは、アメリカに追従することなく~(中略)~毅然とした態度を示してください。

  もちろん私も、死ぬまで、核兵器廃絶を訴え続けます。」

 そのあと山脇氏は、戦争・原爆という悲惨な体験をした日本の、今後のあるべき姿を述べられ、世界の人々に英語で、核兵器廃絶を訴え

られて、平和への誓いを終わられた。

 会場からは期せずして大きな拍手が沸き起こった。

 

 長崎平和祈念式典での、田上市長の≪平和宣言≫と山脇氏の≪平和への誓い≫は、毎日新聞にも肯定的に大きく報道された。  

              

 

 

 そして、8月15日は終戦記念日。

 最近マスコミの報道に危惧を抱いている私だけれど、原爆の日から終戦記念日にかけての報道は、(私が購読している毎日新聞を見る

限り)戦争の問題を積極的に取り上げて、報道していたように思う。

 テレビ(NHK)でも、太平洋戦争の悲惨さや、今まで知られていなかった事実を掘り起こして伝える番組が、沢山組まれたように思う。

 下の毎日新聞で報道された、絞首刑になったBC級戦犯の方が子どもに宛てて書かれた遺書のことは、この新聞記事を見るまで、私は

全く知らなかった。

 (このことについても書きたいけれど、今は疲れてきて、限界なので止めときます。)

                  

 

 

 そして終戦の日に、新天皇が述べられたことばには、過去への「深い反省」の上にたって、平和を希求する熱い気持ちが盛り込まれた。

                 

 

 今の日本と世界の政治情勢は、危惧すべき問題を多くはらんでいるけれど、戦争のある意味責任者でもあった昭和天皇の後継の、

平成天皇と新天皇が、苦しい過去を顧みて「不戦・平和」の道を目指されていることを、今の政治家たちはよくよく考えてほしいものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

         


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4 コメント

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kacoさんへ (のんスケ)
2019-08-28 16:58:37
 力強いコメントありがとうございます!
 戦争は人殺し! その中でも核兵器は、人間の尊厳を最も傷つける酷い死を大量の人にもたらすばかりか、生き残った人々の心身をも深く傷つける、許すことのできない兵器ですよね。
 そんな単純なことが、金儲けだけしか考えない人やそれに寄り掛かって政権を維持しようとする政治家には、理解できないのでしょうか!?
 kacoさんのように行動的なことはなかなかできない私ですが、これからも思いを共にして生きていこうと思っています。よろしくお願いします。
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被爆者の願い (kaco)
2019-08-28 15:16:43
ノンスケさんの被爆者への切々たる思い、とても胸に響いてきます。私も、今年長崎の原水禁世界大会に初めて参加し、被爆者の方々の「被爆の犠牲になるのは、私たちが最後にしてほしい、この世から一切の核兵器をなくしてほしい」という、身を絞るような訴えを直に聴き、胸が締め付けられるような気がしました。本当に、この世から核兵器をなくしたいと思います。被爆者の方々の努力が実って、国連で「核兵器禁止条約」が採択されたのが、一昨年。現在25の国が批准してますが、条約が発効するには50ケ国の批准が必要だそうです。日本政府は、唯一の戦争被爆国ながら、被爆者の願いに背を向けて、署名も批准もしていません。日本人として、情けなく恥ずかしいことですね。一日も早くこの条約が発効するよう、微力ながら私も、「ヒバクシャ国際署名」を沢山集めようと、重い腰にエンジンをかけているところです。
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じゅんさんへ (のんスケ)
2019-08-19 09:17:40
 コメントありがとうございます。
 同じ人間が殺し合う戦争は、どんな理由をつけようと、認められないことだと思います。本当に「戦争はNO!」ですよね。ご主人が被爆されたことは前にもお聞きしてますが、さぞかし苦しく辛い思いで原爆の日を迎えておられることでしょう。私も生まれたばかりだったので戦中・戦後すぐのことは全く知らないのですが、父母や上の姉たちの話で、戦中・戦後の食糧難のことなどを聞いて育ちました。
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戦争はNO! (じゅん)
2019-08-19 08:06:54
 毎年、広島、長崎の原爆の日を迎えさらに終戦の日を迎えると、戦争はNO!と、言い続けたいと思う気持ちがいっぱいです。特に夫は長崎で被爆しているので、あの忌まわしい原爆と戦争のことを、思い起こしているようです。私は戦後すぐの混乱状態のことをよく覚えていません・・・
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