悲惨な第二次世界大戦を経て、その苦しみの中から創り出された<日本国憲法>。
私はその憲法を、世界に誇れる素晴らしいものだと思っている。
この憲法を、GHQに押し付けられたものだとして、自主憲法の制定を声高に主張する向きがあるが、それは歴史的事実からし
て間違いであることは、すでに明らかになっている。
そもそも<平和を希求する>という文言は、GHQの草案の中には無かった。 (「戦争と軍備の放棄」は、もちろん書かれてい
たが‥)
「平和」の概念が憲法に取り入れられたのは、昭和天皇が敗戦直後の9月初めに「平和国家を目指すこと」を国会で宣言され、
それを受けての、当時の国会議員の真剣な討論を経てのことだった。
「世界の平和を希求する」という崇高な目標は、当時の国会の中での真剣な議論の末の結論であり、決して、GHQから押し付
けられたものではなかったのだ。
(以上は、全てNHKで放映された番組の受け売りですが‥)
そして、改憲を主張する人々がその根拠としてあげるもう一つの大きな事柄は、最近とみに緊張を増しつつある国際情勢、とり
わけ、東アジア情勢だ。
「いつ北朝鮮がミサイルを発射するか分からない。それに対抗するためには、より強力な軍事力を持たなければならない。そし
てそれを、憲法の中にちゃんと位置づける必要がある。」 と。
でも、それでは、人類は、憎しみや戦いの連鎖の中から、いつまで経っても逃れることはできないではないか!
そうではなく、人類の英知でもって、戦いの連鎖を断ち切り、共存し共栄できる世界の構築を目指さなければならない。
その理想を掲げたのが、日本国憲法なのだ。
世界が混迷を深める今だからこそ、私たちは、日本国憲法の高い理想に、たち帰る必要があると思う。
日本国憲法は、今こそその輝きを増している。 改憲なんて、もってのほかだ!
ブログに、このように赤裸々に政治的なことを書いていいものかどうか、迷わないではなかったけれど、やっぱり書いてしま
いました…。
読んで、不愉快な思いをされた方があれば、どうぞお許しください。
とにもかくにも、現政権が改憲をすぐにでも強行しようとしている中、私はじっとしてはおられなかった。
70回目の憲法記念日の3日には、昨年の安保法制反対運動の中で生まれた、党派を超えた<総がかり運動>が、扇町公園
で行われることになっていた。
私は、迷わず参加を決めた。
もちろん、それに参加したからと言って、事態が大きく変わるものでないことはよく解っている。
自己満足に過ぎないのではないか、とも思う。
でも、他に何をすべきか分からない中、とにかく参加だけはすることにした。
当日、JR天満駅に着いて扇町公園に向かってちょっと歩くと、もの凄い怒号が私の耳をつんざいた。
大通りに出て、その怒号の正体がすぐ分かった。
大きなスピーカーを付けた物々しい車から、その大音量の怒号が発せられていた。
その怒号の中味は、まともにはとても聞くに絶えない代物だった。
沢山の警察の方が警備に当たっておられるにも拘わらず、彼らは傍若無人だった。
これらの口汚い怒号を浴びながら、私は情けない思いで、扇町公園に向かった。
到着した公園では、すでに多くの人が集まり、集会が始まっていた。
昨年の安保法制反対の集会の時には及ばなかったものの、久しぶりの大きな集会だった。
政党の代表だけでなく、一般市民の団体の代表が壇上に上がられ、それぞれの立場から、素直な言葉で改憲反対を訴えら
れたのには、心打たれた。
やっぱり、集会に参加してヨカッタ!
もちろん、これからの課題が多いことも解っている。
今後、このうねりをどのように大きくしていくのか、その中で私に何ができるのか? しっかり考えなければならない。
そして、その答えが今解っているわけではない。
でも私はやっぱり、自分の信じることを何とか貫く生き方をしたい。
その方法をこれからも模索し続けていきたい。
そう強く思った、70回目の憲法記念日でした。
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