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世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

気の向くままに、旅の様子を載せていきます。

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青春はかなたに(1962)

2015-10-03 | 季節感

 佐藤さんの唐松岳登山の写真を眺めていたら、その懐かしさに駆られてしまった。昔のアルバムを引き出してきてパラパラ。若かりし頃の日がよみがえるのでした。昭和37年は高度経済成長期と言われた時代のまっただ中だったのかも知れない。まだ土曜日は半日勤務。給料は安かったものの、毎年間違いなくベースアップの良き時代。たまたま勤務地が山の近く、登山やスキーに明け暮れていた思い出が残る。そこでアルバムからピックアップして、その青春を綴ることとしました。

 白馬村は猿倉から大雪渓を雪の涼風に打たれながら登るのが山行きのスタート。「歩くこと1時間10分そこで雪渓は切れた」とメモってありました。多分雪の上を1時間余歩いたということでしょう。でも、山頂小屋まで何時間で歩いたのか何も書いてありません。白黒写真に日時が入っていれば分かるのに、当時のカメラにはその機能が無かったのでしょうか。有っても使い方を知らなかったかも。

 翌朝、白馬岳山頂(2932m)でのご来光詣で。アルバムには何故かこんな写真しか無いのです。日の出の写真がありません。お天道様は多分雲の中をお昇りになったのでしょう。

 山小屋への下り。小屋のまわりにはテントが幾張りも。現在の山荘は何人収容できるのか知りませんが、アルバムのメモには1300人泊まれると書いてあります

 

 天狗岳からの縦走路。「この縦走路の向こうに不帰の嶮が待っている。遙かに槍・穂高を望む」と記されていました。

 天狗からの大下りをどんどん下って、不帰の嶮を登ったり下ったり。入ったら帰ることが出来ない峰と言うことか、鎖を頼りの歩行など苦戦した山行きであったのでしょう。岩の上に白丸でペイントしてあります。上の方の岩にも見える、ここを通りなさいと教えているらしい。岩の上に道が出来るはずがないからか。

 眼下に尾根づたいに伸びる登山道が見えています。この道を登ってきたのか、これから歩かなければならない道なのか覚えていませんが、不帰の嶮は間違いなく厳しいルートであったようだ。悲しいかな記憶には何も残っていないのです。

  唐松小屋で一休み。ほっと一息の安息がこんな穏やかな写真を写させたのでしょう。

 

   アルバムには「3時40分起床、身体全体が痛む。日焼けした首筋がヒリヒリ痛い。4時朝食をとる。とにかく早く出発することに昨夜決めていた。昨日のへばりが早朝涼しいうちに歩けるだけ歩くことを教えてくれた。食欲更に無し、疲労が食を寄せ付けないのか、味噌汁だけが美味しい。4時50分ついに今日も真っ赤に燃えて昇ってくる太陽を見ることが出来ないまま五竜小屋をあとにする」と書いてあります。

 五竜岳(2814m)山頂。鹿島槍ヶ岳の北峰・南峰がきれいに見えます。 

 目の前にキレット小屋。キレットとは山の稜線が深く落ち込んだ場所をいうらしい。まさにそんな場所に立地している小屋だ。 

 現在の小屋はどうなっているのだろうと一生懸命探してみました。視界の違いはありますが、ほぼ同じ場所から撮した写真が見つかりました。うれしくなっちゃってお借りして載っけさせてもらいました。驚きです山の上に三階建ての御殿だ。どこの山小屋もこんなに立派になっているのでしょうか。小屋といっては、まったく失礼な表現だ。 

 こんな所も歩いたのか・・・よくもまあと50年もたった今になって振り返ると怖い岩場だ。 

 大キレットを越えて一休み胡瓜が美味い。

 さあ鹿島槍ヶ岳を目指して、もう一汗。

 

 当時のカメラにはパノラマ撮影機能なんてもちろん無し。鹿島槍ヶ岳(2889m)からの貼り合わせパノラマ。道標の向こうに剱岳が見えている。

 鹿島槍から爺ヶ岳を越えて宿とした種池小屋。雲海の向こうに富士山。その左右は八ヶ岳連峰と南アルプスか。この日も太陽にはお目にかかれなかったらしい。 

 この写真も拝借もの。爺ヶ岳から写した写真らしい。種池小屋(黄色矢印)はこんな所にあったのです。この峰を越えてのお泊まりがその種池小屋でした。そしてこれから行く針ノ木岳が赤矢印。遠いですねえ~ 遠くの連なりは多分立山連峰。

 眼下に黒部ダム。まだまだ道は遠い。遠く見えている針ノ木岳(次の写真)まで行かねばお家に帰れない。日本3大雪渓の一つといわれている針ノ木の雪渓を滑り降りて大町に帰るのでした。この写真以後の写真がアルバムにはありません。くたびれちゃってシャッター切れなかったのか、フィルムが底をついたのか。はたまたアルバムに貼り付けるのに値する写真がなかったのか。

 後立山縦走3泊4日は長かった。もし、いま登れたら進化を続けるカメラでカラーで撮したい。どんな画を捕らえることが出来るでしょうか。でもあれからすでに50余年、後期高齢者の身では山頂までロープウェイで運んでもらわなければ、一歩たりとも山へは入れない私なのです。

 

 ネット社会とはうれしいものです。ほしいものを探せばどこかから現れてくれる。所有者の了解は取れませんが使わせてもらいました。写真は唐松岳からのものしか探し得ませんでしたが、地図には➡白馬岳から⇩針ノ木岳まできれいに載っていました。この距離を降参せずに良くも歩いたものだ。

 

コメント
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