靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「不可能を可能にする」について

2013-01-06 01:50:03 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナーでは、「不可能を可能にする」というテーマについて話し合いました。毎週金曜日の夜のファミリーディナーでは、バリュー、哲学、宗教的な話などをします。


聞いたことのあるこんなたとえ話から。

野生のアンテロープの群れを移動させる必要がありました。すばしっこく、捕まえようとしても、なかなかうまくいきません。ところが赤い布で周りを囲んだところ、ぴたりと動かなくなりました。ひらひらの薄い布、少し押せば向こう側に行けてしまうもの。それでもアンテロープにとっては、頑丈な壁にしか見えなかったのです。

こんなことってあるね、赤いカーテンを分厚い頑丈な壁と思い込んで、進むのを止めてしまうこと。まずは足を踏み出し押してみる、まずは自分にできる限りのことをしてみる、そしたら向こう側へ行けるかもしれない。


聖書からの話も。

ファラオ(王)の「ユダヤ人に生まれた赤子は全て殺す」という命令に、モーセの父は離婚することを決意する。他のユダヤの人々もそれに続く。そこへ、モーセの姉ミリアムが抗議。自分達は自分達にできる限りの正しいことをし続けるべきだと父親を諭す。そこでモーセの父は再度結婚し、モーセが生まれた。

ファラオに見つかれば殺されてしまう赤子モーセ、バスケットに入れ川に流す母親。流れ行くバスケット。下流で涼んでいたファラオの娘バチャルが、赤子の泣き声がするのに気がつく。川の真中を流れていくバスケット。岸にいるバチャルには、とても届くはずの距離ではなかったけれど、何とか届こうと手を伸ばす。すると奇跡が起こり、バスケットがバチャルの手もとに。


ミリアムやバチャルみたいに、自分で足を踏み出し、まずは自分にできる限りのことをするのならば、頑丈な壁が赤いカーテンに変わることがあるのかもしれないね。

「壁」を前にしたら、一歩下がり、無限(infinity, divinity)ということを思い出してみるといい。そうすれば「頑丈な壁」というのが、自分で作り上げた思い込みだと気がつくかもしれない、また違った現実が目の前に広がり始めるかもしれない。そして足を踏み出し、自分にできる限りを精一杯していく。あとはゆだねて。本当に必要ならば、必ず与えられる。

そんな話をした夜でした。


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