靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

なぜ働く必要があるのか?

2013-10-13 04:53:46 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

「働く」ということの意味について(“Why Do We Have To Work?” By YY Jacobson Yeshiva netより):

 アブラハムは旅の途中、いくつもの町を通り過ぎた。人々はパーティーに明け暮れ、飲んで騒いでいる。そしてTyleにたどり着く。人々は畑に出て一日中働いている。アブラハムは言った「この地に暮らしたい。」そこで「神」は言う、「あなたの子孫のために、この地を与えよう。」(Bereishis Rabbah 39:8)

聖書ではなぜ「働く」ということに重きが置かれるのか? 「働く」とはどういうことか? 

ユダヤの世界観では、「人の最終的な目的」とは、「自身の内の神性を思い出し自分自身が『神』にできる限り近くなること」とされる。
「神は神に似せて人を創った(Let us make man in our image, after as our likeness…)」(Genesis1:26)


「神」は全てを創造(create)するとされる。ならば「神」という存在に限りなく近くなるとは、自ら「創造する存在」になるということ。与えられるものを受け取り続ける受身の存在から、自らが創造し与える側へ。それが「神」へ近づく超越(transcend)。 自らが現実を創造し、自らが運命(destiny)を形作る。

「働く」とは、自らの手で創り出すということ。「神」はあなたにこの世界を創造するパートナーであって欲しいのだと。


タルムードにこんな文句がある。

「トラ(聖典or人生の知恵)のクリーム(熟成した抽出物)を見つけるのは誰か? 母乳を吐き出す者こそが見つける。With whom do you find the cream of the Torah? With him who spits out the milk that he has sucked from the breasts of his mother…」(Talmud Berachos 63b)

赤子が飲めば飲むほど、母乳は作り出され、尽きることなく注がれ与えられ続ける。それでも、その母乳を吐き出し、自らの足で立ち上がり、自らが創造し与える側になる者こそが、人生の根幹に近づくと。



目の前に貧しく恵まれない人が横たわっている。ある男がラビに言う。

「神がこの世を創り、神が全てを支配し、神が何もかも決める。あの人は富み、この人は貧しく、その人は幸せで、この人は不幸で、全ては神の意志でそうなったこと。神は私達には到底分かるはずもない壮大な計画の下に、現実を作り出している。この目の前の男の境遇も神の意志で創りだされたもの。だから私達のすることは何もない。貧しく弱いままであらせればいい、神の意志に基づいて。」

「神はあなたに創造者になって欲しいのです。共にこの世界の現実を創り出して欲しいのです。さあ、私達にできる限りのことをしましょう。」 

ラビはそう答えると、目の前に横たわる男を連れ帰り、温かいスープを飲ませた。


「働く」とは、自ら創り出すということ。受け取る側から創り出す側へのTranscend、覚えておきたいです。

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