「効率性」からパラパラと落ちるものを掬う、ということ。
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小さい幸せ感だったり、家族とのコミュニケーションだったりするのかな?
日々二点をいかに短い線で結べるかと考えて暮らしているわけだけれど、線がひかれていない
範囲を散歩する時間もとっていけたら、線の上を歩きながらも線のひかれていない範囲を感じていけたら、そんなことを考えたりします。
線の引かれていない場には、kazumiさんの言う「小さい幸せ感」、「家族とのコミュニケーション」、風に揺れた枝のこすれあう音、オレンジ色の雲、春の匂い、赤ちゃんの温もり、横たわる人々の笑顔、があったりするのかもしれません。
パラパラと落ちるものを集めて入れた箱こそ、宝箱なのかもしれません。ありがと。