靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ある体験、そしてある詩集との出会い

2011-07-15 23:59:04 | 私史
4年ほど前、状況的に難しい時期で、毎晩枕が涙で濡れていた。

ある晩、風に揺れる窓の外の木々を見ていると、自身の奥底から、不思議な感覚がふつふつと湧き出てくるのに気がついた。その感覚はやがて炎のように体中を駆け巡る、まるでそれまでの自分を焼き尽くすかのように。

その感覚を言葉で表すのなら「感謝の集積」といったようなもの、「爆発的な喜びであり幸福」のようなもの。涙はいつしか歓喜の涙に変わっていった。

絶望的にも思える自身の置かれた状況で、喜びの涙にあふれている自分がいた。


そんな体験をしてしばらくのこと。大手ホールセールの店で、まだ赤子だった三女をあやしながら本売り場を通り過ぎようとしたとき、一冊の本が目に入った。同じ向きに均等に積まれた何冊もの本の上に、その本だけ斜めにポンと置かれてあった。何気なく手にとってみる。周りを見、その本が積まれた箇所を探してみても同じ本は見当たらない。その店で売られている本にはその店の名前や値段のついたシールが貼ってあるのだけれど、青いカバーのどこにもそのシールが見当たらない。

誰かが置き忘れていったのかもしれない、そう思った。

レジで「この本この店のものではないのかもしれないのだけれど、もし売り物なら買いたい」と差し出すと、店員たちは首を傾げながら値段のついたシールを探している。試しに本自体のバーコードを機械に読ませてみると、ピッという音とともに「7ドル」という数字をはじきだした。

こうして手にしたのが、

“I Heard God Laughing” by Hifiz 

Hifiz(1325/26–1389/90)はペルシアの詩人、イスラム神秘主義スーフィーの修行者。

この詩集には喜び溢れる詩が並んでいる。希望や喜びに満ちた詩、なんて能天気な人なのだろうとあきれるほどの。


このブログの『引用』にも一度載せたのだけれど:

I am happy even before I have a reason.

I am full of Light even before the sky can greet the sun or the moon.

(引用終わり)


私は理由ある以前でさえ幸福である

空が太陽や月に挨拶する以前でさえ私は光に満ち溢れている



この詩を読むと、あの歓喜の涙に溢れた夜を思い出す。


幸福であることに理由などいらない。

日々、瞬間瞬間に、あの歓喜の源に戻る。


幸い、あの夜以来、周りの状況は改善していった。

まずは内に。外の状況は、内の状態の表れとして後からついてくるのかもしれない。

レゴ・リーグ、第一回ミーティング

2011-07-15 23:58:06 | レゴリーグ
長男が今年初め参加した『レゴロボット競技会』、学校から参加したのだけれど、「来年は自分たちでチームを組んで参加してみたい」と言い出した。

「それにはコーチが必要だよね」と話し合あった後、夫と近所のスーパーへ買い物に出かけた長男、夏休みに入ってすぐに参加した『レゴロボット・ワークショップ』のインストラクターと偶然再会。「今こんな話をしていたとこなんです」と伝えると、「コーチやってあげるよ」と! 

とんとん拍子で話は進み、昨日は第一回ミーティング。

このコーチ、今まで州大会を勝ち抜きナショナル大会、インターナショナル大会へと何度か進んだことのあるチームのリーダーだったという実績の持ち主。昨年、一昨年は『レゴロボット競技会』の審査員だったとも。

メンバーは今のところ主に同じ学校の子供たち5人(長女も!)。


一月の州大会に向けて、月ごとの目標を話し合う。

エキサイティングな冬になりそうだ。