靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

小説「砂漠の紅」(仮題)1、推敲中

2011-07-20 01:27:30 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
 金色の砂が風にふかれ、真っ青な空に舞い上がる。ついさっき水筒の底に張り付いた最後の一滴の水を飲み終えたところ。空っぽになった赤色の水筒はあまりにも軽すぎて、手を放せば今にも空の彼方に消えていきそう、風船のように。

 もう歩くのやめてしまおう。

 砂の上に空を仰いで寝転がる。熱を含んだ砂が背中に当たる。まるで砂の一粒一粒が目に見えないほど小さな粒子となって、服を皮膚を通りぬけ身体の奥深くまで入り込んでくるかのよう。こうして寝転んでいれば、やがて死んでしまうのだろうか。熱いだろうけれど、炎に炙られるのに比べたらずっと楽に、痛みもそれほどなく眠るみたいに死ぬことができるのだろうか。身体中の水分が蒸発し、徐々に軽くなっていくのを想像してみる。浮かんでいく、赤い風船みたいに。

 両手で砂を掴み、真っ直ぐ伸びることしか考えなかった幹のように、高く高く空へ掲げてみる。サラサラと落ちる砂の粒がいくつもの小さな光を放ちながら、胸のあたりに積もっていく。一粒一粒の砂が集まって、こんな果てしのない砂漠が出来上がっている。見渡す限りどの方角を見たって砂しか見えやしない、気が遠くなるくらい広大な砂漠。


 目を閉じると、黒と白に彩られた部屋が見える。仲良く並んだ二つの棺。棺と棺の間には、ちょうど私の手の平を広げたサイズの隙間。私は静かに横たわる父と母をすっぽりと包んだその二つの直方体の入れ物の間に、そっと手を差し入れてみる。父と母の手の温もりが、私の手を包み込むのを待つかのように。
 二人ともきれいな顔をしていた。体の損傷は結構なものだったらしいけれど、「頭部は奇跡的にほとんど傷がないんですよ」と解剖医が言っていた。死に化粧はほとんどする必要がなかった。丁寧に塗られた白粉と頬紅、母が化粧をするのはどこか特別なところへ出かける時だけだった。あの日は母にとって特別な日だったのだろう。どんなに楽しみにしていたか、あの高田川の桜を父と見に行くことを。
 父と母が見ることのなかった今年の桜も散り、梅雨がやってきた。いつもうっとおしく思う雨続きの日々も、今年は心地よく感じた。まるでぬぐってもぬぐっても湧き出てくる痛みを洗い流してくれるようで。灰色の雨雲がまぶしい真っ白な雲と入れ替わり始める頃、私は日本を出た。雨の全くない地へ、太陽の光を何一つ遮るもののないこの砂漠へ。

洗い流すのが無理ならば、焼き尽くすのはどうだろう?


 目を開け、砂漠にいる自分へとゆっくり戻ってくる。まっすぐ見上げた先から少しずれたところに太陽がある。再び目を閉じ、首をゆっくりと左右に揺らしてみる。まぶたの上を熱が動く。太陽の中心からのびた光の筋は、まぶたに触れるたびそれが中心からの光なのだと分からせる一際高い熱を帯びている。この光の筋を身体中にあてていこう、足の先から手の先まで、皮膚を突き破り内臓の一つ一つまで、胸の奥の照らしても照らしても一瞬にして吸い込まれていく闇へ。

 このまま横になっていたら、いつしか境界を越え、また父と母に会えるのだろうか。あの母の飾り気のない笑顔と、あの父の薄汚れた作業服の匂いと。明日の新聞には「日本人の女が砂漠で行方不明」という見出しがでるのかもしれない。赤い水筒しかもってなかったらしい、日本のどこかの町に散歩にいくつもりでいたのだろうか、今時の日本の大学生、なんて笑われたりもするのだろうか。一瞬眉をひそめ、人々はまた日常のリズムに戻っていく、何事もなかったように。そもそも私がいなくなったからって私のことを話題にする人なんているのかな。悲しんでくれる人? 一体私がいなくなったということに気がつく人が何人いるのだろう、あの東京から私がいなくなったことに。

(続く)