超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

残酷の楽しい消費

2008-11-18 07:36:26 | Weblog
いい気持ち原理主義は、
嫌なことを見えなくし、
いいことだけを見る仕組みだ。

そして嫌なことを見せられると、
激しい不快に襲われ、見ることを拒否する。
思い出すことも拒否する。

かくして巨悪は野放しにされる。

即ち、感動と癒しは、強盗殺人装置となり、
誰もがその共犯者となる。

   *。
国家全体、国民全体が、強盗殺人を行う。
そしてそれを幸福とする。

いい気分だけコピペする訳だ。

これが学校や職場でのいじめ殺しだろう。

そしてこれを現実と皆で規定する。
するとこれを犯すものは排除されねばならない。
さらに強盗殺人を行う。

*。
即ち、強盗殺人は発振し発散してしまう。

即ち、感動と癒しは、限りない強盗殺人装置であった。

*。
強盗殺人を楽しく消費する装置が、
感動と癒し装置だ。

これは国家を殺人するまでとまらない。
それがサチュレーション・レベルだ。

    *。
こんなことを皆で夢中でやっている。

それを見るいことが出来ない!

見えなければない。
これは認知症だ。

*。
感動と癒しは人間性の認知症だ。

感動と癒しは、人を人間性認知症にする方法だった。

仏教儒教は悪を隠蔽する

2008-11-18 07:00:24 | Weblog
日本において西欧化は、
仏教と儒教は感動と癒しに拡張された。

もともと仏教と儒教は、感動と癒しの方法だった。

  *。
社会にはびこる犯罪や狂気を、
放っておいて心の中に平穏を作る。

心と社会を切り裂いた。

この社会は暴力が支配する。
野放しにされたからだ。

国家は暴力組織となる。

これが仏教儒教圏の国家だ。

*。
この世界は暴力としての西欧に支配された。

西欧は鍛えられた暴力を持ち、
仏教儒教圏は野放しにされた、
ただ乱暴だけの錬度の低い暴力に止められたからだ。

   *。
仏教儒教は、悪を心の外に除外し、
社会を悪の支配する世界を作った。

これは人を感動と癒しに囲い込み、
社会を悪に支配させることとなった。

*。
権力に道徳を説く、
馬の耳に念仏だ。

権力をまとめるのは、厳しい暴力だ。

*。
ところが西欧から法が入ると、
国家暴力が正当化され、
これによって西欧に支配されることとなった。

    *。
仏教儒教は、西欧暴力に支配させる方法だった。

社会問題を、感動と癒しの問題に還元し、
社会問題を放り出して、
いい気持ちになる。

国家と権力が、結合を強化しながら、
それを感動と癒しに隠蔽する。
それが仏教儒教だった。

*。
対偶文を作れば、
仏教と儒教は、破壊と殺人だった。
そして破壊と殺人に、いい気持ちになる方法だった。

  *。
仏教と儒教という誰も反対できない言葉によって、
略奪と殺戮を行う。
そしてそれをいい気持ちに還元する。

これがアジアではなかったか。

美しき殉国死 対偶はアジア破壊と人類殺人

2008-11-18 06:21:26 | Weblog
自決玉砕は、美しき殉国死である。
その対偶を取れば、
アジア全域の破壊と人類数千万人の殺人だ。

即ち、アジアの破壊と人類の殺戮は美しい国家行為であった。

*。
日本国はアジアのために美しく死に、
日本人は国家のために美しく死んだ。

即ち、美しき死は、破壊と殺人であった。

*。
これは免疫理論から当然だ。

美しい死は、美しくない命を殺すことだ。

*。
すると何故自決しなければならないか。

国を負けさせた責任を潔く取る。

それは殉国死ではない。

   *。
神から授かった命、
それを自分の意志で、
国のために殺すことは、
許されるのか。

死んで神になる。
神から授かった命を、
自分の一存で、
殺すことは神に返すことか。

これで神になれるのか。

*。
即ち、自分の命は神から授かったものではない。
それを神に返すことが出来るのか。

神から授かった命を、
自殺することで、
神に返すことができるのか。

即ち、神から授かった命を自ら殺すことで、
自ら死刑して、
自ら自殺させて貰う。

これが美しい殉国死だ。

*。
もしそれが出来るなら、
オウムや通り魔事件は、
自分の命を神に返すことにる。

即ち、人を殺して、
死刑になって、
自殺させて貰って、
自分の命を神に捧げる。

*。
問題は殺された人の立場だ。

彼らは、日本人が神になるための生贄ではないか。

*。
即ち、美しい殉国死は、人類の殺人であった。

その殺人の中に殉国死は入る。

国家の名において、人を殺すことは、美しいことになる。

*。
これが鬼畜米英への殺人であった。

そして全滅死刑になった。

*。
これは殉国死であるか。

国事殉難者という。

するとオウムも通り魔も国事殉難者だ。

    *。
日本は二つに割れている。

お上日本と人間日本だ。

お上が殺すことと、そのお上を殺すことは、対偶だ。

日本は殺し合いに存在する。

即ち、日本は殺人衝動に存在する。

どっちがどっちを殺しても、殉国死となる。

国家が二つあるから。

*。
お上日本の成立には、反対者を殺さねばならない。

即ち、お上日本は妄想である。

お上日本は現実に成立していない。

刑罰と治療

2008-11-18 05:19:41 | Weblog
刑罰の対偶は、犯罪者の大量製造販売消費である。
すると司法・警察が大儲けする。

治療の対偶は、病人の大量製造販売消費である。
すると治療が大儲けする。

すると刑罰も治療も、社会に対するガンとなる。
そして刑罰も治療も、統合失調症を発症する。

     *。
刑罰も治療も社会に貢献する一方、社会を破壊する。
これが対偶現象だ。

刑罰も医療も、異物排除であり、
異物排除は結局自己の排除であるから、
自殺に終わる。

即ち、人を殺して、死刑になって、自殺させてもらう。
即ち、ばい菌を殺して、殺人者となって、自殺させて貰う。

*。
これが異物排除の仕組みであった。

それが最終段を迎えた。

年金問題も、偽装表示も、救急医療の崩壊も、
自殺させて貰う、最終段階に入った。

    *。
病原菌の侵入に、その異物排除することは問題ない。

だが国家組織が、免疫を持つと、
例えば利益追求を行うと、不利益を排除する。

それは正しい行為に見えるが、
それは部分の全体化である。
そしてそこに全体がない。

偽の全体を全体としていた。
これは法で実現できる。

*。
利潤や利益は部分の全体化であった。

それは自己否定だ。

これが自殺させて貰う段階を迎えた。

  *。
金融バブル、
はっきり言って金融ねずみ講は、
社会を殺して、死刑になって、自殺させてもらう事だ。

これが国家と企業組織のメソッドロジーだった。

今多くの分野が、地球規模で、
自殺させて貰う段階に達した。

*。
新自由主義はねずみ講に他ならなかった。

    *。
対策は発振を止めることと、
繰り込み理論を行うことだ。

即ち、ぼろぼろになった家を改築増築するのでなく、
解体して、新築する段階を迎えた。

*。
文明や産業や国家の解体再構築の段階となった。
新しいシステムへの移行である。

世界構造の大移動期となった。

*。
これを阻止する国家利権である。
即ち、国家利権の解体がその手続きである。

即ち、地球市民が自立する時期となった。