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にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・42 EF65P形 中編

2012-06-03 | ブルートレイン



EF65P形の塗装は、特急色と言われる帯の入った塗装で、前任のEF60-500から引き続いて採用されています。
専用装備はすべて20系客車けん引対応で、まずカニ22の非常パンタ下げ回路と連絡電話を兼ねたKE59ジャンパ栓が設置されています。

ここからがEF65P形独自の装備でKE72ジャンパ栓と元空気ダメ管が設置されています。20系客車使用の寝台特急は1968年10月の改正から最高速度が95km/hから110km/hに引き上げられる事になっていました。20系客車は1965年製造分から最高速度110km/h運転に対応するブレーキの改良が行われ、それ以前の車両もそれまでに改造されることになっており、その対応が機関車になされました。
まず、KE72ジャンパ栓にて、非常制動や増圧制動の指令を20系客車全体に送る回路が設置されました。客車に使われている自動ブレーキは、ブレーキ管に掛かった5kgf/cm²の圧力の空気を抜く事によって、ブレーキが掛かります。そのため、機関車からブレーキ管の排気をしブレーキを掛けた場合、編成前部から順番にブレーキか掛かり、編成後部ではブレーキが効くまでタイムラグが発生します。
これを防止制動し距離短縮のために、編成中に機関車からのブレーキ指令回路を引き通して、電気指令で瞬時にブレーキが掛かる仕組みにしました。
また20系客車に使われている、鋳鉄製ブレーキシューは高速域で摩擦係数が落ちるため、60km/h以上からのブレーキの場合、ブレーキシリンダー圧力を166%に増圧する機能があり、これによって制動距離を短縮しています。この編成増圧の指令は、機関車から送られますが、そのための機能も搭載しています。
また、増圧の場合、高いシリンダー圧力が必要になるため、機関車から高い圧力の空気を送る必要があり、元ダメ管を通じて8~9kgf/cm²の空気が20系客車に供給されています。この空気は増圧ブレーキのみではなく、従来ブレーキ管に頼っていた空気ばねへの空気圧供給源としても使われています。


ここで少し話がそれますが、20系客車の電源車、カニ22について紹介しておきます。
20系客車は客車としては初めて集中電源方式を採用しており、荷物車を兼ねた電源車が連結されています。電源車にはディーゼルエンジンを用いた発電機が搭載されており、その電力は編成の冷暖房や放送、照明などに用いられており、後の24系客車も同様のシステムを採用してます。
20系客車オリジナルの電源車はマニ20型ですが、荷物室が少なかったことから3両が作られただけで、荷物室の広さを拡張したカニ21型に移行しています。

さてこのころ、東海道山陽本線の電化が西進し、架線の直流1500Vから電源を引き込む事を考え、ここに珍車とも言うべきカニ22型が登場しました。


上の写真を見てもらえば分かりますが、客車にもかかわらず、パンタグラフを装備しています。ここから架線の直流1500Vを取り込み、電源車の車内に設置した電動発電機(MG)で交流660Vを作っていました。交流区間や非電化区間に直通する場合は、パンタグラフを下ろして、電源車内のディーゼル発電機を駆動して編成に電力を供給していました。
そのため事故などの非常時に、運転側からこのカニ22型のパンタグラフを下げる必要が出てきました。そのための回路を電気機関車と客車の間で引き通しており、その回路は連絡電話を兼ねていました。機関車側はEF58からEF60-500、EF65P型がその回路を持っていました。
こうしてカニ22型は1960年に3両、1963年に3両の6両が登場しましたが、ディーゼル発電機と電動発電機の2組みの発電機を搭載したため、自重が59tにも達して、荷物・燃料を満載すると64t、軸重はなんと機関車並みの15t(積車では上限一杯の16t)にも達し、運用区間が限定されることになりました。また2組の発電機を搭載したため、荷室も狭くカニ21の5tに対して2tとこちらも制約を受けました。荷室が狭いため、新聞輸送需要が多かった「あさかぜ」の運用からは外され、こちらはパンタ下げ回路を持たないEF61がけん引することもありました。

そんな状態なので、使い勝手が悪く、熊本以南には入線できず「さくら」と「みずほ」で限定運用が続き、1968年までには電動発電機を下ろして車重を軽くし、運用区間の制約を無くし、屋根上のパンタグラフも撤去されました。
もっとも、荷室はせまいままだったので、後々まで運用の制約は残り、パンタグラフの跡は屋根上に残っていました。

閑話休題、EF65P形は第2ロットの501・502に続いて、すぐ後の第3ロットで503~512までの10両のP形が製造され、1965年10月改正から東京機関区のEF60-500に変わってブルートレインの運用に使われるようになりました。

づづく

 

撮影 2010年5月22日 大宮総合車両センター

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