nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・5 ED72・ED73

2008-05-31 | ブルートレイン

九州のブルートレインけん引機、ED72とED73。独特の前面から和製ゲンコツ機関車なんて異名もあります。

さて、九州の鹿児島本線が交流電化された1961年、九州用の交流機関車として製造されたのが、このED72とED73です。当時は、サイリスタや大容量のシリコン整流器(ダイオード)が未発達だったため、水銀整流器が採用されています。
水銀整流器を採用するメリットは、位相制御が可能になり、性能面で粘着係数の向上が得られるという点があります。位相制御とは何かは詳しく解説しませんが、交流を直流に変換するときに、同時に電力制御を行う方式です。

実際の運用からもわかるように、交流機のD形(4軸)は、直流機のF形(6軸)と同等と国鉄は見なしていました。交流電気機関車の場合、電圧制御は、変圧器から数ヶ所の巻き線を引き出し、その部分を切り替えることによって、電圧を変化させていました。いわゆるタップ切り替え制御です。これだけでは、切り替えの時の電圧の変化が大きすぎるため、水銀整流器で前述の位相制御を行い、電圧の変化をなめらかにしています。
これらの制御によって非常に交流機は空転しにくいため、交流機のD形は直流機のF形に匹敵すると言われて来ました。
もっとも水銀整流器は故障が多いため、後にシリコン整流器に改造されています。これによりけん引定数の低下が見られましたが(1300t→1100t)、九州内ではそこまでのけん引力は必要ないとされたようです。

ED72の量産機とED73は、電気・機械関係の構造と性能面では全くの同一となっています。違いはED72は中間台車があり、列車暖房用の蒸気発生装置(SG)を持っているのに対して、ED73は中間台車がなくSGを装備していません。ED72は旅客用、ED73は貨物用として製造されました。電気的な部分は、ED71の2号機に準じて、乾式の変圧器と風冷式イグナイトロンを採用しています。


さて、こうして姉妹機として登場したED72とED73。鹿児島本線の電化とともに早速、あさかぜの門司博多間をけん引し始めました。20系客車は、自編成で冷暖房電源を持っているため、SGが必要なく、ED73がブルートレインけん引にあたる割合が多かったと言われています。

1965年には鹿児島本線の電化区間は熊本まで伸び、熊本まで通しでブルートレインをけん引するようになりました。1968年10月までにED72・ED73がけん引したブルートレインに、あさかぜ(博多まで)、さくら(鳥栖まで)、みずほ、はやぶさ、あかつきが有ります。

さて1968年10月のダイヤ大改正、いわゆるヨンサントウの改正で両形式も大きな影響を受けることになります。
この改正から20系客車はこの年製造分からARBEブレーキを装備し、それ以前の車両も改正までには同一仕様に改造される予定でした。このARBEブレーキの使用開始により、20系客車の最高速度が従来の95km/hから110km/hへ引き上げられました。これに伴い、牽引機関車のほうにも大きな影響があり、100km/h以上の場合は、電磁ブレーキの対応、以下の場合でも元ダメ引通管が必要になります。
この対応のため、ED73はすべて電磁ブレーキ対応に改造され、1000番台に改番されました。そして、鹿児島本線の門司熊本間のブルートレインけん引をED75-300と共通運用の形で担当することになりました。
一方ED72はいったんブルートレインけん引から外れることとなりました。

さて、その後1970年に鹿児島本線の全線電化が完成しましたが、鹿児島本線の熊本以南は、軌道強化が行われなかったため、ED73は熊本以北の運用にとどまり事になり、中間台車の可変軸重機能を持つED76-1000がはやぶさ、あかつきなどをけん引しています。
1972年以降、けん引機に特別の装備が必要ない、14系24系客車が製造され、ブルートレインとして使われるようになりました。ED72も再びブルートレインけん引の機会が出来ましたが、ED72の中間台車はED76のように可変軸重機能が無く、熊本以南へは入線できないため、熊本以北での運用にとどまりました。
1976年には長崎本線の全線電化が完成して、あかつき、さくら、みずほなどで長崎までの運用もされています。
ED72の中にはSGの使用を停止して、ED73と共通運用で使用された機関車もあったようです。

ED72は1978年から廃車が始まり、北陸本線からのEF70の転属もあり、1982年までには全車が廃車となり、ED73も1983年までには全車が廃車となりました。



 参考文献
鉄道ファン1993年10月号 ヨン・サン・トウ25周年記念特集 JNR/JR25年の大アルバム
鉄道ファン1993年11月号 20系特急型客車最後の特集
鉄道ジャーナル1980年8月号 交流電気機関車の系譜

撮影 2008年2月9日 九州鉄道記念館
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名鉄バスの貸切車

2008-05-25 | 名鉄バス
名鉄グループは愛知県内を中心に、観光バス会社を傘下に多数持っていて、それらの会社は来年の4月から名鉄観光バスとして1社に統一されます。かっては、名古屋観光自動車、岡崎観光自動車、一宮観光自動車、瀬戸観光自動車など多数の名鉄グループ観光バス会社が愛知県内を中心に有りましたが、名古屋観光日急、名鉄西部観光バス、名鉄東部観光バスの3社に集約されていました。

さて、これらの観光バス会社とは別に、名鉄本体(現名鉄バス)も昔から観光バスを保有しており、各営業所に数両ずつ配置していました。
名鉄バスの貸切登録車は全部で50~60両ほど有るようですが、一部は契約輸送やコミュニティバス関係で路線車を貸切登録しているため、純然たる観光バスは40両程度のようです。


名鉄バスの貸切色はこのような塗装ですが、この色の高速バスを見かけます。中央道高速バスや東海北陸道高速バス、北陸道高速バスの続行車に入ったり、経年車を都市間高速や空港バスに転用することも多いようです。

さて、来年の4月以降、これらのバスはいったいどうなるんでしょうか。
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白兎が歌った蜃気楼

2008-05-24 | 書評
ここまで救いようのない結末なんて・・・
今回は高里椎奈の薬屋探偵妖綺談の6作目、白兎が歌った蜃気楼です。結構凄惨なストーリーだったりします。


家に取り憑いた何かを取り払ってほしいと依頼を受けて、四国の愛媛まで出向いた薬屋の面々。井戸の自然発火を皮切りに、次々と事件が起きる。
それとは別で、おなじみの高遠三次のほうも松山に来ていて、別の事件に関わることに。それが後々関連してくるのはこういった小説の定番のような・・・

それにしても、こういった事件の直後の関係者の行動って、いったいどういった物なのか気になるところではあります。
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JR東海博物館

2008-05-21 | 鉄道

少し前から報道されていたJR東海の鉄道博物館計画が正式に発表されました。

http://jr-central.co.jp/news/release/nws000119.html

以前から構想があり、美濃太田車両区や浜松工場には引退した貴重な車両が、何両も留置してありました。浜松の方は新幹線や機関車が、美濃太田の方は在来線車両が多く、美濃太田の車両の一部は佐久間レールパークで公開されましたが、多くはシートをかぶせて、そのまま留置されていました。一部では須田コレクションだの美濃太田レールパークなんて言われていましたが、これらの車両の多くが、公開されることになるようです。

35両程度、車両を展示するという話ですが、候補としてはおそらく、

0系新幹線(22-86)
100系新幹線(123-1・168-9001)
955形試験車(300X)
300系新幹線

EF58 122or157
EF65 112
ED18 2
トキ900形貨車
サロ165-106
以上浜松工場保管

381系電車
165系電車
103系電車
キハ82系気動車
キハ58系気動車
以上美濃太田車両区保管

モハ1035(元大井川鉄道←国鉄クデハ307←三信鉄道デ307)
伊那松島運輸区保管

C57 139
JR東海研修センター展示

C62 17
東山動植物園展示

モハ52形
クハ111形
クモハ12054
キハ11形(元茨城交通)
キハ181系気動車
マイネ40形
オロネ10形
オヤ31形
ソ180 操重車
以上佐久間レールパーク展示

といった所ではないかと思います。

さて建設予定地の金城埠頭ですが、JRの沿線ではなくあおなみ線の終点となっています。JR東海の博物館構想が報道されるたびに、候補地をいろいろ考えていたのですが、JR東海の沿線で、まとまった土地が有るところはそれ程無く、なかなか適材地が思い浮かびませんでした。
自社沿線ではないあおなみ線と言っても、あおなみ線はJR東海と名古屋市が中心となった第三セクターですので、準沿線と言えるかもしれません。

さて金城埠頭ですが、最近は開発が進んでいますが、多くの土地は、中古車の輸出前の保管場所や輸入車の保管場所などに使われており、広大な土地が広がっています。

金城ふ頭駅のすぐそばには全く使われていない、広大な空き地があります。商業施設の建設が予定されていたらしいのですが、一部の話では計画が消滅とも言われています。現地を訪れてみると、2005年開業予定の商業施設計画の立て看板が有りました。



個人的なお願いとしては、あおなみ線との連絡線を建設して、定期的に車両の入れ替えが可能にしてほしいと言うのがあります。これで、JR東海のコレクションのうち、展示から外れた車両を企画展的に入れ替え展示すればおもしろいと思えるのですが。
これは願望ですが、JR東海にこだわらず、他社の車両も展示してほしいと言うのもあります。出来ればEF65-535とか。

 

撮影 2008年5月17日

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内陸と弘南と青函・5 最北のブルートレイン

2008-05-19 | 旅行
前回からの続き



青森からは急行はまなすに乗車。22時42分発ですが、ホームには22時15分頃には入線しており、バルブ撮影大会状態でした。自分はこの撮影のためだけに、わざわざ三脚を持って来たわけで。


はまなすではドリームカーに乗車。キハ183系のグリーン車から外してきたリクライニングシートで、4列シートですがかなり快適に過ごせました。この前のきたぐにのサロ581やかってのあかつきのレガートよりもこちらの方が快適に感じました。

蟹田でカシオペアとすれ違い。あちらはすべてA寝台の豪華列車で、なんだか落差を感じますが・・・

津軽線から分岐した当たりまでは記憶にあるのですが、そこからは寝てしまい、函館停車中に目が覚めました。函館では23分停車するので、ホームに出てDD51を撮影。その後、ここから進行方向が変わるため、座席の向きを変えました。しかし半分ぐらいはそのままでした。
それにしても深夜にもかかわらず、函館駅での乗降が非常に多いこと。よく眠れましたが、苫小牧で目が覚め、初めて眺める北海道の大地にしばし感動。

札幌には定刻通り、6時07分着。その後、地下鉄に少し乗った後、大通りの時計台を見学して、新札幌から千歳へ。千歳発11時20分の常滑行きのANAに搭乗。飛行機を使った最大の理由は、5月末で期限切れの株優の半額券の消化のためだったりします。
飛行機から見た千歳や苫小牧の街とその郊外は、街の外に未開発の原野があり、なんだかシムシティみたいな感じでした。空からは下北半島や青森の街、さらに言うと昨日夜、写真を撮影した青森の青函連絡船埠頭も見えました。

久々の空の旅は快適でした。
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