九州のブルートレインけん引機、ED72とED73。独特の前面から和製ゲンコツ機関車なんて異名もあります。
さて、九州の鹿児島本線が交流電化された1961年、九州用の交流機関車として製造されたのが、このED72とED73です。当時は、サイリスタや大容量のシリコン整流器(ダイオード)が未発達だったため、水銀整流器が採用されています。
水銀整流器を採用するメリットは、位相制御が可能になり、性能面で粘着係数の向上が得られるという点があります。位相制御とは何かは詳しく解説しませんが、交流を直流に変換するときに、同時に電力制御を行う方式です。
実際の運用からもわかるように、交流機のD形(4軸)は、直流機のF形(6軸)と同等と国鉄は見なしていました。交流電気機関車の場合、電圧制御は、変圧器から数ヶ所の巻き線を引き出し、その部分を切り替えることによって、電圧を変化させていました。いわゆるタップ切り替え制御です。これだけでは、切り替えの時の電圧の変化が大きすぎるため、水銀整流器で前述の位相制御を行い、電圧の変化をなめらかにしています。
これらの制御によって非常に交流機は空転しにくいため、交流機のD形は直流機のF形に匹敵すると言われて来ました。
もっとも水銀整流器は故障が多いため、後にシリコン整流器に改造されています。これによりけん引定数の低下が見られましたが(1300t→1100t)、九州内ではそこまでのけん引力は必要ないとされたようです。
ED72の量産機とED73は、電気・機械関係の構造と性能面では全くの同一となっています。違いはED72は中間台車があり、列車暖房用の蒸気発生装置(SG)を持っているのに対して、ED73は中間台車がなくSGを装備していません。ED72は旅客用、ED73は貨物用として製造されました。電気的な部分は、ED71の2号機に準じて、乾式の変圧器と風冷式イグナイトロンを採用しています。
さて、こうして姉妹機として登場したED72とED73。鹿児島本線の電化とともに早速、あさかぜの門司博多間をけん引し始めました。20系客車は、自編成で冷暖房電源を持っているため、SGが必要なく、ED73がブルートレインけん引にあたる割合が多かったと言われています。
1965年には鹿児島本線の電化区間は熊本まで伸び、熊本まで通しでブルートレインをけん引するようになりました。1968年10月までにED72・ED73がけん引したブルートレインに、あさかぜ(博多まで)、さくら(鳥栖まで)、みずほ、はやぶさ、あかつきが有ります。
さて1968年10月のダイヤ大改正、いわゆるヨンサントウの改正で両形式も大きな影響を受けることになります。
この改正から20系客車はこの年製造分からARBEブレーキを装備し、それ以前の車両も改正までには同一仕様に改造される予定でした。このARBEブレーキの使用開始により、20系客車の最高速度が従来の95km/hから110km/hへ引き上げられました。これに伴い、牽引機関車のほうにも大きな影響があり、100km/h以上の場合は、電磁ブレーキの対応、以下の場合でも元ダメ引通管が必要になります。
この対応のため、ED73はすべて電磁ブレーキ対応に改造され、1000番台に改番されました。そして、鹿児島本線の門司熊本間のブルートレインけん引をED75-300と共通運用の形で担当することになりました。
一方ED72はいったんブルートレインけん引から外れることとなりました。
さて、その後1970年に鹿児島本線の全線電化が完成しましたが、鹿児島本線の熊本以南は、軌道強化が行われなかったため、ED73は熊本以北の運用にとどまり事になり、中間台車の可変軸重機能を持つED76-1000がはやぶさ、あかつきなどをけん引しています。
1972年以降、けん引機に特別の装備が必要ない、14系24系客車が製造され、ブルートレインとして使われるようになりました。ED72も再びブルートレインけん引の機会が出来ましたが、ED72の中間台車はED76のように可変軸重機能が無く、熊本以南へは入線できないため、熊本以北での運用にとどまりました。
1976年には長崎本線の全線電化が完成して、あかつき、さくら、みずほなどで長崎までの運用もされています。
ED72の中にはSGの使用を停止して、ED73と共通運用で使用された機関車もあったようです。
ED72は1978年から廃車が始まり、北陸本線からのEF70の転属もあり、1982年までには全車が廃車となり、ED73も1983年までには全車が廃車となりました。
参考文献
鉄道ファン1993年10月号 ヨン・サン・トウ25周年記念特集 JNR/JR25年の大アルバム
鉄道ファン1993年11月号 20系特急型客車最後の特集
鉄道ジャーナル1980年8月号 交流電気機関車の系譜
撮影 2008年2月9日 九州鉄道記念館