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にしみの鉄道情報局付属ブログ

大津市内の東海道本線廃線跡

2023-02-25 | 鉄道

東海道本線京都大津間は開業時ルートが異なり、現在よりもかなり南側を通っていました。旧ルートは一部が奈良線として使われ、大半は名神高速道路に流用されていいます。大津駅の南側の旧東海道本線は下の航空写真の赤い線の部分で、ほぼ国道1号線として使わています。

1921年に東海道本線が現ルートに変更になり、その後前述の奈良線の区間以外の廃線跡は、ほぼ放置されていたようですが、戦後の1950年頃に東京大阪間の国道の大津市内のルートが、市内の旧東海道から現在のルートに移った時、大津駅南側の部分は、東海道本線廃線跡がそのまま国道に有効活用されました。当時、国道2号線でしたが、1952年に国道1号線に変わっています。この国道1号線区間には各所に鉄道時代の遺構が残っています。

 

1地点 大津駅南側 国道1号線 撮影 2023年1月3日

大津駅南側の国道1号線ですが、かなりの勾配で当時は補機を連結していたそうです。当時の大津駅は、現在のびわ湖浜大津駅のところにあり、逢坂山トンネルから直接下ると、市街地を通る事と、急勾配になるので、一旦膳所(当時は馬場)まで行き、ここでスイッチバックして大津市内の初代大津駅(浜大津)へ向かっていました。膳所から浜大津までの部分は、米原方面への路線の開業後は支線になり、1913年に大津電車軌道(現在の京阪石山坂本線の一部)が国から線路を借用して路面電車を開業しています。大津電車軌道開業後も浜大津への貨物列車の運行は続いたので、狭軌と標準軌の三線軌条で、戦後には江若鉄道も乗りいれています。この区間は江若鉄道の廃止まで東海道貨物支線と京阪石山坂本線、江若鉄道の三重戸籍区間でした。

 

2地点 旧東海道本線橋台跡 撮影 2021年4月30日 

京阪京津線の国道161号線旧道(旧東海道)の踏切付近にあるレンガ積みの橋台跡。これは旧東海道の上を通る橋梁の橋台で、逢坂山トンネルの反対側になります。なお京津線は1912年に全通していますが、この部分を潜っていたわけではなく、東海道本線が現ルートに変更になる1921年まで東海道本線を乗り越していました。ただし、その痕跡は残っていないようです。

 

3地点 ねじりまんぽ 音羽台1号橋 撮影 2023年2月11日

国道1号線築堤の下側の水路の内部はレンガ造りで、内部はねじりまんぽになっていました。主に築堤区間の鉄道の下を通る道路や水路のトンネル、これを関西地方ではまんぽといい、その中で文字りレンガをねじって積み上げたのがねじりまんぽになります。それで、肝心のレンガをねじって積み上げた理由ですが、水路や道路が鉄道と斜めに交差する場合に、端部の強度確保のためだそうです。

このような特殊なレンガを積み上げたトンネルはすべて鉄道関連で、日本には30箇所前後が存在しており、ここもその1箇所になります。

 

4地点 大津駅南側 国道1号線下地下道 撮影 2023年1月3日

大津市の南側の国道1号線の下をくぐる地下道で、こちらもレンガ造りですが、直交しているためレンガは普通に積まれています。内部には東海道本線の複線化の時のトンネルの継ぎ目があると思いますが、塗装されている関係で見当たりませんでした。

 

5地点 現線と旧線の分岐部分 撮影 2023年1月3日

東海道本線の現線と旧線の分岐部分には、いまも旧線の橋台が残っています。この部分の東海道本線は1970年代の京都草津間の複々線化で作り直された区間で、現線の高さは付近の道路交通を考慮して、旧線よりも高くなった可能性があります。

 

6地点 旧逢坂山トンネル 撮影 2021年4月30日

旧逢坂山トンネルは現在東口だけが残った状態になっています。ちなみに上り線のトンネル内部には京都大学の地震計が置かれているそうです。

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京都市バスの整理券車

2023-02-17 | バス(路線・事業者)

京都市バスは中心部は均一ですが、郊外は対キロ制及び区間運賃を採用している地域があり、整理券車が存在します。均一区間が岩倉地区嵐山地区に広がった現在でも、洛西方面など均一運賃区間と変動運賃区間を直通する整理券系統が多いため、区別のため前面に整理券車というステッカーを貼っています。

 

整理券車が均一系統に入る場合、整理券車のステッカーを貼ったままのケースが多かったのですが、マグネット式の場合もあり、剥がして運賃箱のところに貼っておくようです。ステッカーだったりマグネットだったり、デザインが異なっていたり、均一系統に入る場合に上からステッカーを隠していたり、整理券系統にも関わらず整理券車の表示が無い車両(マグネットの貼り忘れ?)もあって、法則性がよくわかりません。

 

ちなみに、整理券発券機とカードリーダーはこのようにカバーを被せておくようです。

 

撮影 2007年8月25日 2008年2月10日 2022年11月5日

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あおによし

2023-02-14 | 鉄道

先日、奈良を訪れて19200系観光特急あおによしに乗る機会がありました。当日に特急券が買えて、それなりの乗車率だったので、当日購入の乗客が多く、車内が豪華な定期特急という感じで利用される方が多いようでした。

ちなみにあおによしは12200系時代に2度更新工事を受けているので、あおによしへの改装は3度目の更新工事という事になります。

車内の外装も内装も奈良らしい天平文様で統一されていて、奈良らしい車両に仕上がっています。

ところで、通常の特急料金520円に特別車両料金の加算がされますが、210円なのである意味かなり良心的な価格設定で、通常の特急との差を考えると、むしろ収益性は低いのではないかと心配になってきます。

 

撮影 近鉄奈良駅 2023年2月4日

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奈良国立博物館お水取り

2023-02-07 | 美術館・博物館

奈良国立博物館で2月4日から3月19日まで開かれている特別展示お水取りを見てきました。見たかったのは、東大寺二月堂の大観音小観音の光背で、奈良国立博物館では毎年この時期に展示しています。

 

こちらが大観音の光背で、特別展示に合わせて本館(なら仏像館)で展示していました。江戸時代初期の二月堂の火災で損傷し、現在は奈良国立博物館に保管されています。

 

こちらが小観音の光背。新館で開かれていたお水取り展の目玉展示で、入口に展示されていました。こちらも同じく江戸時代初期の二月堂の火災で損傷しています。(写真はいずれも奈良国立博物館刊の展覧会目録からの引用)

奈良国立博物館には、何度も足を運んでいますが、大観音小観音の光背は今まで一度も見たことがなかったのですが、今回見ることができました。いずれもお水取りの時期には必ず展示されるようです。両方の光背とも数年前に板からアクリルの固定に変更されて、両側を見れるようになっていました。

 

なぜ注目しているかというと、二月堂の本尊の大観音小観音とも絶対の秘仏とされています。鎌倉時代以前に書かれた絵図は残っていて、概ねの形は推定されていますが、少なくとも二月堂再建以降は誰も見たことはないと思われます。光背の大きさから大観音小観音の大きさを実感できるので、少し前から注目していました。

 

ところで、秘仏というと、定期的に公開(開扉)されていて、学術調査もされている秘仏はともかく、絶対の秘仏で学術調査や寺院関係者も見たことがない仏像の半分ぐらいは、火災などにより損傷が激しく開扉できないか、存在しないのではないかと考えています。同じく絶対の秘仏である善光寺の本尊は、江戸時代初期から存在しないと言われていて、江戸幕府がわざわざ元禄年間に検分した記録が残っています。

二月堂の大観音小観音は江戸時代初期の火災の前、遅くとも南北朝時代の頃から絶対の秘仏でしたが、おそらくこのときの火災でかなり損傷しているのではないかと推定されています。小観音は厨子に入っているので、多くの秘仏と同じく厨子ごと動かす事はできるのですが、大観音は二月堂内に置かれ、天蓋の下に帳で掩われています。二月堂の解体修理の話は、今のところ聞いたことがありませんが、大観音をどうするのか気になるところです。

たしかに、こんな松明に火をつけてを持って走ったら、状況によっては火災が起きるなあと・・・。現在はしっかり防火対策はされて、消防も待機しているようです。

 

ちなみに本館(なら仏像館)の方では、現在金峯山寺の金剛力士像の修復が完了して公開されています。金峯山寺の仁王門が修理中で、保管を兼ねて、奈良国立博物館にて展示されています。

 

撮影 2022年2月4日(二月堂の写真のみ2005年撮影)

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