東海道本線京都大津間は開業時ルートが異なり、現在よりもかなり南側を通っていました。旧ルートは一部が奈良線として使われ、大半は名神高速道路に流用されていいます。大津駅の南側の旧東海道本線は下の航空写真の赤い線の部分で、ほぼ国道1号線として使わています。
1921年に東海道本線が現ルートに変更になり、その後前述の奈良線の区間以外の廃線跡は、ほぼ放置されていたようですが、戦後の1950年頃に東京大阪間の国道の大津市内のルートが、市内の旧東海道から現在のルートに移った時、大津駅南側の部分は、東海道本線廃線跡がそのまま国道に有効活用されました。当時、国道2号線でしたが、1952年に国道1号線に変わっています。この国道1号線区間には各所に鉄道時代の遺構が残っています。
1地点 大津駅南側 国道1号線 撮影 2023年1月3日
大津駅南側の国道1号線ですが、かなりの勾配で当時は補機を連結していたそうです。当時の大津駅は、現在のびわ湖浜大津駅のところにあり、逢坂山トンネルから直接下ると、市街地を通る事と、急勾配になるので、一旦膳所(当時は馬場)まで行き、ここでスイッチバックして大津市内の初代大津駅(浜大津)へ向かっていました。膳所から浜大津までの部分は、米原方面への路線の開業後は支線になり、1913年に大津電車軌道(現在の京阪石山坂本線の一部)が国から線路を借用して路面電車を開業しています。大津電車軌道開業後も浜大津への貨物列車の運行は続いたので、狭軌と標準軌の三線軌条で、戦後には江若鉄道も乗りいれています。この区間は江若鉄道の廃止まで東海道貨物支線と京阪石山坂本線、江若鉄道の三重戸籍区間でした。
2地点 旧東海道本線橋台跡 撮影 2021年4月30日
京阪京津線の国道161号線旧道(旧東海道)の踏切付近にあるレンガ積みの橋台跡。これは旧東海道の上を通る橋梁の橋台で、逢坂山トンネルの反対側になります。なお京津線は1912年に全通していますが、この部分を潜っていたわけではなく、東海道本線が現ルートに変更になる1921年まで東海道本線を乗り越していました。ただし、その痕跡は残っていないようです。
3地点 ねじりまんぽ 音羽台1号橋 撮影 2023年2月11日
国道1号線築堤の下側の水路の内部はレンガ造りで、内部はねじりまんぽになっていました。主に築堤区間の鉄道の下を通る道路や水路のトンネル、これを関西地方ではまんぽといい、その中で文字りレンガをねじって積み上げたのがねじりまんぽになります。それで、肝心のレンガをねじって積み上げた理由ですが、水路や道路が鉄道と斜めに交差する場合に、端部の強度確保のためだそうです。
このような特殊なレンガを積み上げたトンネルはすべて鉄道関連で、日本には30箇所前後が存在しており、ここもその1箇所になります。
4地点 大津駅南側 国道1号線下地下道 撮影 2023年1月3日
大津市の南側の国道1号線の下をくぐる地下道で、こちらもレンガ造りですが、直交しているためレンガは普通に積まれています。内部には東海道本線の複線化の時のトンネルの継ぎ目があると思いますが、塗装されている関係で見当たりませんでした。
5地点 現線と旧線の分岐部分 撮影 2023年1月3日
東海道本線の現線と旧線の分岐部分には、いまも旧線の橋台が残っています。この部分の東海道本線は1970年代の京都草津間の複々線化で作り直された区間で、現線の高さは付近の道路交通を考慮して、旧線よりも高くなった可能性があります。
6地点 旧逢坂山トンネル 撮影 2021年4月30日
旧逢坂山トンネルは現在東口だけが残った状態になっています。ちなみに上り線のトンネル内部には京都大学の地震計が置かれているそうです。