nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

205系奈良線転用

2018-04-24 | 鉄道


3月17日の改正から奈良線では阪和線から転属してきた205系が運用されています。阪和線オリジナルの1000番台4両編成のみ、奈良線限定で103系と共通で運用されています(103系4両編成2本をつないで、大阪環状線へ乗り入れる運用は2016年10月に221系に置換え)。阪和線からは2016年12月の改正で撤退し、その後奈良地区で乗務員訓練などを行っていたようです。
なお、205系1000番台は5本、現行の奈良支所の103系4両編成の運用は7運用なので、不足分の103系置換えは日根野からの205系0番台か、網干から221系の転属ではないかと予想しています(201系は変電所の関係から奈良線に入線できないらしい)。

205系1000番台はJR西日本が若干設計変更しており、国鉄JR東日本が製造した車両とは異なります。見た目は前面窓が拡大され、車外スピーカーが取り付けられた程度ですが、下回りがかなり異なり、補助電源装置がMGからSIVになり、また京葉線用の205系と同じく110km/h運転に対応しています。
もう一点決定的な違いがあり、205系1000番台には主電動機冷却ダクトがありません。国鉄設計の直流モータの通勤電車や近郊型電車は、雪をモータに吸い込むことによる絶縁破壊対策のため、雪切室を持つ車両を除いて、戸袋窓の上部から主電動機冷却風を取り込み、台車へ蛇腹を通じて冷却風を送っています。JR化後の直流モータ車の中には、特急急行型電車のように妻面から冷却風を取り込むものもあるようです。
205系1000番台はほとんど積雪がない阪和線沿線向けなので、ダクトを省略して、主電動機の冷却風を直接吸い込みにしていますが、京都や宇治は冬場にそこそこ雪が降りますが、大丈夫なんでしょうか。

京阪神緩行線から阪和線に転属してきた205系0番台6両編成4本の方は、今回の改正直前まで阪和線で運用されており、現在運用を離脱しているようです。おおさか東線の延伸用か、4両編成に縮めて奈良線の103系置換えのどちらかで奈良支所に転属してくるのではと思われます。
個人的には訪日外国人観光客の利用で、奈良線もかなり混雑してきているので、6両編成のまま奈良線で運用してもいいかもしれません。



ところで、奈良支所の103系のうち、写真のNS401編成の両端のクハ103-167・168は1970年以前に製造された非ユニットサッシの白熱灯1灯前照灯で製造された車両です。103系の非ユニットサッシ、シールドビーム前照灯車改造車の最後の車両になります。しかも国鉄時代に特別保全工事施工された最後の車両でもあります。
今回の改正でも運用離脱せず、もうしばらく走るようです。

撮影 宇治川鉄橋 2018年4月14日
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いろはすメロンクリームソーダ

2018-04-16 | 清涼飲料水

いろはすの最新フレーバーのメロングリームソーダ。飲んでみて思ったのは、ここまで行くとフレーバーウォーターではなく、着色されていないファンタメロングリームソーダではないかと。
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スシ28 301

2018-04-11 | 鉄道


京都鉄道博物館にはスシ28 301という車両が保存されています。この車両、スシ28として営業運転したことは1度もない車両だったりします。



もともとは1933年にスハ32系の食堂車2等車合造車のスロシ38形として製造されています。戦争中の1944年に食堂車が廃止になり、食堂部分を座席に変更して、調理室付三等車マハシ49形となりました。もともと食堂車なので出入り口がなく、その改造も困難で、さらに戦争中の資材不足の影響か、調理室部分の撤去まで手が回らず、この時期の食堂車転用の車両は調理室部分を残したまま、座席車になっています。
戦後食堂車が復活する時にマハシ49形は、再改造され食堂車として復活することになり、幾つかの改造車が登場していますが、1953年時点でマハシ49形として残存していた車両は食堂車と座席車の合造車のスハシ38形となりました。
その後、急行日本海に連結して運用されていましたが、1961年に廃車になり、大阪弁天町の交通科学博物館の展示車になるときに、座席車の部分も食堂化され、架空のスシ28 301になりました。スシ28形は戦前製のスシ37形(この車両も戦争中は座席車化され、戦後食堂に復元されています)のうち、冷房がない車両が1953年に区別されてできた形式で、もちろん300番台は存在しません。ただ、もともとスハシ38形の食堂部分は、スシ28形の戦後の食堂復元時と近い構造だったようで、全室食堂化でスシ28 301を名乗ったのはあながち間違っていないようです。

交通科学博物館展示後は、実際に来館者用の食堂として使用していましたが、20系のナシ20形が交通科学博物館に保存された後は、こちらに食堂としての機能を譲り、通常の展示車両に戻っています。京都鉄道博物館に移設後も、スハシ38への復元は行われず、交通科学博物館時代ほぼそのまま展示されています。

京都鉄道博物館の説明文には「当初は、食堂車と2等座席の合造車のスロシ38000形として製造されました(中略)その後、旧交通科学博物館にて展示される際に車内全室が食堂車に改造されスシ28形301号車になりました。」と書かれています。以前の交通科学博物館の説明文には、展示されるために全室が食堂車に改造された事は書かれていなかったので、多少マシになったようです。それでもさすがに架空の形式であることは、説明文には書かれていません。


妻面には銘板が5枚も貼られています。右下から昭和8年(1933年)の日本車両の製造銘板、日本国有鉄道の銘板、昭和28年(1953年)の旭川工場でのスハシ38への改造時の銘板、左下から昭和28年(1953年)の旭川工場での更新修繕(スハシ38への改造と同時に施工)の銘板、昭和36年(1961年)の高砂工場での改造の銘板の5枚になります。高砂工場の銘板は、交通科学博物館での展示を前提とした改造に対して、貼られています。戦争中のマハシ49形への改造銘板は資材不足の時期のためか貼られていません。




台車は今となっては珍しい三軸ボギー台車のTR73形を装着しています。戦前の優等列車用の客車、一等車や二等車、食堂車などは三軸ボギー台車が一般的でしたが、戦後は一部の特大の貨車(50t積の大型タンク車のタキ50000形や一部の大物車など)しか例はありません。ちなみに隣に展示されているマロネフ59形も、三軸ボギー台車を装着しています。
三軸ボギー台車の乗り心地は、バネが柔らかくできるので良いと言われていますが、当然ながら体験したことはありません。

撮影 2017年1月3日
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二時間ドラマの撮影時期

2018-04-04 | テレビ番組
2018年3月29日に放送されたフジテレビの浅見光彦シリーズの53作目の「浅見光彦殺人事件」に、ゲストヒロインとして上原多香子が出ていました。真っ先に思ったことは、テレビ出れるんだと。
これは別に禊を済ませたとか、話題確保のために、あえて起用したとかそういったたぐいの話ではなく、撮影から放映までにタイムラグがあったからのようでず。
複数の情報から昨年(2017年)の7月頃に撮影されており、そこから放映まで半年以上の時間差がありました。例の騒ぎになるのは8月なので、その直前に収録されたようです。余談ですけど、昨年10月に放送された「司法教官・穂高美子」にもゲストとして出演していますが、このときはほとんど話題になりませんでしたが、今回の浅見光彦シリーズへの出演は人気シリーズということもあってかかなり話題になっています。

この作品、フジテレビ版の中村俊介主演の浅見光彦シリーズの最終回として放送されました。1作から15作までは榎木孝明が主演していたシリーズで、15作以降は中村俊介が引き継いでいます。
TBS版の浅見光彦シリーズは、辰巳琢郎→沢村一樹→速水もこみち→平岡祐太と変わっています。
複数のテレビ局で同じ原作を並行して作成するのは、他には狩矢父娘シリーズ(テレビ朝日版藤谷美紀・田村亮)、狩矢警部シリーズ(TBS版船越英一郎・前田亜季)と、西村京太郎トラベルミステリー(テレビ朝日版三橋達也・愛川欽也→高橋英樹・高田純次)と十津川警部シリーズ(TBS版渡瀬恒彦・伊東四朗→内藤剛志・石丸謙二郎)があります。いずれも二時間ドラマの人気シリーズです。

ところで、二時間ドラマの場合、撮影から放送までのタイムラグがかなりある場合があり、2月9日放送の橋爪功主演の「新 京都殺人案内」は2年以上前に収録されています。目撃者の役で2016年10月に亡くなられた肝付兼太さん(ドラえもんの先代のスネ夫の声の人)が出演されていて、おそらく2015年の秋頃に収録されたのではないかと思います。

2時間ドラマは出演者のブログやTwitterなどから収録から間を置かず放送される例もありますが、収録から2年以上かかってようやく放映される場合もあるようです。
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