nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

三ツ矢サイダーしらぬい

2021-02-28 | 清涼飲料水



三ツ矢サイダーのしらぬい。しらぬいとはあまり聞き慣れませんが、デコポンというとわかりやすいかもしれません。
デコポンはJA熊本果実連が商標を持っていて、それ以外の生産者が出荷する場合は、しらぬいになるそうです。エグみ酸味が少なく甘みが強い柑橘系の味です。
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養老鉄道撮影ポイント8 美濃山崎 卜全塚

2021-02-23 | 養老鉄道


美濃山崎駅と石津駅の中間の撮影ポイントで、写真にも写り込んでいますが西美濃三人衆の一人、氏家卜全の墓である卜全塚があります。余談ですけど、氏家卜全は長島一向一揆のときに、この地で討ち死にして、塚が設けられたと伝わっています。このあたりは線路が南北ではなく若干南南東よりのため、朝から11時頃までが順光になります。




付近には海津市南濃中南部浄化センターがあり、国道からもアクセスしやすい撮影ポイントです。ただし国道からもアクセスする場合、ローソンの南側の道の踏切を渡って海津市南濃中南部浄化センターの門の手前の狭い道を左に入っていく必要があります。





撮影 2020年4月11日・19日・30日
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クハ165-3

2021-02-14 | 鉄道
田町電車区(現東京総合車両センター田町地区)の167系の中に、1両だけ165系が入っていて、こんな急行型電車と修学旅行電車のドア幅の違いを見ることが出来ました。
急行型電車はドア幅が1000mmが標準のところ、修学旅行電車は、乗降が少ないという点から、特急電車と同じ700mmの狭いドア幅を採用しています。


撮影 尾張一宮 2002年夏頃

これは、1982年伊豆急線内の川奈駅でクハ167-2が脱線事故を起こして廃車され、その代替として神領電車区で廃車予定で休車中だったクハ165-3が田町電車区に転属して167系の編成に組み込まれたものです。クハ165-3は1963年製で、本来なら19年で廃車になるところ、2003年まで167系と編成を組んで40年も運用されました。ちなみに田町電車区の他の167系は1965年製で、クハ165-3とそれほど製造年度に差はありません。


大垣夜行救済臨ではH11編成とH19編成がコンビを組み、東京方がH11編成、大垣方がH19編成が通例で、H11編成下り向きのクハ165-3が先頭に立つ機会はめったにありませんでした。
自分がクハ165-3が大垣夜行救済臨で先頭になったのを目撃したのは、2003年冬の田町電車区167系最後の大垣夜行救済臨の一度だけです。


このときは、車両の関係から、東京方にはリクライニングシートに交換したアコモ車が連結されていました。
なお、大垣夜行救済臨は、大垣電車区で車内整備後、午前中に尾張一宮駅まで回送され、ここで夕方まで留置されていました。これらの写真はすべて、この回送もしくは留置中のものです。

撮影 大垣 2003年1月6日
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麒麟が来る最終話

2021-02-09 | テレビ番組


昭和の昭の字は、昭和由来の地名人名、例えば昭島市(1954年に昭和町と拝島村が合併した合成地名)など、ほとんどは昭和に年号が変わってから使われています。
それ以前に日本国内で使われた唯一と言っていい例が、室町幕府最後の将軍の足利義昭の昭ではないかと思います(ただし皇室では使用例があり)。

その足利義昭は今回の麒麟が来るでは滝藤賢一が演じていました。(以下敬称略)
麒麟が来るはコロナの影響で撮影が延びて、半沢の第二シーズンを降板したため、逆に義昭の出演シーンがかなり多かった印象があります。史実ではありえない、光秀が鞆の浦へ向かうエピソードなど、スケジュールを確保できる出演者のみで、シーンを構成していたようです。
流石に主役明智光秀役の長谷川博己や準主役的な、秀吉役の佐々木蔵之介、信長役の染谷将太は、スケジュールを開けていたようですが、スケジュールの都合が付かなかったり、コロナの影響で出演が出来なかったりした人が少なからずあるではないかと思います。逆パターンですが、稲葉一鉄役の村田雄浩は、織田家へ仕官後は出演しないはずだったらしいのですが、そのあとも数話出演しています。


おそらく、前半の美濃編までは、50話前提のシナリオで書かれていて、あとからオリンピック関連で47話に削られ、そこからさらに44話まで話数が減ってしまったので、終盤の4話程度は打ち切り漫画みたいに話を無理やり端折っていました。このままだと、ラストシーンが本能寺の編の直前で終わるのかと思いましたが、流石にそれありませんでした。この減少した3話分が、丹波攻略と山崎の合戦ではないかと考えています。

それで本能寺の変の原因は、結局新解釈はされず、狂気化した信長を成敗するという従来に近い解釈で、賛同者がいなかったという描かれ方でした。一時期有力だったイエズス会や朝廷、足利義昭などの黒幕説は、近衛前久黒幕説を除いて否定されていますので、今回もそのような描き方はされませんでした。
近衛前久ついては、ドラマでは前久と光秀をつなぐ伏線は多数あったので、黒幕というより光秀と共同謀議した可能性もあったと思うのですが、結局そのような話はありませんでした。むしろ、最近言われている光秀と徳川家康との関連の方が強かったような。あと最新の研究から細川藤孝が秀吉側に情報を流していたという説が採用されいました。


最終盤は根本的に話数が少なく、光秀単独説にしないと、44話に収まらなかったのかもしれません。
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臨時ムーンライトながらの譜系

2021-02-04 | 鉄道


昨年春のシーズンの運行を最後に運転を終了したムーンライトながら。2009年以降183・189系、185系で春夏冬に運行されていた列車のルーツは、1987年頃から多客期に運行を開始した大垣夜行救済臨になります。

大垣夜行救済臨、別名臨時大垣夜行は1987年頃から運行を始めたと言われていますが、運行開始時期は諸説あってはっきりしません。1989年12月からは時刻表に掲載され、青春18きっぷシーズンの多客期などに、計画的に運行されるようになりました。さらに、1996年頃には、夏の最ピーク時に下りのみ追加で救済臨の救済臨が運転された年もあったようです。
2003年夏シーズンからは、183・189系に車種が変更になり、ムーンライトながら91号92号として運転されるようになっています。

車種は時期によって異なり、また1987年から2003年春シーズンまでのすべての大垣夜行救済臨の運転記録の全貌ははっきりしません。当初は国府津電車区(現国府津車両センター)の湘南電車用の113系を使っていたようですが、後に定期の大垣夜行と同等の急行型電車が使われるようになりました。

1996年以降、2000年まではJR東海持ちの神領電車区(現神領車両区)の165系とJR東日本持ちの田町電車区(現東京総合車両センター田町地区)の167系が交互に走る体制でした。


撮影 大垣 1999年頃


撮影 尾張一宮 2002年頃

神領電車区の165系は3両編成を3本つなぎ、中間に組み込まれる先頭車を1両抜いた8両編成で運転されるケースが多かったようです。
田町電車区の167系は、湘南色ボックスシートのまま残っていたH11編成とH19編成がもっぱらコンビを組んで8両編成で走っていました。場合によってはさらに三鷹電車区(現三鷹車両センター)の169系3両が増結に付き、11両編成で運転されたケースもあります。


撮影 大垣 2001年頃

JR東海の165系が全廃されると、2001年夏シーズンの前半には神領電車区の113系が運用に入っています。中央西線の普通快速に使われる編成と同じ、4+6の10両編成が、JR東日本の167系と交互に運転されました。
2001年夏シーズンの後半から、大垣夜行救済臨はJR東日本持ちになります。


撮影 大垣 2003年1月6日

このあたりから、大垣夜行救済臨は何でもありの様相を呈してきます。田町電車区の通称アコモ車と呼ばれる、車内を簡易リクライニングシートへ取り替えたグループも頻繁に大垣夜行救済臨に入ってきています。自分は撮影できませんでしたが、グリーン車の廃車発生品のリクライニングシートを装備した、パノラマエクスプレスアルプス色の167系、通称メルヘン車も大垣夜行救済臨に運用されています。このときは座席が少なく車内は阿鼻叫喚だったとか。

2001年夏シーズン後半は、田町電車区の167系湘南色の8両と、田町電車区167系アコモ車4両+新前橋電車区(現高崎車両センター)の165系6両の10両編成、三鷹電車区の169系3両+新前橋電車区165系6両など多彩な編成が見られました。


撮影 尾張一宮 2002年8月頃

2002年夏シーズンから2003年春シーズンまでは、新前橋電車区の165系が、田町電車区の167系と交互に大垣夜行救済臨に運用されています。新前橋電車区の165系が田町電車区の167系に増結され、11両編成で運転された日もあるようです。

2002年夏には新前橋電車区のモントレー色で統一された9両編成も見ることが出来ました。



撮影 大垣 2003年4月26日

最後の大垣夜行救済臨の2003年GWの運転は、新前橋電車区の165系と静岡運転所の113系T編成(JR東日本管内で運用される湘南電車増結編成)の運転でした。新前橋電車区の165系はモントレー色から湘南色に戻された編成もあり、大垣夜行救済臨に運転されていました。


撮影 沼津 2009年7月25日

2003年夏シーズンからは、車種が田町電車区の183・189系に変わり、全席指定のムーンライトながら91号92号となりました。その後、田町電車区の東京総合車両センターへ統合及び、車両配置の見直しに伴い、大宮総合車両センターへ転属がありましたが、2013年夏まで使用されました。2009年に373系使用の定期のムーンライトながら廃止後は、91号92号の号数は付かなくなりました。



撮影 大垣穂積間 2016年8月13日

2013年冬からは185系がムーンライトながらに使われるようになりました。グリーン車をぬいた6+4編成で185系は先頭車が非貫通型のため、編成内貫通がなくなり、走行中に他の編成に乗り移れなくなりました。
当初は湘南ブロック塗装でしたが、徐々に斜めストライプ塗装が増えていき、最後にはすべての編成が斜めストライプ塗装となっていました。


撮影 大垣 2017年7月22日


185系のムーンライトながらは大宮総合車両センターのB7+B4編成とB5+C7編成が事実上固定されて運用されていました。B4編廃車後はOM3編成がムーンライトながらに使われていたようです。
B7編成が2014年4月に斜めストライプに戻され、2014年夏のムーンライトながらに使わたのを皮切りに、2017年シーズンにはムーンライトながらへ充当される185系はすべての編成が斜めストライプの塗装に戻っていました。

参考文献 鉄道ピクトリアル 2020年7月号 特集 夜行快速「ムーンライト」
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