nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

岐阜塗りの西工

2008-07-30 | バス(車両)
地元の方からの↓の画像を見て、ついに来るべき物が来たかと。
東鉄に岐阜塗り(名鉄グループ共通色)の西工ボディ車がついに登場しました。おそらく西工架装の三菱ふそうエアロミディAR系の様です。

東鉄は名鉄グループのバス事業者(持分法適用会社の北陸鉄道グループおよび宮城交通グループ、福井鉄道などを除く)の中では、富士の最終生産車を導入するなど日産ディーゼル車の導入に一時期積極的で、西日本車体工業製のバスも多数存在しています。これらのバスのうち路線車は、東鉄貸切色やリバイバルの緑系の塗装だったので、純粋な赤白カラーの名鉄色の西工は存在しませんでした。

現在三菱ふそうの中型を購入すると、自動的に西工製になりますので、いずれは登場すると思っていたのですが、こうして見るとかなりの違和感があります。

さて、三菱ふそうの場合、大型ノンステも自動的に西工になりますが、名鉄バスでは今のところ導入していません。京阪バスのように、大型ワンステはMFBM製を入れても、大型ノンステはブルーリボンIIを導入して、西工の導入をかたくなに拒んでいる?と思える事業者も居ますが、名鉄バスはいったいどうなるんでしょう。
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仙台新幹線車両基地まつりへ・後編

2008-07-29 | 旅行

前編からの続き

このあとの予定もあるので10時30分頃には、会場を出て新利府へ。ところが一向に電車が来ません。ようやく来たと思って乗り込んだら、東仙台駅で停車。地震の影響で、徐行運転が続いていて、ダイヤが乱れて仙台駅のホームが塞がっているようでした。結局仙台駅に着いたのは11時30分頃。

仙台駅で昼食を取り、そのあとのスケジュールを考えることに。東北本線小牛田一関方面は地震の影響で、徐行運転続いており、遅れが発生していました。小牛田から陸羽東線で新庄まで乗車の予定でしたが、ダイヤが乱れており、平常運転の仙山線から奥羽本線で山形新庄と乗車することにしました。
12時45分発の仙山線山形行きに乗車。仙山線は前回、陸前白沢で強風のため、運転打ち切りになっているため、そのリベンジも兼ねています。
山形からは奥羽本線で、新庄まで乗車。

ここから、さらに奥羽本線で横手秋田と乗車するか、それとも陸羽西線で余目酒田と乗車するかは最後まで決めかねていて、帰りの夜行列車にも影響するため、直前までサイバーステーションを見ていたのですが、陸羽西線経由に決めて、16時14分発の新庄発酒田行きに乗車しました。


陸羽西線は最上川に沿って走り景色が良く、久々に乗って良かったと思える路線でした。清川という駅には、かの新撰組の創始者、清河八郎出身地であることをPRするのぼりが立っていました。

余目の手前では、滅多に全貌を表さないと言われている、鳥海山がよく見えました。
余目からは羽越本線に乗り入れ酒田へ。途中、最上川の鉄橋の手前では、羽越本線の脱線事故の慰霊碑が見え、思わず黙祷。

酒田には17時15分着。当初はこのあとさらに秋田まで北上して、日本海で敦賀まで乗車というのも考えたのですが、陸羽西線経由にした時点で、きたぐにに乗車することに決めていました。
目の前には17時22分の新津行きが停車していましたが、うろうろしている間に見送り、結局18時ちょうど発のいなほ14号に乗車しました。
ここで、新潟までの自由席特急券と、ついでに羽越本線、白新線、信越本線、北陸本線、東海道本線経由という乗車券を購入。

余目までは今来た線路を戻り、鶴岡の先までは庄内平野を走り、そこからは海岸線出でて海を眺めながら過ごしました。羽越本線は昭和40年頃から複線化が進められましたが、複線化が完了する直前に、国鉄の財政再建で計画が凍結されています。小岩川~あつみ温泉は山側に複線トンネルを掘って、完成したのですが、レールを引く前に計画が凍結されて、未成線状態になっています。また勝木~府屋は複線トンネルが完成した物の、単線状態のままで、複線化は凍結されています。
また新潟平野や庄内平野の区間でも多くの区間は複線化の用地取得済みのようです。


村上の手前のデットセクションを通過して、新潟には20時07分着。みどりの窓口で聞いてみたら、あっさりきたぐにのB寝台下段が取れ、きたぐにに米原まで乗車して帰宅しました。

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仙台新幹線車両基地まつりへ・前編

2008-07-28 | 旅行
仙台であった新幹線車両基地まつりへ行ってきました。過去、JR東海の浜松工場は何度か訪れたことがありますが、こちらは当然のごとく初めてです。

さて、今回もいつものごとく、ムーンライトながらで東京へ。23時頃に大垣駅へ到着すると、373系の飯田線からの戻りのホームライナー大垣1号が入線してきました。所定なら大垣22時14分着です。人身事故の影響で遅れたとのこと。

この後、大垣区構内で簡単な整備を行い、お昼寝の373系と連結して、9両でムーンライトながらとして運転されるのですが、すぐに出てこれるわけもなく待つことに。その間、名古屋からの列車が間隔を置かず到着していました。

結局大垣駅を発車したのは、23時55分頃。こういう場合で、青春18きっぷで乗車してきて、日付変わりの大府から乗車券を購入してある場合の扱いについてはいったいどうなるんでしょう。

ところで、373系が昼間の間合いの伊那路の運用で故障や事故などで飯田線内に1編成閉じこめられたとき、ながらはいったいどういう扱いをするのか気になります。台風などの自然災害はともかく、東海道線が問題なく運行していて、しかもコミュケの時の場合、ながらを減車したり運休したりすると、大垣駅は想像を超える大混乱になると思うのですが、幸いながらこういう事態は起きていません。現実問題として、東海が廃止されてから373系の運用自体に余裕が出て、時間が許せば静岡から代替編成が大垣まで回送されるんだろうと思いますが。

静岡当たりまでは遅れが続いていましたが、17分停車する沼津を数分で発車し、JR東日本の管内に入ってからはダイヤに余裕が有るためか、どんどん回復していき、大船では5分遅れ、東京駅には定時に到着しました。
東京からは東北新幹線やまびこ41号で一気に仙台へ。新幹線は平常通りでしたが、在来線は前日の岩手の地震の影響で、徐行が続いていて、遅れが目立っていました。


新利府の新幹線総合車両センターにはかって利府駅構内に留置されていた、電気機関車が保存されており、この撮影も目的の一つです。この隣には試験車両の952・953形STAR21や、東海道新幹線と東北新幹線の両方を走行した唯一の車両で319km/hの速度記録をもつ961形が保存されています。

今回の展示の目玉は試験車両のFASTECH 360やEast i、E926形でしたが、庫内の展示のため、余り綺麗な写真は撮れていません。唯一まともな写真は↓です。

入り口近くで磐梯熱海温泉の足湯を体験。夜行明けなので、全身つかりたい衝動に。

後編へ続く
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いすゞハイデッカーV形

2008-07-23 | バス(車両)


いすゞのバスのヘッドライトはエルガが縦目を採用していますが、かっては純正川崎ボディの観光バスで縦目を採用していました。
1980年発売のハイデッカIV形(H401)で登場してて、その廉価版のハイデッカーV形(H501)でも採用され、スーパークルーザーモデルチェンジの1987年まで製造していました。ハイデッカIV形とハイデッカV形の違いは、側面窓の上部が局面ガラスか平面かとボディの裾などで、廉価な分こちらが売れたようです。
川崎のハイデッカIV・Vはモノコックとスケルトンの中間的な構造で、一応スケルトン構造のバスに分類されますが、応力外皮構造の部分がかなりあるようです。
製造終了から20年以上が経過しており、現存車少ないと思われます。

写真のバスは岩手県交通の車両ですが、一番前の側面窓が開閉可能で、国際興業系事業者の車両によくある固定窓になっていません。調べてみたら自社発注車や親会社の国際興業からの移籍車ではなく、静岡県の大富士開発からの移籍車で、同社が1991年に廃業したときに、岩手観光バスを経て岩手県交通へ移籍してきた車両のようです。

 

撮影 2007年2月17日

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寝台特急を引いた機関車たち・6 C11

2008-07-21 | ブルートレイン


寝台特急、ブルートレインのけん引とは無縁と思えるタンク機関車のC11ですが、ブルートレインをけん引したことがあります。写真は大垣市のスイトピアセンターに保存されてる155号機です。

撮影 2008年2月3日


1965年10月にさくらの付属編成が、佐世保に乗り入れることになり、佐世保線の早岐佐世保間のけん引にC11が使われることになりました。早岐佐世保間は進行方向が逆方向になるのですが、わずか数駅間のため佐世保線内をけん引してきたDD51を付け替えるのではなく、C11がけん引したようです。

所定では逆行でしたが、たまには正方向でけん引することもあり、雑誌の取材のため国鉄の協力でヘッドマークが取り付けられて運行されたこともあるようです。さくらのC11けん引は1968年9月まで続き、蒸気機関車の最後の特急、ブルートレイン仕業になりました。当時早岐機関区所属でさくらをけん引した経験のあるC11は、現存していないと言われています。

現在、大井川鐵道でC11にさくらのヘッドマークを取り付けることがあるようですが、ある意味理にかなっているのかもしれません。

 

コメント (2)
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