最後のブルートレイン、急行はまなすが今年の3月21日で廃止になります。1981年の急行ニセコの14系置き換え以来、北の大地を走った急行ブルートレインの終焉になります。
翌1982年11月には札幌釧路間の急行まりも、札幌網走間の急行大雪、札幌稚内間の急行利尻も14系に置き換えられました。この3本の夜行急行列車は、当初は座席車のみ14系で、寝台車は10系でしたが、翌1983年には寝台車も14系に置き換えられました。
1985年には札幌稚内間の急行宗谷と急行天北もキハ56系から14系に置き換えられ、北海道内の長距離急行列車はすべて14系化されました。異例の昼行列車の気動車から客車への置き換えで、冷房なしのボックスシートから特急列車並の14系化されています。
14系座席車の座席は当時の特急の主力のキハ80系の回転クロスシートに対して、簡易リクライニングシートのため、特急を上回る車内設備あります。
ただし、気動車時代よりも所要時間が伸びており、国鉄末期の車両の有効活用ならではかも知れません。
なお、昼行急行の上り宗谷と下り天北は夜行急行の利尻と共通運用されたことから、昼行列車にも関わらず、寝台車を連結していました。
国鉄北海道総局は14系で運転されるこれらの長距離急行列車を、ブルートレインと称しており、長距離急行列車が14系に統一された1985年にはブルートレインフェアが行われたそうです。
1986年には急行ニセコが臨時列車化され、同時に車種がキハ56系化されました。なおニセコは臨時列車として1993年まで運転されました。
ニセコの臨時化と同時に山線経由の特急北海が廃止になり、これ以降、函館札幌間の優等列車はすべて、小樽経由の山線ではなく室蘭本線千歳線経由の海線で運転れています。
2012年から観光振興を兼ねて山線周りのヌプリ・ワッカが運転されるようになりましたが、名称は山線周りの優等列車はやはりニセコではないかと思えます。
北海道新幹線が札幌まで延伸した際には、札幌函館間の列車はニセコが適当ではないかと。
閑話休題、民営化後の1988年には宗谷と天北がキハ400・480形化されました。天北は経由している天北線の廃止により、宗谷に編入され、翌日から宗谷1・4号として運転されています。1991年には利尻もキハ400・480形化されています。なお気動車化後の利尻は寝台車を連結しており、気動車の中に14系客車を組み込んだ編成になりました。
大雪は1992年にオホーツクに編入され同時にキハ183系化され、まりもも翌1993年におおぞらに編入されキハ183系化されています。これらも気動車の中に14系の寝台車を組み込んでいます。
これらで捻出された、14系客車は24系に編入され北海道持ちの北斗星の車両に転用されました。
話が前後しますが、1989年には青函トンネル開通により、青森札幌間に急行はまなすが新設されました。はまなすは当初座席車のみでしたが、1991年から寝台車が連結されるようになりました。
まりもの指定席車だったドリームカーやカーペットカーなども連結されるようになり、編成のバラエティ化が進みました。
なお北海道に渡った14系は、一部の臨時列車や北斗星用に24系化された車両を除いて、すべて急行として使用されています。
撮影 2014年10月17日 札幌駅
撮影 2008年5月11日 札幌駅
はまなすが廃止になっても札幌と函館を結ぶ新幹線接続の夜行列車の需要はあると思いますが、キハ183系による夜行特急があっても良いような気がします。
はまなすをブルートレインに含むか含まないか議論になりますが、国鉄北海道総局は14系使用列車はすべてブルートレインと呼んでいた経緯もあり、ブルートレインではないかと思います。
1958年のあさかぜ以来のブルートレインの最後の列車が、はまなすとは誰も想像出来なかったのではないかと思いますが、夜行バスの盛況を見ると、座席車ならばまだ夜行列車の需要はあるのではないかと思えます。
翌1982年11月には札幌釧路間の急行まりも、札幌網走間の急行大雪、札幌稚内間の急行利尻も14系に置き換えられました。この3本の夜行急行列車は、当初は座席車のみ14系で、寝台車は10系でしたが、翌1983年には寝台車も14系に置き換えられました。
1985年には札幌稚内間の急行宗谷と急行天北もキハ56系から14系に置き換えられ、北海道内の長距離急行列車はすべて14系化されました。異例の昼行列車の気動車から客車への置き換えで、冷房なしのボックスシートから特急列車並の14系化されています。
14系座席車の座席は当時の特急の主力のキハ80系の回転クロスシートに対して、簡易リクライニングシートのため、特急を上回る車内設備あります。
ただし、気動車時代よりも所要時間が伸びており、国鉄末期の車両の有効活用ならではかも知れません。
なお、昼行急行の上り宗谷と下り天北は夜行急行の利尻と共通運用されたことから、昼行列車にも関わらず、寝台車を連結していました。
国鉄北海道総局は14系で運転されるこれらの長距離急行列車を、ブルートレインと称しており、長距離急行列車が14系に統一された1985年にはブルートレインフェアが行われたそうです。
1986年には急行ニセコが臨時列車化され、同時に車種がキハ56系化されました。なおニセコは臨時列車として1993年まで運転されました。
ニセコの臨時化と同時に山線経由の特急北海が廃止になり、これ以降、函館札幌間の優等列車はすべて、小樽経由の山線ではなく室蘭本線千歳線経由の海線で運転れています。
2012年から観光振興を兼ねて山線周りのヌプリ・ワッカが運転されるようになりましたが、名称は山線周りの優等列車はやはりニセコではないかと思えます。
北海道新幹線が札幌まで延伸した際には、札幌函館間の列車はニセコが適当ではないかと。
閑話休題、民営化後の1988年には宗谷と天北がキハ400・480形化されました。天北は経由している天北線の廃止により、宗谷に編入され、翌日から宗谷1・4号として運転されています。1991年には利尻もキハ400・480形化されています。なお気動車化後の利尻は寝台車を連結しており、気動車の中に14系客車を組み込んだ編成になりました。
大雪は1992年にオホーツクに編入され同時にキハ183系化され、まりもも翌1993年におおぞらに編入されキハ183系化されています。これらも気動車の中に14系の寝台車を組み込んでいます。
これらで捻出された、14系客車は24系に編入され北海道持ちの北斗星の車両に転用されました。
話が前後しますが、1989年には青函トンネル開通により、青森札幌間に急行はまなすが新設されました。はまなすは当初座席車のみでしたが、1991年から寝台車が連結されるようになりました。
まりもの指定席車だったドリームカーやカーペットカーなども連結されるようになり、編成のバラエティ化が進みました。
なお北海道に渡った14系は、一部の臨時列車や北斗星用に24系化された車両を除いて、すべて急行として使用されています。
撮影 2014年10月17日 札幌駅
撮影 2008年5月11日 札幌駅
はまなすが廃止になっても札幌と函館を結ぶ新幹線接続の夜行列車の需要はあると思いますが、キハ183系による夜行特急があっても良いような気がします。
はまなすをブルートレインに含むか含まないか議論になりますが、国鉄北海道総局は14系使用列車はすべてブルートレインと呼んでいた経緯もあり、ブルートレインではないかと思います。
1958年のあさかぜ以来のブルートレインの最後の列車が、はまなすとは誰も想像出来なかったのではないかと思いますが、夜行バスの盛況を見ると、座席車ならばまだ夜行列車の需要はあるのではないかと思えます。
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