大垣祭の中町の布袋軕が完成して完成披露式典がありました。中町の関係者と知り合いなので、完成した布袋軕を見てきました。
大垣祭を始めとした岐阜県の山車、曳山は軕(やま)という漢字で表されており、江戸時代後期からこの漢字が使われるようになっています。大垣祭には13両の軕がありましたが、多くが戦災で消失して、戦後再建された軕もありましたが、この布袋軕は長らく再建されず、2012年にようやく再建されました。
撮影 2012年5月13日
2012年再建直後の布袋軕。このときは彫刻もなく、前年に作られたからくり人形とだけで、勾欄の彫刻もない状態でした。
撮影 2017年5月13日
撮影 2018年5月18日
2016年に勾欄に唐草模様の彫刻が入り、2018年には各所に欅やイチイの彫刻が追加されています。
撮影 2022年5月15日
白木での建造から10年を経て、2022年に漆塗りが行われています。そして2023年に蒔絵と錺金具が行われ、完成しました。多くの仕上げは、彦根仏壇の職人の方の仕事で見事なものがあります。
勾欄の部分は春慶塗で、この部分は彦根仏壇の職人の方の仕事ではなく、地元の方の仕上げになります。上の勾欄の間にはめ込まれた板の幾何学模様はシルクスクリーンや伊勢型紙のような技法で描かれたと思ったのですが、すべて職人の方の手書きだそうです。
天井画は赤穂市出身の日本画家の後藤仁氏の作品になります。同氏の祖父は大垣の方で、伯父は布袋軕のからくり人形を作成された故後藤大秀氏で、大垣ゆかりの人と言っても言い方です。それで画題は黒龍と四つ姫の図だそうです。
後ろの丸い柱に施された蒔絵は、曲面に書くのが大変難しく、職人の方も苦労したそうです。
下には青龍朱雀白虎玄武の四神と麒麟鳳凰霊亀応龍の四霊の蒔絵が施されています。下部にはいぶし銀の錺金具が見られます。
この布袋軕の再建に関わられた方と10年ほど前から知り合いで、色々聞いていましたが、再建の資金集めにかなり苦労されていたそうです。戦後何度も再建の計画があったものの、資金面で断念していたそうです。
特記の無いものは 2023年3月19日撮影
絵師(日本画家・絵本画家)後藤 仁