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nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

上栄町駅・後編

2024-11-09 | 

上栄町駅の下り京都方面のホームは、現在に至るまで自動改札機が置かれたことがありません。かってのスルッとKANSAIのSFカード利用の場合は、どうしていたのかというと、券売機がSFカードに対応していて、通常の乗車券を購入する形でした。

降車の場合は、この券売機が精算機を兼ねていて、精算券の発券で対応していました。石山坂本線は最後までスルッとKANSAIのSFカード非対応だったので、隣のびわこ浜大津からSFカードで乗車して、上栄町で下車する場合だけになります(ただし石山坂本線もスルッとKANSAI 3dayパスはエリアに含まれてました)。この1区間をスルッとKANSAIで乗車する需要がほとんど無かったと思われ、無理に駅を改修して自動改札機を置くことをしなかったと思われます。

こういった扱いは、近鉄吉野線の岡寺、飛鳥、壺阪山の3駅などでも行われていました。もっともこれら3駅はスペースの問題ではなかったようで、現在では自動改札機が置かれています。

 

ICカード専用のリーダーは、設置スペースを取らないので、石山坂本線の大半の駅と同じタイプのICカードリーダーが置かれています。

 

撮影 2024年5月25日


上栄町駅・前編

2024-11-08 | 

 

京阪京津線の上栄町駅、路面区間から外れたところに駅があり、裏路地のようなところにあって、かなり狭い駅です。大津市内の京阪の駅はどこも似たようなものですが、この駅はSFカード導入時に無理やり自動改札を置いて対応していました。

 

上り浜大津方面のホームへの通路は狭く、自動改札機を左右に置けないので、このように前後方向にずらして置いていました。企画乗車券などに非磁気券が多く、乗車と降車の改札機が連動していないのもあり、この前を素通りしても、自動改札機は特に何も反応しません。ICカード乗車券が導入された後は、ICカードリーダーは自動改札機とは別に設けられて、一部の磁気券だけのための存在になっていました。

 

スルッとKANSAIの磁気SFカードの取り扱いが終了し、ICカードが普及した現在では、自動改札機が撤去され、ICカードリーダーのみが置かれています。

 

切符売り場も無理やり感があり、奥が駅の入口で、それは異なる手前の部分に置かれています。

 

後編に続く

 

撮影 2007年9月16日 2024年5月15日


田村駅と米原田村間の電化

2024-08-24 | 

 

田村駅、現在長浜市郊外の普通の中間駅ですが、かっては交流電化の起点で運転拠点として機関車交換が行われた駅です。

1957年に北陸本線が交流電化されたとき、米原~田村間のみ非電化で残され、この駅で蒸気機関車と電気機関車が交代していました。そのため、交直流電車が普及する前は、ほとんどすべての列車が停車していました。(唯一の例外が気動車準急のこがね・しろがねで、後にキハ80系気動車使用の白鳥も田村駅を通過)

1950~60年代の北陸本線は電化と並行して順次複線化などの改良が行われており、この駅も複線化時に上下線間に留置線がある機関車交換を前提とした駅として整備されています。

交流電化後の米原田村間の牽引は、他に適当な使用場所がなく持て余していたE10形蒸気機関車が使われ、後にはD50・D51形になり、無煙化後はDD50形ディーゼル機関車が担当していました。その後ED30形交直流電気機関車が1962年に1両試作されましたが、結局最後は、米原操車場の入れ替え用のDE10形に落ち着きました。この交直接続は北陸本線の急行きたぐにのけん引機がEF70形からEF81形に変更になる1983年まで続きました。

 

ところで米原田村間の直流電化開業及び田村駅南側へのデットセクション設置は、正式には1962年12月28日という事になっています。しかし、実際には1960年10月には同区間の電化及びデッドセクション設置が行われています。同年3月に米原機関区に暫定配置された関門トンネル用のEF30の試運転のためで、翌年4月まで北陸本線で試運転が行われ、貨物列車を敦賀までけん引したこともあったようです。

となると1962年12月28日はなんだということになりますが、おそらく北陸本線初の交直流電車の471系急行形電車による、営業列車運転開始日ではないかと思われます。

 

475系急行形電車 撮影 敦賀駅

471系は1962年7月に敦賀区に配置されています。正式に定期運用に入るのは、翌年4月の改正からですが、ダイヤ改正に先立って、年末年始の大阪福井間の臨時急行に使用されています。おそらくこの臨時急行が初めて、田村駅南側のデットセクションで車上切り替えを行った営業列車で、この運転をもって、米原田村間の電化開業日としたと思われます。

 

 

現在、北陸本線は敦賀まで直流電化に変更され、この区間も普通列車は直流電車が行き来するようになり、留置線のあとの上下線の間の空間のみが往時を忍ばせます。

 

撮影 2018年5月27日 2007年3月10日

 

参考文献 鉄道ファン1987年9月号 交流・交直流電機出生の記録3

     JTBキャンブックス 国鉄急行型電車物語


浜大津の遍歴

2024-06-09 | 

京阪びわ湖浜大津駅界隈は、1981年に現在の駅に落ち着くまで数々の遍歴がありました。

明治時代、東京から大阪への鉄道の建設で、長浜から大津までは当初は線路を敷設せず、琵琶湖に日本初の鉄道連絡船である汽船を運行して連絡しました。京都からは逢坂山をこえて、馬場(現膳所)でスイッチバックして、大津側は大津港に隣接する現在の浜大津に大津駅を設けました。その後、琵琶湖沿岸に鉄道が敷設されると、膳所浜大津間は支線となりました。

その後大正時代に大津電車軌道(現在の石山坂本線)が国から膳所浜大津間の線路を借用して、路面電車を運行する事になりました。このとき、従来の線路は貨物線として残り、膳所浜大津間は三線軌条になり、石山坂本線と国鉄東海道貨物支線の共用区間になり、国鉄の浜大津駅は貨物専用駅なりました。同時期に江若鉄道も開業して、浜大津に駅を設けています。大正時代末に、京都から京阪京津線が延伸し、浜大津で江若交通や石山坂本線と接続し、戦時中に石山坂本線は京阪に統合されています。

 

国鉄の浜大津貨物駅は、現在の浜大津公共駐車場と駅前のバスターミナルの場所にありました。現在は埋め立てが進みましたが、もともとは鉄道連絡船との接続もあったので、1960年頃までは琵琶湖に隣接していて、琵琶湖水運との連携もあったようです。

 

江若鉄道の浜大津駅は、貨車のやり取りをするために、国鉄の浜大津貨物駅に隣接していました。現在の京阪のびわこ浜大津駅の所にホームと駅舎があったようです。湖西線の建設で、1969年に江若鉄道と国鉄東海道貨物支線が廃止になった後は、浜大津公共駐車場の建設まで、平面の駐車場として使われていたようです。

 

 

 

京阪は1981年まで京津線と石山坂本線の駅が分かれていました。1925年に京津線が札ノ辻から浜大津まで延伸したとき、当時の駅は現在の併用軌道のところのあったようです。その後、1946年に明日都浜大津の所に、京津線が延伸しています。当初は1線でしたが、1957年に駅の改良がおこなわれ、2線のホームになっています。

 

 

石山坂本線の浜大津駅は、国鉄浜大津貨物駅と江若鉄道の浜大津駅の南側、現在の浜大津駅の歩道橋の部分、上の写真の赤い着色した部分にあったようです。石山坂本線の浜大津駅は相対ホームの2線2面で、京津線のホームとの間は、交差点を挟んで反対側にあり、徒歩連絡となっていました。

 

古い航空写真を見たところ、道路の歩道がなく、歩道橋の左側階段と歩道が道路で、現在の車道と右側の歩道の部分が石山坂本線の線路とホームのようでした。

石山坂本線は上の写真の赤線ような配線で、国鉄江若の浜大津駅から分かれて、ホームに入っていました。奥にマンションがありますが、当時の線路はこのマンションと現在のびわこ浜大津駅の駅舎の間を通っていたようです。

浜大津の駅の遍歴とは直接関係ありませんが、浜大津の近隣に1934年建設の大津市公会堂があり、この隣の石山坂本線の線路の位置は、国鉄と共用だった当時から変わっていません。

 

京津線浜大津駅が改良された1957年から、国鉄東海道貨物支線と江若鉄道が廃止された1969年までの各鉄道の駅の配置を現在の航空写真に重ねたものです。

 

1969年に湖西線の建設開始で、建設用地を提供する江若鉄道と、末期は江若鉄道との貨車継走のみだった国鉄東海道貨物支線が廃止が廃止になりました。浜大津に京阪のみしかなくなっても京津線と石山坂本線のホームが離れて、乗り換えに不便だったので、1981年に空き地になっていた江若鉄道の浜大津駅の跡地に京津線と石山坂本線を統合して現在の駅が建設されました。その後京都市交通局東西線との直通で京津線が4両化され、ホームや引き上げ線などが延長され、2018年にびわこ浜大津に改称されています。

 

撮影 2025年5月25日


越前たけふ駅

2023-12-03 | 

北陸新幹線の延伸区間で唯一の新幹線単独駅である越前たけふ駅。駅前には道の駅が3月に開業して、こちらはかなりの盛況でした。武生インターチェンジ近隣ということもあり、高速バスターミナルが整備され、12月1日からインターから高速バスのバス停が駅前に移されました。道の駅には福井鉄道運営のチケットセンターが設けられています。

このところ、高速バスが減便傾向なので、今のところ停車するのは名古屋~福井・三国間の北陸道高速バスのみです。

 

撮影 2023年11月11日